「小學の教育を僧侶に任する事」
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時事新報に掲載された「小學の教育を僧侶に任する事」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
小學の教育を僧侶に任する事
我輩は前日の紙上に教育費の節減すべき旨を記載せしも強ち日本教育の不振を祈るものに
あらず成ることなれば盛なる上にも盛にして文運の隆盛をこそ望ましけれども國事多端財
帑乏きを告ぐるの折柄只管教育に許り金を掛けて目下焦眉の急を後にするが如きは緩急宜
しきを失ふものにして策の得たるものにあらずと思ふが故に教育費の節減を主張せるのみ
それとも今日教育の費用を減ずれば智徳地に墜ちて子弟教育の始末に困るようなれば甚だ
迷惑の次第なれども此弊を救ふには別に方法の存するものあり他なし小學教育の責を僧侶
に托すること是なり然けるときは教育には障りなくして費用は大に助かる實に穩當便利な
る方案と云ふべし明治十七年十二月の調査に據れば全國の僧侶は十萬六百二十九人にして
寺院の數は七萬四千百八十六なり一門の寺には少なくとも僧侶一二人あり僧侶の生計裕か
なりといふにはあらざれども又衣食の計に窮せるものにもあらず職業とて經を誦み法を説
くの外時間に餘力少なしとせず寺院の建物は甚だ廣くして平常餘地の不用なるもの多し今
此餘地を以て學校の教塲に充て此餘暇を以て村中の子弟を教ゆるときは學校建つるに及ば
ず教師雇ふを須ひず其教育費を節減すること幾何ぞや殆んど測り知る可らず今日の如く給
金高き小學の教員九萬六千三百三十人を雇ふ代りに少給にて濟むべき僧侶を使ひ今まで教
育費に入れたるものを以て國家重要の事に轉用するときは僧侶が國に益することも莫大に
して决して日本社會遊閑の民にあらず又其僧侶が教育の責に任ずるは歐米各國の通例にし
て殊に小學の教育は最も先務とする所なれば何所にも宗教小學校の設あらざるはなし我國
にても昔時僧侶が子弟を教へたるは明白なる事實にして今に至るまで寺子屋の名稱あるを
見ても之を證す可し
人或は前説を非難して今の教育はむかしに異なり復た寺子屋の筆法を以て論ず可らずとす
るものもあらん勿論我輩とて全國の僧侶は今日只今より小學教師となりて差支なしと云ふ
にあらず小學校の教には地理天文など西洋新主義の科目ありて迚も釋氏の經文に求む可ら
ざることなれども經を誦むも學者の事なり小學生徒を教ゆるも亦學者の事なり兩樣共に文
の事にして其間に二教あるなし今の僧侶にして少しく心掛けて小學入用の科目を自分にて
取調べ又師範學校等にて傳習すれば多くの日月を費さずして小學校の教師たること甚だ易
し即ち文より文に入るものにして之を彼の百姓町人の子弟が師範學校を卒業せんとするが
如き商賣替への困難なるに比すれば殆んど同日の談にあらざるのみならず我輩が教育の責
を僧侶に任ずるも全く還俗して職業を學校教師に轉ぜよと勸むるにはあらず身は猶ほ寺院
に居て誦經説法に從事しながら片手仕事に村の小供を寺ないに〓〓て教授せしめんとする
のみ且又七萬四千餘の寺院は全國の所々方々に散在して其位置は如何と尋るに元來村民の
〓〓を目的に建立したるものなれば小學生徒四集の學校には誠に誂へ向きといふべし空〓
不用なる寺院の建物と閑散無事なる僧侶の〓とを利用して小學教育の減少すべきは特に經
濟家に問はずして明白な〓〓〓〓上に何等の差支ゆる可きや我輩の容易に見出し能はざる
所のものなり
然りと雖ども〓度申す〓〓我輩の〓中には素より宗〓なきものなれば彼れを扶けて此れを
抑ゆるなど毛頭〓〓の心〓〓なし故に今小學の教育を僧侶に頼むとても敢て好意を以て佛
氏の徒を庇保せんと云ふにあらず唯今日の教育費をば飽くまで節減して焦眉の急を救はん
とすれども小學の教育を不問に置く譯にも參らず善後の策如何にせんと心配する時こそあ
れ丁度全國の僧侶の數は小學教師に超過するほどにて生計乏しからず時間また餘裕あるに
心付きたれば差當り之に任ずるに小學教育の責を以てせんとするのみ若し神教の人にして
教育の訳を勤むるに足ること僧侶の如くなれば移して神官に教育を托するもよし將來耶蘇
教大に行はれて宣教師國内に充満し教會堂一面に散在するに至れば又之に小學教育を依頼
すべし我輩は目今國用少なくして政費多端なるの最中獨り教育にのみ金を掛け手を入れて
は緩急宜しきを失ふて國家獨立の長計にあらずと信ずるが故に先づ教育費を節減し小學教
育を擧げて圖頂法衣の輩に委任せんと欲するのみ决して他志あるにあらざるなり