「生絲需用將來の望み (前號の續き)」

last updated: 2019-09-29

このページについて

時事新報に掲載された「生絲需用將來の望み (前號の續き)」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

世界中一箇年間蠶絲の生産額果して幾何なるべきや詳細の事は知る可らずと雖も佛國里昂蠶絲共會の報告に依れば其額九百萬基内外にして平均日本産の斤數一千五百萬斤(百六十匁一斤)以上ならんと云へり尤も此中にて日本支那の兩國はその輸出額を以て直ちに生産額と看〓したる由なれば若しも此兩國が自國に作りて自國に用ゆる其額面をも合はせたらんには世界中蠶絲の生産は非常の數に上るべきなれども日本と云ひ支那と云ひ統計の材料不完全なるが故に其儘にして爰に千八百八十年より同四年に至る世界中毎年生絲の産出額を掲ること左の如し

千八百八十年    一〇、五五四、三五〇基

同 八十一年     九、四七〇、三七〇基

同 八十二年     九、三九八、〇〇〇基

同 八十三年    一〇、〇四八、〇〇〇基

同 八十四年     九、三一五、〇〇〇基

五年間平均      九、七五七、八一〇基

斯の如く方今世界の生絲生産額は一箇年大數九百萬基より一千萬基の間を往來するものとして其平均の相塲は一基凡そ六十法内外なり此價格は十九世紀の第一年即ち千八百一年より引續き今日に至る八十餘年の其間歐洲の市塲に持ち續き、前後相比して變動の無かりし事例は既に前號の紙上に記したる如くなるが偖て又八十年の同じ歳月に世界中の生絲年年の生産額、取分け歐米にて消費したる其全額は統計に乏しくして詳かなるを知る能はずと雖も之を算用するに又一法あり即ち日本支那より西洋に生絲の輸出を始めたる其以前と以後とを比較せば粗ぼ割合を探り得んかと思はるるが故に既往五年の成迹に就て之を見れば

日本輸出額      支那輸出額

基          基

千八百八十年  一、一四五、〇〇〇  四、五八八、〇〇〇

同 八十一年  一、〇九〇、〇〇〇  三、四二八、〇〇〇

同 八十二年  一、四三六、〇〇〇  三、四五四、〇〇〇

同 八十三年  一、五五五、〇〇〇  三、〇二一、〇〇〇

同 八十四年  一、四八四、〇〇〇  三、三七三、〇〇〇

但し此輸出の額面は日本に在りては横濱の一港、支那に在りては上海廣東の二港より出でたるもののみを算用したり其他日支兩國の諸港中亦生絲を輸出するの所無きに非ずと雖も此算は孰れも僅少の額にして取て論ずるに足らざれば先づ前記の額面を以て假りに右兩國の總輸出額を表するものとして之を全世界の産出額に比較するに

日支兩國輸出總計    全世界産額

基  百分の比例

千八百八十年  五、七三三、〇〇〇  五割四分三厘

同 八十一年  四、五一八、〇〇〇  四割七分七厘

同 八十二年  四、八九〇、〇〇〇  五割二分

同 八十三年  四、五七六、〇〇〇  四割五分五厘

同 八十四年  四、八五七、〇〇〇  五割二分一厘

右の如く今日の形状に於て日支兩國生絲の輸出は殆んど全世界の産額の半ばを占むる勢にして此外に伊太利佛蘭西瑞西墺地利その他歐洲の諸國亦多少の生産無きに非ずと雖も日支兩國の産額に比して少なきは言はずして明なり然るに支那が公然と其海外の貿易を開きたるは今を距る四十餘年即ち道光二十年の前後にして之より先に尚ほ多少の貿易は有りしと云ふものの要するに〓〓〓〓の類多くして英國人が阿片烟を〓りたる如き〓〓く可らず又日本の〓〓は嘉永年度にして此れも今日〓〓の星霜僅か三十年に足らずしてその以前には〓〓日本と〓〓との〓〓取引も先づ絶無の姿ならん〓つて〓〓貿易の一事も〓今日を〓したるは全く此四十年來の成迹なりと云はざる可らず尤も支那に於ては日本と違ひ道光開國の以前より早く既に生絲を海外に輸出したりと云ふ由なれども何敷く法網を潛りての商法なれば其取引の微微たる事亦想ふべきなり斯る次第なれば日支貿易の開けて以來西洋市塲生絲の供給は此四十年間に凡そ其數を二倍にしたる割合にて、若し世の論者の言の如く生絲の價格が年年その産額の増加に應じて下落するの恐れ有りとせば歐洲の生絲相塲は同じく此四十年間に以前の半に下落し例へば千八百四十年に一基六十八法のものならば千八百八十年には三十四法に引下がりて當然の筈なれども實際は少しも然らずして更に尚ほ八十年以前と同一の價格を維持するは如何なる故ぞや是れ西洋市塲生絲の需要がその人口の繁殖、民富の増加と與に共に進捗して其間に生絲産額の供給過溢を感ぜざりし明白の證據に非ずや又日本支那の事は別としても十九世紀の當初より引續き今日に至るまで他の世界の養蠶地に於ても其産額は日支同樣に増加したることならん歐洲に於ては伊太利佛蘭西西班牙を始めとし墺地利匂牙利瑞西アルジエリーの諸國又東方諸邦に至りてはアドリヤノブル、シシリー或は希臘等中央亞細亞の國國より東印度カルコツタの邊に至るまで其養蠶の業に着目し始めたるは漸く四五十年以來の事にして獨り此諸國の産出額を論ずるも現世紀の始めと今日とにては必ず非常の増加を來したるに相違無からん故に之を聚め彼れを合はせて熟熟既往八十年間の生絲産額を計算したらば二倍は愚ろか三倍又四倍の増加あらんも知る可らずと雖も數の上の考へは兎角臆測勝ちにして時に誤りも有るものなれば我輩は直ちに之を取て本論の負けと爲すを望まず唯前條條の事實を證して今後將來西洋の文明進み民富増して併せて人口の繁殖已まずとすれば生絲の需用は相變らず増進して其價格を維持するに屈強なるのみか尚ほ更に多額の産出を要すべしとの論素を作らんと欲するなれども中には之れに又疑念を挾み既往八十年の事は兎も角も今日の處に於ては歐米生絲の需要は既に巳に滿盈に達したるの勢にして今後の成行き或は唯缺くる一方のみならんと言ふ人の有らんも知れずと雖も我輩は更に後號の紙上に於て獨りその疑ひの無用なるのみならず將來の市塲は既往の八十年に比して幾層か上級の望みある次第を陳じ以て■(きへん+「巳」)憂者にその安心を與へんと欲するものなり               (未完)