「九州鐵道を廣軌道にするの説」
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本文
九州鐵道を廣軌道にするの説
徃時西洋諸國にて鐵道軌道の廣狹利害論を生じ或は仕來りの狹軌道を可とし或は又新式の
廣軌道に左袒し一時其向きの人の論柄と爲りしことありしが今日に至りては實驗上與論の
方向を一定して廣軌道論の方が獨り全勝を占むることとは爲れり盖し鐵道創設の當時に在
りては人間の思想も頓に發達す可きに非ず車と云へば先づ馬車の邊に心を寄せ從來の馬車
を少しく廣くし又長くするなどの考にて汽車を構造したるが故に都て其仕組の小なるも謂
れなきにあらず且その時代に歐米諸國の軍事殖産等社會萬般の事業は規模未だ甚だ大なら
ず隨て此社會の用に供する鐵道の如きも狹軌の組織を以て之れに應ずることを得たりしな
らんと雖ども世事の進歩に打連れて鐵道事業も亦追々に進歩するに隨ひ狹軌道にては迚も
其用に應ずる能はざることを發見して遂に廣軌道説に傾きたるものなる可し狹軌道論者の
説にては廣軌道は之を敷設するに多くの面積と經費とを要して鐵道經濟上其宜しきに適す
るものに非ず云々と主張するものゝ如し如何さま軌道廣ければ廣き程に其線路の面積も増
し亦隨て之を敷設するの經費を増すは固より論を俟たざれとも苟も鐵道を敷設する以上は
鐵道堤の幅員に相應の餘地を存せざる可らざるが故に軌道の廣狹如何に因りて格別に其幅
員を増減するの要もなく又六呎の軌道を敷設するには三呎の軌道に倍するの經費を要すと
云へる割合のものにも非ざれば敷設工事費用の一點より一概に廣軌道を擯斥するは盖し通
論に非ざる可し之に反して今廣軌道の利益如何と云へば軌道の幅員の廣きが爲めに列車の
据り方安全にして顛覆逸出の危險少なく列車の大なるに連れて車輪を大にすることを得る
が故に汽車の速力を増すの便宜もあり軍國交通の都合より云へばイザ事ありと云ふに當り
て武器銃砲等重量の荷物を運搬することを得るの利益もあるが故に新に鐵道を敷設するの
塲合には何れの國にても大概廣軌道の制を採用し現に米國などにては軌道の幅員を四呎八
吋とし濠洲地方にては之を五呎と定めたりと云ふ、事情此の如くにして世界各國追々廣軌
道を採用する其際に我政府にては今度私立鐵道條例を發布して軌道の幅員を三呎六吋と定
め即ち狹軌道の制を採られたり意ふに我政府中鐵道事業の局に當る人々は彼の狹軌道説は
既に時候後れにして今日世界の鐵道論は孰れも皆な廣軌道を賛成することを知らざるに非
ざるならんなれども我國にて今日既成の鐵道は孰れも狹軌道なるが故に今新に廣軌道を敷
設しては新舊線路の接續に不都合の〓少なからず此不都合を避けんが爲めには新設の鐵道
も強て之を狹軌制に限るの外なし云々とて扨てこそ狹軌道を採用したるものにてもあらん
か誠に是非もなき次第にして今更議論も無用なれども我政府にて實は世界の通論に同して
廣軌道に左袒するの底意もあらんにはセメテ九州鐵道丈けも特別に廣軌道制を採用しては
如何と思はるゝなり其向きの人の説に據るに今後九州鐵道も成り山陽道鐵道も亦馬關に達
したる處にて爰に一帯の海峡あり鐵道の兩端を接續せんとすれば其上に鐵橋を架けざる可
らざれども此間潮流甚だ急にして距離も亦餘り近からざれば架橋の工事は先づ以て斷念せ
ざる可らず或は水の兩岸に鉅大なる汽船を具へ置きて雙方より列車の到着するを合圖に其
儘列車を搭載して互に彼岸に達するなどの工風は西洋諸國にて徃々見聞する所なりと云へ
ども馬關の海峡に於て斯る手際を示すことは中々容易ならざる可しとの事なり果して然ら
んには九州鐵道は九州獨立の鐵道にして馬關海峽を踰えて其列車を本地に移轉することは
盖し望んで得べからざることならん斯くて鐵道區劃より視れば九州は獨立獨歩の區劃にし
て然かも今日まで未だ既成の鐵道もあらざるものなりとすれば舊鐵道の軌道を目當てとし
て枉げて狹軌道の制を採用するの必要もなく唯世界の實驗上に於て最も便利なる軌道制を
考定して直に之を採る可きのみ但し我政府の筋に於て今度狹軌道制を採用したるは別に大
に見る所ありしが故のみならず或は九州と本地との間にも容易に鐵道の聯絡を通ずること
を得べしとの成算もあらば我輩は更に其所説を勘考して重ねて所見を陳ずるの覺悟なれど
も若し左もなくして九州丈けは獨立の鐵道區劃と見做すの意ならんには我輩はセメテこの
鐵道丈けは文明諸國の鐵道に傚ふて特別に之れを廣軌道制に定められては如何んと敢て希
望する所なり