「私設鐵道條例」
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時事新報に掲載された「私設鐵道條例」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
私設鐵道條例
政府は本月十七日を以て私設鐵道條例を公布したり近來世上に鐵道論の盛にして續々其私
設を出願する者多き時節に當りては自から之に關して特殊の法律を要すること當然の勢な
れば我輩は此條例を通讀し先づ賛成の意を表する者にして毎條殆んど異論とてはなけれど
も唯その通讀の中に得たる二三の注意を記して看客の一粲に供するのみ第七條に軌道の幅
員は總て三呎六吋とあり是れは日本の鐵道をナーローゲージ(狹軌道)に一定するの趣意
ならん我輩は過般(本年四月三十日時事新報)此事に付き聊か鄙見を述べたることもあれ
ども既に政府にて决したる上は今更是非なきことゝとして廣軌道を斷念するのみ次に第十
三條に鐵道局長官は鐵道敷設中臨時監査員を派遣して工事を監査せしめ又運輸開業の後に
於ても監査官を派遣して軌道橋梁車輛建物等並に運輸上の實况を監査せしめ危險なりと認
るときは其改築修理を命ず可し但この塲合に於ては監査官の復命書を會社に示す可しとあ
り此條は甚だ大切なることにして近來の如く私設鐵道の流行する時節には假令へ其創立の
際に目論見書を出さしめ尚ほ進んで線路圖面工事方法舊工事豫算書會社の定款(左・疑の
左)まで立派に具はりたりとするも事の實際に於ては掛念甚だ少なからず廣き世の中には
學識もなく資本もなく通俗一偏の俗物にして鐵道の大事業を思立ち其趣を形容すれば小刀
の細工を以て大伽藍を建立し火鉢の火を以て大砲を鑄造せんとするが如き架空の企を爲す
者さへなきにあらざれば唯書面上の文字を信じて其爲すがまゝに任ず可らず尚ほ此上にも
永年の間に我輩の掛念を云へば今日の勢に從ひ全國の所々方々に鐵道を敷設して竣功に及
び一時に運輸の便を開くときは人民の便利は則ち便利なれども各地人口の疎密工商の盛否
に由り運輸の營業に収益少なくして失望するものもある可し營業に利益なければ費用を節
減して會社を維持するの外に妙案ある可らず扨此一段に至り社員の給料を減じ雜費を省く
が如きは誠に無疵の方略なれども事情次第に迫まりて止むを得ざる塲合に於ては軌道車輛
等の修繕をも怠り或は技師機關師の給料を少なくして第二流第三流の人物を雇入れ萬事不
行屆にして時に言ふ可らざるの大事變も測る可らず軌道車輛に口なし假令へ其内實に損所
あるも自から其損所を訴へざるが故に錢に窮する鐵道會社は日一日に之を不問に附し技師
機關師は少給の拙工にして之を見出すの眼なく遂に無數の人命財産を空ふするが如きは隨
分事實にある可き例なり數年前諸方の海河に小蒸汽船の一時に流行したるとき其蒸汽機關
の取扱に學問上傳習の技師とては甚だ稀にして之を素人の手に任じ尋常一樣の鍛冶屋と湯
屋の火焚が向八巻にて蒸汽船を指揮したることあり實に恐る可き事ならずや我輩は今後の
鐵道に向ても同樣の恐怖を抱く者なれば今度の條例に鐵道局長官が私設鐵道の敷設中又そ
の開業の後も監査員を派遣して危險の有無を監査せしめて改築修理を命ずるは最も當を得
たるものと云ふ可し次に第二十五條に鐵道局長官は公衆の安寧のため官有鐵道に實施する
事物は會社に命じて之を施設せしむと云ひ又第二十七條に官設鐵道に施行する規則は私設
鐵道にも亦適用す可しとあるは文面に於て少しも無理ならぬことなれども官の御用と私の
營業とは自から趣を異にして其會計の法に大なる差別あるものなれば其實施する事物も施
行する規則も事の實際に妨なき限りは私設會社に許すに商賣上の自由を以てせんこと我輩
の冀望する所なり次に第二十九條の中に下等旅客運賃額は一哩に付金一錢五厘の割合を超
過することを得ずとあるは我輩の甚だ賛成する所にして其實は一哩一錢以下にもせんとは
豫て我輩の持論なれども夫れは兎も角も今度一錢五厘以下と定まりたる上は現在の官設私
設鐵道の運賃を此條例の旨に從はしむるも亦當然のことなる可し例へば東京横濱の鐡道十
八哩下等旅客の運賃額は金三十錢にして其割合一哩一錢五厘よりも高し日本鐵道會社にて
も其運賃の割合は大抵京濱鐵道に傚ひたるものゝ如し是亦至急その改正を命じて然る可き
ことゝ信ずるなり