「東洋政治家に一言を呈す」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「東洋政治家に一言を呈す」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

東洋政治家に一言を呈す

西洋文明民政の國柄にては位地高く權力大に富貴圓滿何に不足なき政治家が其職位に安んじて民の怨望を受けざること決して珍らしからざれども東洋諸國の政治家にして富貴圓滿然かも政治の實權を握るものは久しからずして人民の怨府と爲り毀誉百端其終りを全ふすること能はざるもの多きが如し盖し文明民政の國にては人民多數の意望に因りて時の政治家を撰拔し之れに政權を授くるの趣向なれば人民は其政治家が出來べき丈けの勢力を振ふて己の意望を達せんことを欲し兼ねて贔負の政治家が順流得意の境遇に在るを見れば己れも亦其歡樂を分有するが如き思ひを爲し逆流失意の人々も他日取て之れに代れば己れも亦其境遇に立つことを得べしと信じて徒らに之れを嫉視するものあることなし東洋諸國の政治家は其事情稍や之れに異なりと申すは元來此流の人々は人民の意望を以て撰擧したるものに非ず武勲文功其立身は樣々なれども要するに一事の勲功に因りて時の政府中に其位地を占めたるものなれば人民は其進退の事に與からずして遙かに之れを傍觀するの趣きあり即ち當路の政治家が錦衣玉食唯我獨尊公然其榮華を誇示するを見て己れ其歡樂を分有するの想ひを爲さゞるのみならず窃かに之れを嫉視して其失敗を祈るの念を生ずるは人間の弱點亦是非もなき事共なり左れば東洋諸國の如く政治家の進退人民の意望に出でざる國柄にては政治家たるものも亦自から之れに處するの工風を案じ正面より人民怨〓の衝に當らざるの覺悟こそ肝要なれ即ち其素行に於て富んで奢らず貴ふして高ぶらず一種尋常人に異なる所を存して公衆をして其の人と爲りに感ぜしむるの鹽梅加減なかる可からざるなり例へば位地權力重大にして車馬第宅飲食奉御都べて善美を極む可き身分にありながら質素勤儉を旨として嘗て外形の修飾に頓着せざるが如き或は又滔々たる濁世界に在りて内行嚴粛凛然として犯す可からざるが如き固より政治家の私德の一部分たるに過ぎざれども政治社會の人の同情を引き起して我を欽慕するの念を生ぜしむるものは盖し此邊に縁因すること多きものゝ如し古來東洋政治家の傳を見るに明哲身を保ち始終國民の心を得たるものは富貴圓滿の其中にも或は緩流急退の策に出で功名赫々の其身にて身後に贍石の貯なく或は政治の實權を握りながら故らに其名聞を披露せず己れは物蔭に潜み居りて窃かに他の人形を操る等孰れも人民怨〓の衝に當ることを避けざるものあることなし即ち西洋の民撰政治家と東洋の自進政治家とは人民の之れに對する感情に異同あるが故に東洋の政治家は自から其位地の何たるを知りて之れに處するの工風を講ずること最も肝要の事なるべし現に西洋諸國の中にても獨逸の如き國柄にては政治家の進退必ずしも民意に出でざるが故に心ある政治家は自から其品行擧動に注意して民心の不平を引き起さゞることを勉むる由なり前年日本の官人某氏が獨逸に至りて大宰相ビスマルク公を訪問したる其折窃かに室内を見渡すに飾附萬端質素にして普佛戰爭の際の分取品其他粗大なる器具を室隅に陳列する位に過ぎざれば某氏は談話の序に戯れに公に問ふて大國の宰相、何を求めてか得ざらん只今御見受け申す處にては如何にも質素の御暮し向き不審千萬に存ずれども故こそあらめ承知仕らんと述べたるに公は徐に之れに答へて其文武の勲功なるに因り長くも我皇帝陛下の恩寵を蒙りて多年現在の職位に在れども此職位は滿天下の人の羨望する所なれば之れに居りて豪華歡樂を競ふに於ては其の一身忽ち人民の怨府と爲り陛下の寵遇に答ふることさへ覺束なき次第なれば見らるゝ如く萬事勤儉を旨とする儀にて候云々と語りたる由果して事實談なりや否は姑く置き政治家として世に立たんものは此邊の勘辨と忍耐なくしては叶はぬ事なり仕官して將相に至り富貴にして歡樂を極め車馬第宅其觀を張りて置酒高會四隣を驚かすは人情の榮とする所ならんと雖ども政治の實權を握りて兼ねて又佚樂塲の風流權を握り凡俗の榮華を一身に咲かせて一時の盛を誇るときは盛名の下、酷評多く果ては其終りを全ふすること能はざるに至らん畢竟人心の趨勢を察して之れに順應するの妙用を欠き興に乗じて兒戯の榮華に迷惑するが故ならんのみ東洋の政治家にして明哲其位地を全ふせんとするものは大に自から覺悟する所なかる可らざるなり