「西洋の貴族」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「西洋の貴族」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

西洋の貴族

西洋貴族の品格を分つ時は凡そ之を三種類に爲すことを得べしと云へり第一は日耳曼風の貴族第二は佛蘭西風の貴族第三は英吉利風の貴族にして各自互に其品類を殊にするが如し先づ第一に日耳曼の貴族と申すは其以前は兎も角今日の所に於ては勢力も無く資産も無く唯古來より其家に傳はりたる格式を保つより外に考へを有せず其以前、墺地利が日耳曼の聯邦議會に權力を振ひたる當時に在りては日耳曼貴族は悉くその威力に苦められて尋で今の普魯西が日耳曼帝國を建立したる其以來も一層勢力を失して今は殆んど見る蔭も無き零落に陷り一口に日耳曼公子と稱すれば日本にて噂さしたる公卿の位倒れと云ふが如き意味に彷彿たり次に佛蘭西の貴族は今はその王政と與に亡びて痕迹無けれども其以前に於ては財産も裕かにして權威も強く佛國の社會に在りては最も力を展ばしたる種族なれども如何にせん奢侈贅澤にして肉體の慾に其心を奪はれ自身は王室を抉翼すべきの地位に在りながら却て人民を壓して寧ろ王室の爲めに其怨みを媒助し一朝革命の變起りて王室貴族同時に顛覆したるは他に原因も有るべきなれども貴族の不始末其勢ひを助け成したるは疑ふべき事實に非ず盖し貴族は社會に關係の薄からざる一の階級にして若し其一族の行爲が人民の利害と反馳する塲合に於ては忽ちにして佛蘭西流の貴族と爲るべく去迚才能も無く資産も無く漫に自家の品位門閥に己惚れんとすれば又日耳曼公子の嘲けりを免かる可らず貴族が其一身を處するの道實に至難と申すべきなり

然るに英國の貴族は之れに反して王室と人民の中間に立ち一族相應の權威は有りながら左りとて人民を壓抑する丈けの獨力も無く又王權に向て侵掠を試むるの譯にも往かず一種言ふ可らざるの局所に己れの地歩を占めて八百年來國家の藩塀として永くその信用を失はざるは亦た故無きに非ざるなり尤も英國貴族の弊惡に就て之を言へば非難すべきの箇條決して尠からず其社會上流の權力を握りながら依然として封建の餘習を存し世の進歩に伴はざる如きも亦箇條の一つにして特に新貴族か舊華族の舊風の爲めに毎々其新色を失ふの次第は我輩前號に於て之れを陳述して聊か日本の新華族に此の覆轍を踏むこと無からしめんとの婆心を勸告したれども害は害、利は利にして別ものなり英國貴族がその社會を利益する點より言へば又大に賞すべき處も無きに非ずと申すその次第は第一に凡そ人事の交際に關しては官民公私貧富貴賤のその間に互ひの情意通ぜずして謂ゆる不調和軋轢の端を發するの恐れあれ共英國の貴族は身を社會交際の北辰として其不調和を預防するの働き尋常に非ざるなり例へば皇室と人民との關係の如きは遠く隔てゝ相眺むれば一は尊嚴にして一は卑賤の懸隔ありて近づき難きに似たれども貴族の邸の宴席にては親王も來り商人も來り各自手を把り歡を盡して一堂の中に婆姿〓〓すれば其間に春如海の慶色溢ふれて自から昇平歡樂の氣象を添ふべし或は政黨々派東西に相分れて人事の交際隨て隔絶する其際中、貴族が樣々なる人士を會して政論外に互ひの胸宇を開き清談放話すれば敵なく又味方なく將た其官たり民たるを問ふに進める可らず是等は社會上流の交際に付ての話しなれども右の外に貴族は地方に土地を所有し譬へば毎年十二月の耶蘇祭日と云ふ如き吉辰には各其地方に趣きて領内の人民を呼び聚め盛大なる宴會を張りて之を饗應する事、一般の習ひなり左れば領内の人民も斯る饗宴をば心待ちに待構へて其待遇の優なるほどに倍々歡情を盡して貴族を迎へ、貴族も亦その人望を收めんことを欲して交際を怠らざるが故に上下の親睦次第に親密なりと云へり或はその以下に及びては各寺領内に會堂を設け救育所を起し又は小學校を作りて貧民子弟の幸福を進むる爲めの善根を施し或は文人學士を招聘してはその誨えを聞き或は工學技藝の人を尊敬してはこれに工業土木の事を托する等凡そ英國の貴族がその交際贅澤の樂みを無益にせずして政治社會學問社會上下公私官民尊卑に普くその利澤を及ぼすは之れを日本の華族等に比して著しき相違の有ること事實に於て蔽ふ可らず又第二に英國貴族の出色とする所はその婚姻の法に貴族めきたる制限なく、平民社會の女子を娶ること自由なるに在り同國に一侯一貴女と云へる言葉あり盖し女子生れて上流の教育を受け品行高尚にして所謂レデーの資格を有する者にさへあれば相撰んで貴族に配偶するを得べく貴族も亦これを娶りて憚らざるの意味ならんに之に反して日耳曼の貴族は家の貧寒なるにも拘はらず今に同族相婚の舊法を守りて小天地に得々たるものゝ如し今この二國の貴族を並べて日本の華族は何れの方に似たるやと尋れば素より日耳曼風にして其の婚姻の法甚だ易からず維新以來四民同權とて法律上には結婚自由なれども其むかしは上士と下士との縁組さへ許されざりし程にして今日に於ても平民の娘が華族の家に嫁するが如きは習慣の禁ずる所なり抑も同族婚姻の事は遺傳の法に於て人種を虚弱無能ならしむるの害甚しきものにして大名侯伯正室の夫人に生れたる兒子の薄弱なるは三百年間徳川の治世に就てもその實を見る可し婚姻の區域いよいよ狭くしていよいよ不利なりと雖ども一國固有の習慣は容易に破る可らざるものならんのみ英國婚姻法の自由にして束縛なきは日耳曼貴族の冷笑する處なる由なれ共其遺傳血統を新鮮にして有爲の人物を造るには我輩は大に英國貴族の風習を贊成するなり要するに交際及び婚姻の兩事、日本今日の華族に取りてはその遠く英國の貴族に及ばざるは勿論或は將來の成行一つにては王室と人民の間に立つべき正當の務めを外れて萬々佛蘭西の貴族たるべき恐れは無きも尚ほ或は日耳曼貴族の風氣に浸漸して己れを悟らざる無きを期す可らず、英國の貴族欠點無きに非ずと雖ども其〓點の存せざる處に於ては日本の華族は寧ろ英國風の貴族として永く帝室と人民の中間に温和の地歩を占めんこと國の爲めに偏に希望して已まざるなり