「養蠶論 昨日の續」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「養蠶論 昨日の續」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

養蠶論 昨日の續

我國にて今後漸く從前の田畑を廢して之を桑田に變ずることとも爲れば日常の食品たる米

の供給を何れの所に仰ぐ可きやと云ふものあれども之を得ること决して難事に非ず元來米

はトロピカル プラント 即ち熱帶地方の植物にして安南西貢ベンガル等南亞細亞の地方

にては格別に耕作の勞を費さずして一莖十穂一年に幾回となく之を収穫することを得る由

なれども我國の米作は之に異なり播種より収穫に至るまで人工と要すること少なからず農

家の全力を傾けて唯だ及ばざらんことを恐るゝ其有樣より察すれば古來日本を瑞穂國と稱

して米穀豐穰の地なりと思ひ込みたるは世間知らずの妄想にして實際米作に適せざるの地

を強て自から米の國なりと稱したるものに過ぎず徃古交通不便の世には隨分無理ならぬ事

情なれども今日外國貿易の自由自在なる時節に際会して米の不足を感ずるが如きことあれ

ば米の本地たる南亞細亞地方に向て颯々と其供給を仰ぐを得べきが故に毫も不自由を覺ふ

ることなかる可きなり且つ今後の勢に於て我國にても追々肉食の風を生じ或は太平洋を踰

えて亞米利加地方より小麥の輸入ある可ければ追々稻田の減ずると同時に米の需用も亦

追々に減少するの傾きもあり好し又其需用を減少せざるにもせよ米の供給に差支ゆるなど

の心配は今の交通自在の世界に居て先づ無用の談なる可し人或は之を難して我國にて今後

大に樹桑の事を奬勵せんとするには新開墾の土地を以て之れに充つるか或は田畔牆陰等

所々方々の隙地を撰んで其用に供するを以て充分ならん可惜在來の稻田を廢して桑田に變

ずるが如きは得策にあらずと云ふ者あり我輩とても今年今月全國の耕地を悉皆桑園にせよ

と云ふにあらず古來の習慣容易に改め難きのみならず養蠶の業たる年中の業にあらず其最

も忙はしきは僅に二三箇月にして桑田の手入れとて差したる仕事にもあらざれば一年の内

凡そ八九箇月は他の業に就かざるを得ず其業はさし向き農業なる可ければ百姓の仕事の都

合を考へても全く耕地を廢することは叶ひ難し我輩能く是等の事情を知らざるに非ずと雖

ども千百年の久しき我農家の精神に染込みたる習慣は米作に附するに一種神靈の意味を以

てして其廢存の際に利害損益の數を顧みざる者さへ少なからざるが故に特に此流の守舊農

民に向て稻田の愛しむに足らざるを勸告するのみ且つ原野開發と説を定めても草〓を拓き

樹根を掘り之を耘鋤して一塲の桑田と爲すまでには其勞費中々容易ならずして元手薄き農

家の企て及ぶ可き限りにあらず詰り事の擧らざる〓ひなれば夫れよりも在來の畑地稻田を

都合次第に廢して新利益を謀るこそ殖産の捷徑なれ大に勞して無代償の原野を開拓するも

少しく費して有代價の田畑に桑を植るも其得失は等しくして事の難易遲速には大に相違あ

るを見る可し

前陳の如く桑園の利益を勸告したるに付ては豫め方策を設けて農家を誘導するの工風なか

る可らず盖し今の農家の有樣を平均して其貧富如何を見るに僅に一日一月一年を支ゆるの

みにして些少の猶豫なき者と云はざるを得ず一日の雨に逢ふて休業すれば翌一日の食に差

支る者あり一月の病氣に一月の衣食を失ひ一年の不作に一年の貧を增し到底家に餘る用意

の資本とては一錢もなきものなれば今桑園の利益を合點して之に從ひ田畑を變ずるの勇氣

は生じたりとするも之に桑苗を植付けて一廉の桑園と爲すまでには少なくとも三箇年間の

時日を要し其間に舊來の作物は廢して桑の利益は未だ之を見ず恰も所有の地面を廢物にし

たる姿にて地租の出所に窮すべきは必然の數なるが故に是に於て我輩が政府の當局者に所

望するは養蠶業奬勵の爲に此三箇年間の地租の貴賤に論なく之に桑苗を植るものは三箇年

間無税とあれば農家の勇氣忽ち百倍して桑園説実行の風俗を成し日本全國到る處に桑樹陰

を交へて萬戸蠶事に忙はしきの成跡を見る可きや必せり之れが爲めに一時國庫の歳入を減

ずることある可しと雖ども其これを減ずるや失ふにあらず民力富貴なるに至れば歳入は何

れの道よりするも易し今日一を減じて他年十を增す可し多辨を俟たずして經世家の自から

知る所ならんのみ         (以下次號)