「鐵道線路の説」
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時事新報に掲載された「鐵道線路の説」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
鐵道線路の説
國内到る處に鐵道の敷設を計畫するの今日その會社の組織線路の方向工事の順序などは世
人の注意して研究する所となりたれば我輩は此等の問題を議論せずと雖ども線路の方向に
就き尚ほ其注意の足らざる所ありと思はるれば聊か記して當局者の參考に供せんとす抑も
線路の方向を豫定するには第一山川の位置に由り勉めて論を避け〓に就けば工事容易にし
て費用減少すべく第二村市の情况に由り勉めて都市を連絡し且物産多き地方に近接すれば
旅客荷物を増加すべし故に第一は資本を減じて第二は所得を増すものなれば共に大切にし
て鐵道を敷設するに當り當局者の尤も先づ苦心する所なれ共斯く此両者に注意して鐵道の
方向を豫定するは土地廣く且物産豐かなる國々に於て獨り一般の事實とするのみ其論の
國々には此両者の外更に水陸の風景に注意せざるべからず故に歐洲大陸の鐵道は風景を探
りて線路を迂回になし爲めに其延長を憚らざるもの多しと云ふ是れ車内の旅客をして長程
の倦苦を忘れしむる其上に〓〓の人々を導いて乘車せしむる趣向なれば鐡道の廣告を見る
に乘車の時刻及び賃金などを記する其傍に必らず沿道の風景を説き或は其寫眞を附するを
常とす殊に瑞西の如く土地狹く物産少きも其天然山川の風景に富みて外人を誘ひ來す國柄
に於ては鐵道の線路は主として風景に由り其方向を定むることあり譬へばゼネバ府よりロ
ーサブン府に赴く途中の如き右はゼネバ湖を隔てゝアルプス山を望み山頂の白雪湖水に映
じて風景〓くに似たり左の方には小丘起伏する其間に直向の道筋なきにあらざるも鐵道の
線路は常に湖畔に沿ふて曲折幾回なるを知らず或人の説に此線路若しも始めより直向の道
筋に由りたるならんには別に專ら湖畔に沿ふの線路を敷設して之と競爭すること容易なり
しならんと瑞西の鐵道始より茲に見る所ありたるを證すべきなり英國は商賣盛に製造多き
土地なれども鐵道は尚風景に由るを肝要となすものゝ如しマンチエスタアより倫敦に來る
途中には五線の鐵道相並で競爭するに其尤も風景を得たるものが常に勝利を得ると云ふ
今我國にて鐵道の敷設を計畫するに當り當局者は線路の方向を山川の位置村市の情况に由
りて豫定し其風景には頓と注意せざるが如しと雖ども是れは實に思はざるの甚だしきもの
にて我國の如く氣候中和に且山水の秀麗なる土地にて線路の方向を定るには風景の事をも
考への中に入れて某都より某府に通ずる其間に幾多の曲折をなすも憚るに足らざることな
らん成る程目下の有樣にては風景の爲めに態々乘車する者も少なかる可しと思わるれども
今畿内地雜居の世の中と爲りて外人の來〓漸く多きに至るときは必らず此等の乘客を増加
して鐵道風景の如何に由り鐵道の収入に影響すること大なる可けれど今日より當局者の注
意こそ肝要なれ且勞役の無限なる日本國にては馬車人力車風帆船などを以て汽車と競爭す
るの奇談さへあれば尋常の旅客商賣の〓物のみを目的としては鐵道の利益尚ほ未だ充分な
らざるの〓念なきにあらず現に敦賀鐵道には人力車の競爭するものあり京坂鐵道の敵には
淀の川船なるものあり此〓〓〓の鐵道にも大抵皆多少の競爭者ありて其競爭〓〓〓〓〓速
力こそ汽車に及ばざれども賃錢は二分一、三分一、尚ほ低きは五分十分の一なるものもあ
ることなれば〓〓の如く〓〓〓〓にして人氣も亦悠々たる氣〓〓〓に於ては率〓〓〓を敷
設しても其〓する所のものは〓〓と手荷物のみにて商賣品の運搬は運賃の廉なる他の緩漫
道よりするの事實なきを期す可らず歐洲各國にても馬車運河又は諸種の船舶の爲めに荷物
を奪はれ汽車の収入は專ら旅客の賃錢よりするものありと云ふ日本にては特に考ふ可きこ
となり