「佛國新内閣の運命」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「佛國新内閣の運命」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

佛國新内閣の運命

去月十七日佛國の内閣が下議院にて敗を取り首相ゴブレー氏辭職して尋でルビエー氏が新政府を組織したる事の次第は都度の電報にて知れたれ共只だ電文簡にして交迭の原因を詳かにする能はざりしに今回米國郵船の齎したる巴里發の詳報に接して漸く其始終を承知したり即ち其交迭の次第と申すは先づ内閣大臣ゴブレー氏が増税案を提出したるを第一歩として下議院は討議の末二百五十九に對する二百七十五の多數を以て其案を否決したるに付ゴブレー氏は所詮これにては望みなしと即座に閣員を引連れて議塲を退き辭表を大統領に呈し夫れより樣々の行筋はありたる容子なれども遂にルビエー氏が代て政府を組織したる迄の落着なり此ルビエー氏と云へるは下議院の歳計豫算委員長の由にて政府の増税案に反對したる巨魁の一人なれば今回佛國内閣の交迭を一口に評すれば増税黨が敗北して減税黨これに代りたるの事相と稱して可ならん偖又何故にゴブレー氏の内閣が増税案を議院に提出したりやと云ふに是れは兵備擴張の爲めなり言葉を替へて之を言へば日耳曼に備ふるの目的に出でたるは明白の事實にして就中前内閣にはブーランゼー將軍の如き主戰主義の閣員あり將軍の考へに於ては首座大臣ゴブレー氏の兵備議案は不滿足なり此上幾層の擴張を〓りて更に本年の秋季に兵帥の大?閲を行ふ其費用までを下議院に要求せんとするの議を起したるにゴブレー氏は之を以て過分なりと爲し其議を排棄したるに拘はらず將軍が全國民の威望〓んにしてゴブレー氏も之れを持餘したるは皆人の知る所なり故にゴブレー氏はブーランゼー將軍に比して平和主義の政治家たる事判然たるに此人にして尚ほ且つ今回の失敗を招きたりとすれば佛國の下議院は非常の平和論に傾きたる者にして彼の殊死仇讐の日耳曼に對しセダンの大耻辱を雪がんとする熱心勇氣或は頓挫したるやの疑ひ無きに非ざるなり果して然らば歐洲の平和の爲めには大に祝すべきの次第なれ共熟々佛國の實状を視察し又之を其國既往の歴史に〓するに中々以て然る譯に往かざるのみか或は今回の反働として輕〓なる佛朗西人は更に他の極端に奔馳する無きを期せざるなり下議院が増税案を否決したりと云ふを以て是れは佛國の人民が平和を希望するの兆候なりと解釋するは抑も又佛國を知らざるの議論にして下議院の利害と國民の希望と相伴はざるの甚だしきは却て驚くほどの次第あるなり佛國は數度の革命にも遭遇して其都度政權は一般人民の手に推移りて即ち今日に最多數の輿論政治を行ふは宣けれども爰に不都合なるは納税者の利害が多數の輿論政治と一轍に歸せずして時に齟齬軋轢を生ずること是れなり特に佛國の納税者若くは財産家たる人々は度々政體の變更内亂の破裂に會して財産の不安心甚だ之を恐怖するが故に納税者に責任ある國會議員は其虚に乗じて減税の説を主張して又己れの信用權力を堅うするの利益あるべし斯かる情實なるを以て佛國の議院は人民多數の希望を代表すると云ふよりも納税者の利害を重んず時に國民の意想に背いて反對の政策に贊成するは敢て珍らしき事に非ず是れに由て今回の事相を察するに増税黨の敗を取りたるは只單に減税を以て己れ一種族の利益とする納税者若くは其代議士に對して敗を取りしと云ふに止まり國民の大多數に向ては其信用未だに餘裕あるべし畢竟彼のブーランゼー將軍が威望の高さも其因縁は全く此邊に在ることにして今日議院の多數がブーランゼー將軍に反對するほどに國民の多數は又此將軍を稱揚するを見ても今の佛國下議院は國民の希望を代表するに非ざるを證すべきなり故にブーランゼー將軍の如き名望家が今日内閣を組織して兵備擴張の議案を下院に出すと假定めて下院にして若し之に反對したらば政府は直ちに之を解散して全國一般の投票に其可否決を求むべし其際に至らば國民の多數は一部納税者の利害を大切にして去る七十年の國辱は雪がざるも亦可なりと斷念すべきや或は又之に相反し租税の負擔厭ふ可からず日耳曼徹骨の怨み酬ひずしてやは已まんかと切齒すべきや、必ずブーランゼー將軍の政策に贊成して下議院は其信用を失するに至らん是に於て將軍は新議院を召集して之に同意を求め大に兵備を擴張して爲す所あらんと欲せば縱令へ両ナポレオンたるに至らざるも其兵を日耳曼に接して自身の威望を固むるの手段爲し難きに非ざるべし尤もこれは一塲の想像説に過ぎずと雖も前記佛國の内情は議院と人民と其利害を同うせずして時に却つて反馳するの禍根あるが故に今回の新内閣は前途の運命甚だ危險なる者と謂はざる可らず議院の多數が減税案を可決したるに乗じて出でゝルビエー氏が内閣を組織したるは一時の僥倖なれども國民の多數が謂ゆる一國の名譽に狂して兵備の擴張租税の増加を事とせざる曉きには佛國の政治社會亦俄かに異相の觀を呈すべし况して不倶戴天の仇たる隣國の日耳曼は本年早々非常に兵備費を増したる先例あるに如何で佛朗西の人民として讐を忘れ怨みを呑んで自若たるべき、我輩は新内閣の運命の久しからざるを卜して暫らく其の成行を窺ふものなり