「商家の覺悟」
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時事新報に掲載された「商家の覺悟」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
商家の覺悟
老舗を頼みて祖先の遺法を墨守し布簾を當てにして花客の自然に來るを待つは封建鎖國時
代の商法にして歐米の文明東漸の今日に適するものにあらず抑も今の歐米の商勢を察する
に商賣の權は少數の商家が久しく專有すること能はず商人の腕に任せて各その技倆を逞ふ
し〓〓劣敗新陳代謝して廣く之を商賣社會中に共握するの傾向ある其趣は恰も政權の漸次
に君主貴族の手を離れて人民の手に歸するが如く老舗の名、布簾の章は日々に花客を引く
の効力を失ひ品柄の良否と直段の高下とのみを以て市塲を制するの勢となり如何なる名家
古店の商品にても時の商勢に隨て其價を簾にするにあらざれば遂に新進者の競爭に壓倒せ
らるゝの事實を見る可し即ち是れ日新の商勢にして或は之れを名づけて共和の商賣と云ふ
も可ならん我開國以來歐米の制度文物を採用し專ら之を政治上に施したるのみにして商賣
社會に於て尚未だ著るしき變革を見ざるは盖し我國人が古來政事を重んじて商賣を輕んず
るの氣風に由て然るものならんと雖ども然りと雖ども文明の漸進は向ふ所に敵なし遂に我
商賣上にまで侵入して其舊習慣を一變すること正に政治社會の變革の如くなる可きは我輩
の〓して疑はざる所なり
今は日本の商賣社會にて既に歐米の風に化せられ先づ帳簿を改正して西洋法を用ゐ或は歐
米人と取引するが爲め稍や外國風に倣ふものなきにあらざれども其種類に誤りあり即ち銀
行諸會社又は直輸出入に關する商家等にして其他全般の商家に至ては單に老舗布簾の効力
のみに依頼して商賣世界近時の大勢を知らず商品の仕入賣捌を始め奉公人の使用法等一向
に祖先よりの家法を墨守するのみにして改良の工風なく居然自得する其間に新進の新商出
現することあるも之と商品の簾價を爭ふの念なきのみか動もすれば自家の品の價高きを誇
り恰も以て商家の門閥として他を輕蔑すれば之を買ふ人も亦品物の良否價の貴賤を問はず
して商家の布簾を吟味し布簾の舊きもの品も亦佳なりとて安んじて疑はざる者さへなきに
あらず天下の奇談なれども文明日新の世界に奇談は永續す可らず早晩一度は競爭の爲めに
馬脚を顯はすの日ある可ければ既に競爭に迫られて商賣の方法を改革すること其未だ迫ら
れざるに當て早く工風を運らすと其損益如何は素より論を俟たずして明白なれば商家たる
ものは今より歐米商勢の風潮に應じて變通するの覺悟なかる可らざるなり
扨在來の商賣の方法を改革して歐米の商風に應せんとするには其商賣柄に由りて法を異に
することなれば素より一定の〓を以て之を概論ずへからず又我輩は各科の商賣に通したる
ものにもあらざれば是れは當局の人々譲りて我輩が常に希望する所の要點を云へば今の商
賣に志す人をして實業と學問と兩樣の心掛けあらしめんとするの一事なり現在の商賣を汁
には實業に就かざるを得ず商賣の有様を改良せんとするには學問上の知見を要することに
して其一方に偏す可らざるは云ふまでもなき次第なれども今の商業社中には兎角實業をの
み重んじて學問を輕んじ甚だしきは之を忌み嫌ふ者さへなきにあらず我輩の樂しまざる所
なり近頃或る縣にて其地方有名の豪商某に子弟を商業學校に入學せしむることを勸告し併
せて學校の資本金として若干の金圓を醵出あらんことを談したるに同家にては親族並に譜
代の番頭等協議の上當家にて子弟に學問を教ふるは祖先よりの嚴禁にて小學校普通の學科
を修めしむることさへ家法に違背せざる歟と疑ふ程のことなれば况して商業學校など云ふ
むつかしき塲所に入れて高等の學問とは思ひも寄らぬ次第なりとて醵金をも謝絶したりと
の話あり此話の如きは素より守舊中の守舊にして最も極端なる守舊の一例なれども各地方
の豪商中之れに類似の守舊家は隨分少なからざることならん斯くまでに學問の嫌はるゝ其
本を尋ればむかしの漢學は勿論近世の洋學にても商家の子弟が之を修めて實用を成さゞる
のみか却て先代の遺産を失ふたる事例も少なからざるが爲め遂に天下の故老商人をして學
問を蛇蝎視するの念を抱かしめたることならん一應は尤もなれども是れは必竟學問の罪に
あらずして破産したる其人の罪にこそあれ何は扨置き今の世界に學問嫌ひなど云ふも斯る
痴言は最早通用す可き時節にあらざれば歐米の商勢を視察して應通の覺悟肝要なる可し老
舗布簾依頼するに足らざるなり(森下岩楠)