「 政畧公示の擧を望む」

last updated: 2019-09-29

このページについて

時事新報に掲載された「 政畧公示の擧を望む」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

政畧公示の擧を望む

明治十八年の末我政府が大改革を施し内閣總理大臣を置て政府全體の責を一人に歸し一人の號令を以て全體を運動するの都合と爲るや此改革は日本の政府をして文明政治に一歩を近くせしめたるものにして是より以後は政府各省の方向も一に歸し政畧公示の運びにも至るべしとて我輩は世人と共に之を嘆美しつゝある間もなく總理大臣は官守を明にし選叙を慎み繁文を省き冗費を節し規律を嚴にする等政府の事務を整理する五箇條の綱領を定め之を各省大臣に達し斯くて後其達文を官報に掲載したれば我々人民も間接に之を一覧することを得たれども右五箇條の綱領は云はゞ政府中の内規に屬するものにして政府の事務上より區別すれば公の部分にはあらずして寧ろ私の部分に屬するものなれば我輩は當時望蜀の念を起して偏に新内閣の政略如何を知らんことを望むとて發言したることあり抑も今の内閣は純然たる政黨内閣の資格を具へずして或は歩み合ひの説を以て事を處分するが如き趣なきにも非ずなど云へる事情ありしが爲めに歳月匇々伊藤内閣組織以來今ははや足掛け三年の久しきに渉れども政府が其政畧を公示するの擧に於て未だ我輩の望を滿足すること能はざるは我輩の平常遺憾とする所なり凡そ何れの國にても政黨論の初發には其黨の主義意向を代表せんが爲めに自由黨又たは保守黨など云へる名義を附け自由とは箇樣箇樣の意味にして保守とは云々の理由なりとて其名義論の爭に忙はしきを常とすれども實際の政治に關しては自由黨の議論思ひの外に不自由にして保守黨必ずしも保守ならざるの塲合少なからず英國の碩學スペンセル氏の如きも近頃新王權黨論を著はして英國王權黨の變〓を叙し政黨の名と實と次第に其趣を異にするの有樣を示したることあり要するに漠然たる名義論は啻に實際に縁なきのみならず畢竟無益の爭なるが故に政治家は成る可く其論點を實地に指して時の大疑問大政畧に就て其平生の薀貯を發揮して以て其黨論の異同する所を示すこと肝要ならん左ればにや文明國の政治家は時の問題に對して其政略を明にし政府の意の所在を示して可否を輿論に問ふを常とし現に英國などにては内閣の交迭ある毎に新政府は前政府の政略の非を示して己れの政略の正を明にせざる可らざるが故に政府が其政畧を示すは勿論、或は未だ交迭なくして在野の位地に立つ時にても現政府に反對する者は自家の方向を公示するの慣行にして在朝在野權要の人が何舘の宴會何地の集會に出席し百千人の耳目に對して其内閣若くは其黨派を代表し公然其意見を演説すれば世上にては其意見を認めて之を内閣若くは或る黨派の意見なりとし之れを電報し之を

郵〓し新聞紙上にも掲載して論敵は之を攻撃し政友は之を〓〓し遂に其可否を輿論に問ふて最後の批判を仰ぐことなりと云へり即ち文明國の政治上に政畧公示の大切なる所以にして我政府の如きも文明政治に一歩を近くしたる上からは是非とも其政略を公示するの覺悟なくては叶はぬ事ならんと思はるゝなり將又明治二十年の今日、我日本國の政治上一般國民の前以て開知せんする者甚だ多き其中にも二十三年國會憲法の精神は如何、議院は二局を要するか、上院は何程の人物を以て組織するか、下院議員の撰擧並に被撰權は何を目當てとして決す可きか凡そ此邊の意見議論は國民の前以て開知して前以て討究せんとする所なるべし其他軍政財政は勿論或は外交政略に就ても事の極機密に屬せざる部分は其向きの人々に於て折りに觸れ機に投じて遠慮なく之を公示するあらんこと我輩の希望する所なり伊藤内閣の組織以來今日に至るまで足掛け三年を經たり三年鳴かず鳴けば必ず人を驚かすものある可し我輩の聞かんと欲する所なり