「ブールスの虚實果して如何」
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本文
ブールスの虚實果して如何
政府の筋にては日本國中の米商會所も株式取引所も一樣に廢して今度は共同相塲會所即ち
佛蘭西語にて云へばブールスなるものを設立するとの評判世間に流布してより舊來の相塲
へ關係の人々は其心配一方ならず或は此評判を虚なりと斷言する者あれば又實なりと狼狽
する者あり近日に至りてはいよいよ切迫なる話しとなりて其話しの模樣次第にて相塲の株
式は其價を上下し甚だしきはブールスが始まりて今の相塲所が廢するとて東京などにては
相塲所最寄りの地價までも狂ふの有樣なりと云ふ實に此評判こそ商賣社會の騒動の種にし
て是れまでも其邊の人として如何ばかりの難澁を被らしめたるや計るべからず株式の上り
下りにて一時に利する者あれば一時に失ふ者あり利したる者も眞の利益にあらずして失ふ
たる者は百年の損なり其趣は火難水難に罹りたると一般にしてブールスの評判は相塲所に
關係する無敵の人を泣かしめたるものなり
扨右の評判は虚か實かと云ふに我輩の所見にては何分にも其實なるを信ずること能はざる
其次第は凡そ一國の政府なるものは如何なる組織にても社會の安寧を欲せざるものなし而
して此安寧とは必ずしも政治の事にのみ限らず人間社會の萬事萬端都て穩にして風波なき
は政事家の最も重んずる所にして利害の餘ほど明白なるものにあらざれば容易に手を着る
ことなきを常とす責任なき人の目より視れば人事の是れを廢して其れを興し甲を右にして
乙を左にし忽ち云々の利益を生じて完全圓滿などゝ思ふは毎度の事なれども常に一國全面
の得失に着眼する政事家は則ち然らず傍觀者の堪へ難く思ふなどに氣長にして一度び定め
たる事は之を變へず既に變へたる上は復た之を動かさず以て社會一體の安寧を維持するも
のなり
政事家の本邑は右の如しとして今度のブールス論に就き果して今の相塲所は大變革を要す
るものなるやと尋るに其不完全なる箇條は甚だ多かる可し之を諸外國の相塲所に較べたら
ば甚だ不完全なる可しと雖ども是れは獨り相塲所に限らず日本國中の人事大抵皆不完全な
らざるはなし殊に日本國の商法の如きは最も不完全にして有識者の毎に歎息する所なれど
も之を如何ともす可らざるは畢竟その罪は其事に當る商人に在りと云はざるを得ず左れば
今我國の相塲所が不完全なりとて之に出入する商人の魂を俄に入替ゆ可きにあらざれば先
づ以て今の塲所の規則などを徐々に改正して次第に正に歸せしむるの外ある可らず或はフ
風聞に據れば今度のブールスの仲買は身元金を多く出すが故に身元慥なる者が仲買と爲り
て自然に塲所の風俗も改良するならんなどの説あれども是れは所謂青年の書生論にして仮
令へ身元金に制限を立るも眞實身元ある商人には自から塲所に出入するの時を得ざるが故
に例の仲買と名くる種族の者が他の代理を勤るのみブールス果して設立せんか建物も新な
る可し規則も新なる可し唯其新塲所に出入する人間の種族は舊に異る可らずブールス新設
なりと雖ども其人是れ舊なり或は強ひて此種族を塲所より驅を出して整々堂々純然たる西
洋流のブールスを作り然かも西洋書中の字義に從て相塲の事を行はんとするが今の人文の
有樣にては日本國中に相塲取調の跡を絶つの奇觀を呈す可し
斯く〓易き事柄にして政事家の心付かざる道理もなし又〓〓〓〓の一點より見ても方今は
頻りに税源を求め〓〓〓〓〓軍國の資を豐にせんとは官民共に心配する所にして既に所得
税の新法さへ起りたる其最中に今度のブールスは塲所の税を從前よりも減ずるの風聞あり
近三年間の税額を見るに
豫算 株 式 米 商
十七年度 八万二千八百五十七圓 二十万九千四百十六圓
十九年度 七万三千二百九十圓 三十一万二千三十一圓
二十年度 四万九千三百二十圓 二十六万四千八百二十四圓
とあり株式米商兩樣の税を合すれば三十餘萬圓の高なり少數なりと雖ども既に納税の習慣
を成したるものを故さらに棄るは經濟の本意にあらず又我政府の决して爲さゞる所ならん
故にブールスを設立して其成跡の今の相塲所に異なる可らざるは明白なる勢にして政事家
の飽くまでも知る所なり又これを設立するが爲めに無數の人を苦しめ平地に波瀾を起すの
不利なるも政事家の固より知る所にして然かも政事家の本色は社會の安寧を重んずるもの
なり又この困難不利を犯しても歳入を増すの見込みあれば一時財政上の都合に任せて施行
することもあらんなれども之を施行して却て歳入を減少すべしと云ふ何れの點より見ても
我輩はブールス論の實施を信せざる者なれども若しも其實施を見ることもあらば夫れは他
に深き意味あるものと認めざるを得ざるなり