「九州鐵道會社に質す」
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本文
九州鐵道會社に質す
豫て設立の目論見ありたる九州鐵道會社は頃日その筋より許可の内訓も有り遠からず公然
の沙汰に成るべき運びの由にて既に同會社よりは軌條その他の品物を獨逸國へ向けて注文
したりとの風説なり設立事業の斯く速に捗取らんこと誠に喜ぶに堪えたれども其の鐵道を
英國〓〓は米國に注文せずして縁故の遠き獨逸國に誂へたりとの一事に至りては我輩に於
て大に異存無きこと能はず或は此風説も眞の訛傳にして事實取るに足らざるものと判然せ
ば別段論ずるほどの要用は無けれども實否は扨置き苟めにも斯る風説の世に流布して信あ
るの間は漫然局外に看過すべきに非ざるなり盖し國交際の上に於ては日本の眼中に映する
邦國彼れ誰れの區別を見ず英も佛も獨も米も永く同等に附合ひして少しの偏頗も無らんこ
と固より以て我輩の所望なれども交際と商賣とは又全く別事にして金錢に當りては他人に
讓らず如何に國交際の都合は有りとも之れに遠慮して枉げて商賣を營むが如きは甚だ謂は
れ無き事に非ずや九州鐵道會社は官府より當分の内利子の貸補あるものなれども實は純然
たる私立の事業にして會社營業の利益を計らば其興業費の廉にして兼て又工事の堅牢利便
を要するは勿論なるに之を英米の諸國に求めずして故なく獨逸國に求めたりとは我輩に於
て其所見を知るに苦しむなり何人も知れる如く英は製鐵の業に有名なる國にして其軌條の
萬國に冠たるは世界に於て爭ふ可らず又鐵道に使用する車輛の製作に至りては米國を以て
第一とする事是れも西洋の定論にして英軌米軍の此二つは他の邦國にて所詮模擬す可らず
と爲すは豫て我輩の聞知し居たる事實なれども獨逸の軌條、獨逸の車これに比して何等の
出色あるやを覺えず例へば日本國が今日迄に使用したる軌條の如きものも皆彼の有名なる
英國の製品にて鐵道の開闢この方日本に輸入したるレールは幾百萬本と云ふ數を知らず然
るに之を英國より船積みして日本の港に陸上げし彌々地平に敷設する其れ迄には様々なる
手荒の扱ひに遇へども折れたり缺けたり抔して破損不用を生ずるものは皆無とも云ふべき
有樣にて十有餘年の經驗、英國軌條の堅牢なる實に驚くに堪えたりと又いよいよ敷設して
汽關車客車の運轉の圓滑にして更に又持續力の多きも著名なれども獨逸製の軌條に至りて
は决して之に及ばずして時として下ることも有りと聞けり車とても同じことにてその構造
の堅固より見るも將た運轉の利便より評するも米國の車第一にて若し強て其説を立てたら
ば英製の車これと伯仲すると稱するは可ならんなれども獨逸の車を以て一飛して之を米英
の上に置かんとは思ひも寄らざる珍事なり九州鐵道會社は斯る明白の事實あるにも拘はら
ず漫に獨逸國に其注文を爲したるの底意解し難しと評するの外無し
尤も商賣の法に於て品質は疎末なれども暫く値段の廉なるを撰むといふの便宜無きにも非
ず若し獨逸製の軌條車輛値段の點にて英米に優れるの事實もあらば九州鐵道會社が是れを
捨てゝ彼を取りたるは一理ある經濟なれども我輩に於ては又其事由を看出す能はず實際の
處に於てレールなり車なり獨逸製の品が英米の製よりも廉價ならざるは隠れ無き事實にし
て或は時として却て不廉なる塲合も有らんと云へり例へば米國鐵道の軌條は米國人自ら之
を作らずして過半を英國に仰ふぎ或は時に米國製の車亦英國に入ること有るは其價の點に
相違の存する所以にして若し獨逸製の軌車與に廉價ならば海を踰えて英米國に渉るの例し
もある可きなれども爰に論より證據と申すは英國人等が大陸に渡りて其鐵道工事を引受け
たるは毎度の話しにて軌條を賣り、車を賣り、大陸の鐵道は其獨佛露墺なるに論なく亦皆
英を摸範にして成りたるなれども之に反して獨逸の鐵道が外國に渡りたる例しの無きは勿
論、同じ大陸の中に於ても獨逸人が其工事を外國に擔當したる塲合の有無我輩の未だ聞き
得ざる所なり又假りに一歩を曲げ獨逸の鐵道は英米の二國より別段高價ならずとするも爰
に日本を限りて勢ひ不廉に上らざるを得ざる事情の有るは今日まで我國の鐵道は專ら英米
に法り來りて軌條機關車客車荷車一切の物、英に非ざれば米と云ふの有樣なるが故その取
引多年の經歴に於て製造元の都合も附き、割合廉價にして其仕上げを得る利便あるに今日
九州鐵道會社は此利便をも利用せずして突然舊來に縁故の無き獨逸國に注文したり新規雙
方の花客互ひの信用もあらざるに初對面より莫大の取引を爲すその間に射利懸引の狡猾は
行はれずとするも製造元の利益に於て日本新花客の注文、云はば寸法も格好も悉く新規に
して新規特色の製作とあれば理に於て其價も不廉なるを免る可らず
右の如く鐵道の品柄と云ひ値段と云ひ獨逸製の英米製に比して及ばざるの遠きは疑ふ可ら
ざるの事實なりとして偖九州鐵道會社が其一切の注文を獨逸國に爲したりとの風説に接し
ては我輩は之を默々に附する能はず尤も九州鐵道會社は我輩に於て何等の縁由も無き社中
にして其利害損得の事の如きも全く社の隨意に任せて可なりと雖も爰に日本國の爲めとし
て考へ又日本國民の一部分たる我輩の資格より論ずれば聊か右會社の失計を咎めざるを得
ざるなり夫れも國内同士の商賣にして賣る者も買ふ者も與に日本人の肩書を有するに於て
は甲の益乙の損此兩人の間にこそ相違は有るなれ日本國經濟の全面を差渡しては少しも變
動の無き事柄にて例へば九州の金が北國に移りて北國の品物代つて九州に來るまでの取引
なれども一歩海外に履み出して西洋との商賣に至りては一文にても故なきに之を出すは我
れの損ならざる無し左れば九州鐵道會社が其注文を獨逸國に爲したる如きも其品製造の不
便利なる隨て其價の不廉なる間接に直接に夫れ丈は故無きに日本の金を海外に散らして詰
り國の不利を釀すの道理にて日本の爲めに不信切の所業なりと謂はざる可らず尤も九州鐵
道會社の考へは敢て其邊に頓着無しと謂ふなれば今は夫れ迄のことなれども眞實日本の國
を愛して長計を立てんとならば右の注文の一條は早く廢止として從來の鐵道と與共悉皆之
を英米の二國に仰ふぎ軌條は英國、車輛は米國また建築師の入用もあらば同く亞米利加よ
り聘すると云ふが如く颯々と國益社益の一點より男子らしき公明の所業あらん事、我輩日
本人の資格として遠慮なく今の九州鐵道會社に勸告するなり