「養蠶論昨日の續き」

last updated: 2021-12-25

このページについて

時事新報に掲載された「養蠶論昨日の續き」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

日本の生絲は其素性に申分なけれども繰方製法の精粗不揃にして爰に百梱の荷物あれば絲

の精粗、光澤の疎密百梱が百梱不同なるが如き塲合もありて一々之を檢査して其精粗大小

の種類を區別せざる可らざる等其取引に手數を要して大市塲の商品たるに適せず甚だ以て

不都合なりとは我輩の毎度痛惜して已まざる所にして其原因は我國蠶絲業の規模尚甚だ狹

小にして養蠶家と製絲家と分明に其業を分たざるが故なりと斷定して可ならん我輩の毎度

論ずるが如く養蠶は農の業にして農家の手に成る可きものなれども製絲は工の業に屬し製

絲所の人々が其專門の技術を以て之を製す可き筈にして農工各其業を分てこそ適當なるべ

けれども我國の蠶絲業は規模の狹小なるが爲にや未だ充分に此區別を立てず今日の實際に

於ても製絲所の蒸汽又水車機械にて製したる器械絲と稱する物は其數の割合甚だ少なく坐

繰並に提絲とて養蠶家の簡單なる手枠にて繰りたる物が殆んど生絲の大半を占め居れりと

云ふ今分業法の便宜より申せば農家は蠶を養ひ繭を取り其繭の儘にて之を製絲家に賣り渡

し製絲家は一手を以て其繭を檢別し同一の水を用ゐ同一の機械と職工とを以て一齊に之を

繰り上ぐるの順序に出づること肝要なるに然るに今日我國の養蠶家は敢て繭と製絲家に賣

ることを爲さず不完全なる自家の熟練を以て強て之を絲に製せんとするが如くなれども是

れは其所持の桑田甚だ少なく養蠶額も亦隨て少なきが故に繭を得るの後爭ふて之を賣るこ

とを要せず手遊び半分に之を繰りて他日幸に生絲の好市况あるに當りて聊かなりとも其繰

り手間賃を得れば農家一般の人情其時間と勞役とを計算せずして繭の儘にて賣り捌くより

も餘程利割なりと頑信するものにして畢竟一家の養蠶額の割合に少なきが故ならんなれば

今に及んで養蠶製絲兼業の弊を破らんとせば養蠶地方到る處に桑田を取り廣げて家々の養

蠶額を今日の幾倍に增加するに若かざるなり斯くて家々の養蠶額を增加して成繭季節毎に

養蠶家の室内一時に高く繭山を積み上げ不完全なる自家の手枠などにて緩る緩る之を繰り

立つるに暇あらざることも爲れば蠶絲業上の分業も行はれて養蠶家は其生繭を製絲家に賣

り製絲家は製絲の業を一手に引き受け兩樣始めて其專門の業に從事することを得るに至ら

ん我輩は未だ精密なる調査を遂げざるが故に日本の養蠶家は一戸に付き平均凡そ何程位の

繭を収穫するや又伊太利其他の國々に比較して家々平均の収穫高に凡そ何程位の差違ある

や今俄に之を斷言すること能はざれども或る人の説に日本と伊太利との蠶業は其規模の大

小に殆んど車と袋との相違ありと云へり盖し伊太利の養蠶地方にて季節毎に生繭を買ひ行

くものは孰れも車を挽き廻はるの習なれども日本の繭商人は袋を擔ふて之を買ひ廻はるが

故ならん斯かる習慣の外見を以て蠶業の規模を臆測す可きに非ざれども繭商人が繭を買ひ

廻はる所の道具より推して家々養蠶額の多少を測るも亦是れ一種の推測法にして兩國養蠶

規模の大概を知る可きなり意ふに我國の農業家は古來米作を專門とし養蠶の如きは兒女の

手遊び同樣に見做して養蠶地方の人々にても未だ其全力を傾むけざるの氣味なきに非ず斯

かる事の次第にて唯悠々と過ぎ去りなば我蠶絲業の發達實に思ひも寄らざることならんな

れば富国の志あらんものは今に及んで大に之を振起するの策を講ぜざる可らず麺して其策

他なし、唯在來の畑地稻田を愛しまずして之を桑田に變ずるの一事あるのみ斯くて桑田を

取り廣げて全國到る處桑樹影滑かなるの日に至らば家々の養蠶額は次第に增し養蠶製絲の

業も分れて日本の生糸は悉く器械製と爲り其品位も亦ますます上りて生絲の海外輸出は果

して今日に幾十倍して日本養蠶の豊凶は以て歐米市塲の絲况を决するに至らん事此に至り

て日本富國の策始めて立つべし是れ即ち我輩の蠶業に熱心して已まざる所以なり (畢)