「 十錢紙幣の交換延期 」
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時事新報に掲載された「 十錢紙幣の交換延期 」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
十錢紙幣の交換延期
昨十九年の七月九日勅令第五十號を以て十錢紙幣は明治二十年六月三十日限り通用禁止の旨公布ありて即ち此紙幣の命脈は僅か數日を保つの今日に迫りたるに民間日常の授受依然として此紙幣を使用し少しも通用禁止の事を氣に懸けざるの状態無きに非ず
尤も勅令の發布を知りまた世の中の事をも辨へたる人々は疾くに右の次第を合點して
前々より成る丈け十錢紙幣を受取らざるやうに注意し又受取りたらば直ちに銀行に持參して其引換を怠らざる用心に拔目無けれども下等社會即ち國民多數のその部分は斯る譯をも知らず昨日まで否な今日までも尚ほ安心して十錢紙幣を使用し居らざる==なり現在東京府下に於ても十錢紙幣の交換を銀行に申來るもの甚だ尠なくして數日前の話しにては交換を終りたるの額は僅々五六萬圓なりしと聞けり東京の市中にして既に然り日本全國八十餘邦の隅から隅に往き渉りたる此紙幣が悉皆交換を終はるまでには多少の時日を費さゞる可からず僅々數日間にして盡きんとする六月三十日を限りて其事業を卒へんとするは社會の實地に當篏まらざる仕方と稱すべきなり是に於て大藏省は本月十七日省令第九號を以て本年の十二月三十一日まで交換の期限を延期する旨布告したるに一方には十錢紙幣が續々==に流通して巳まざるの現相ありしにより偖は政府に於ても本年の十二月まで暫らく其融通を許されたる事かと謂ゆる色眼鏡にて誤て政府の意を迎へたるの次第もありしに能く能く聞けば通用期限は矢張り六月三十日限りにして唯交換の期限を本年の十二月まで延期したるに過ぎずと云へり言葉を替へて之を顯はせば政府當初の考へは通用も交換も實は六月一杯なりし處都合あつて交換の期限丈けを半箇年後らせたりと云ふの意味なり故に本年の十二月を過ぎたる後ちは政府に於ては十錢紙幣交換の義務無きものにして明治二十一年の一月一日以後には國民が縦令へ嚢中より十錢札を發見したりとて融通は利かず交換は成らず其所持人の損失たるべき譯なれば此事を知るの本人は勿論、一家親族知己朋友先きから先きに傳へ又傳へて成る丈け寶の持腐りせざるやう注意助言は國民の本分に於て大切の務めたるなり先年太政官札通用廢止の節某の家の主人公は早くも其事に注意し家人を誡めて太政官札を所有するならば早く出して一々交換を求むべしと早手廻はしの訓令は届きたれども數年の後ち家の老媼が死金にとて貯蓄し置きたる太政官札爾かも耳を揃へて五百圓突然と顯はれたるに早や其時は交換の期限を過ぎて折角なる老媼の心盡しも甲斐なくして主人公は只其損失に茫然たりしとの奇談を聞けり能く能く注意せざる時は二十一年の一月以後國中の各所に於て又々斯る奇談無きを期すべからず去りとは無知なる本人の氣の事實必=上無かるべきなり
且つ貨幣の性質は細に割れて廣く渉れば渉るほど交換の手數極めて面倒なるものなり十錢札と十圓札を比較して何れが交換に時日を要すべきやと云ふに十錢札なりと答へ=る可からず十圓札の立換に於ても半年や一年の時日を費すとすれば十錢札の交換に於ては更に其==無くしては叶はざるの條理ならん前に申したる======偖て置き細君が良人に匿して貯蓄したる========三が======て=約=たる========日本國中の======人里離れ=========見た事も===ども十錢札を==し置くは=====明治十八年の訓令に據るに十錢紙幣の總高凡そ六百萬圓なり其後ち政治の手に入りたるものにて再び世上に流布せしめざる部分と又此程來各人民が銀行に持參して交換を了りたる部分と併せて幾何の額なるやを詳にせずと雖ども兎に角に今日の處に於ては交換額よりも流布額の方尚ほ多きに相違無かるべきに此價額が本月限り突然と通用貨幣たるの効用を失しては縦へ交換の期限に更に半箇年の餘裕あるも經濟社會には亦多少の激動なりと謂はざる可からざるなり左れども此事たる政府の法令に於て一旦斯く布告したるものにて今更延期改正も行ひ難しとならば我輩は此交換の手順に就き最後の一言を當路者に呈したき事ありと申すは外にも非ず日本全國一百四五十の國立銀行に於て本年一杯十錢紙幣の交換を爲すは宜けれども山の奥、海の濱銀行も何にも知らざる細民の爲めを計れば其不便少なしと爲すべからず或は銀行に往けば交換の事成るの道理は知れども僅々一枚の十錢札に遙々銀行の所在地まで出懸け往く其費用却て重くして儘よ十錢札を棄てんなど云ふ事相あるも氣の毒なれど假りに便法を設けて縦へ六月以後民間の授受には通用相成らずとするも本年の十二月までは各戸長役塲各郡役所に於て上納金として十錢紙幣を受取ることに定めては如何、斯くて銀行と郡役所と戸長役所と共同して交換を爲さしめたらば只單に銀行のみが交換事務を引受くるに比して人民に大ひなる利益あるは明白なり是れ我輩の所望にして一枚の紙幣たりとも國民に寶の持腐りなからしめん事を欲して爰に之を議したる者なり