「時事新報解停」
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本文
時事新報解停
時事新報は本月二十四日より發行を停止せられて昨卅
日解停の命を得たり其停止の譯には明治二十年六月二
十四日發行時事新報第千六百二十三號は治安を妨害す
るものと其筋に〓められたるが故なり我國固よい治安
を妨げ〓ふの意なしと雖ども筆の現はれたるもの
が其筋の眼に斯くと見えたる上は是非なき次第なり人
員は隨分無性なるものにて我輩は新聞記者にてありな
がら久しく新聞紙條例をも目に觸れざりしに今度の停
止に付き俄に思出して之を聞き見れば成るほど條例中
の罰則は一二に止まらず中に就て其記載論説に係る部
分の罪を擧れば第三十九條に猥褻の文辭圖書及誹謗を
寫したる戲書を掲載することを得ずとあり是れは俗に
所謂下がゝりたる事を繪にし文にし又は西洋のポンチ
我國のとば繪など配して遠廻しに人を謗ることならん
先づ時事新報などに於ては萬々この類の罪に觸るゝこ
となしとして安心するものなり第三十八條の成法を誹
謗して國民法に違ふの義を亂る者及び顯はに刑律に觸れ
たる罪犯を曲庇するの論を爲す者は云々とあり是れ
は例へば政府の租税法又は徴兵令等定めて一國の通法
と爲りたるものを惡しさまに言觸らして自然に國民を
して其法に背くの念を起さしむる者か又は輕重の罪を
犯して刑に當る可きものを色々に説を作りて彼れは罪
にあらず抔と兔角罪人の贔屓する事ならん、第三十七
條に政體を變壞し朝意を紊亂せんとするの論説を記載
したる者は云々とあり是れは日本國の政治を一變して
共和風に爲さんなどの空論大言を記載することならん
、第三十六條に刑法第二編第一章の刑に觸るゝ者は印
刷器を沒收すとあり是れは皇室に對する重罪輕罪なれ
ば日本國中狂人の外に犯罪者のある可きに非ず唯念の
爲めの一條例として視る可きのみ、第三十五條は新聞
紙を以て人を教唆し重輕罪を犯さしめたる者は刑法の
例に依る其教唆に止まる者は云々とあり是れは例へば
血氣の壯年輩などを怒らせるやうに、又其氣に入るや
うにあられもせぬ事を書立てヽ遂に其輩をして罪を犯
すに至らしむるか又は夫れ迄に至らざるものを云ふこ
とならん、以上の條々は何れも國民の分として犯す可
らざる罪にして苟も君子を以て自から居る新聞記者な
らむ假令へ國に其禁なきも自家の徳義心を以て自から
義を傍より促しても斯る論説の筆端に現はる可きに非
ず唯時として誤て犯罪に陷るときは法庭に曲直を辨し
て果して有罪なれば刑に應し無罪なれば放免たる可き
のみ又條例の十四條に新聞紙に記載したる事項治安を
妨害し又は風俗を場亂するものと認るときは内務卿は
其紊行を禁止若くは停止することを得とあり即ち新聞
紙に記したる事柄が政治上の無事安全に邪魔を爲し又
は〓義上の風俗を亂たるものにして例へば發行の紙面
に租税の事を記し今の税法には兔角偏頗の沙汰多しと
か、又は何縣の地方税は云々にして何縣は即ち然らず
とか、又は何々の法は既に云々なり共上に近日又箇樣
なる風聞ありなど其他種々様々の事を書並べて間接直
接自然に人心を動かし謂れもなきことに不安の思を爲
さしめて晴々裡に政府の施政を妨るものか又は遊廓花
柳社會などの有樣を明からさまに記して其醜體を世上
に披露するが如き類を云ふことならん而して其事項た
るや字句の間には曲直を糾し難くして唯なんとなく紙
面〓幾語氣意味が斯く響き斯く思はるゝと云ふ無形の
〓心に響きたるものなれば禁止停止を命する方にも往
々取捨に困惑することあるべし之れを命ぜらるゝ新聞
記者も常に執筆の加減に苦しむ所のものなり
我輩は久々にて新聞紙條例を披見し其記載論説に係る
罪状を視るに何れも惡む可き罪にして之を刑するは至
當なりと云ふの外なし唯その十四餘に云々する者と認
むるときはと云ふ其認の字には無限の困難あれども認
めらるゝ者が困難なる通りに認むる者も亦困難なれば
其困難を困難として〓方とも徳義上に之を愼むときは
亦是れ良法なりと云はざるを得ず殊に新聞紙條例中に
現政府と政治の意見を異にする者は云々するとの罰則
なくして是れまでの實際に於ても世の新聞記者が其邊
の論説にて罪を被りたることなきは我輩の特に滿足す
る所なり例へば政府は地租改正以來租税は都て金納と
して其成法を施行する最中にも拘らず或人は米納の舊
に復するの利を説いて新聞紙に記したることもあり或は
政府にては時の陸海軍の制を適宜なりとして今の徴兵
令を施行するにも拘はらず新聞紙には海軍を先にして
陸軍を後とする者あり、陸軍の擴張論を喋々して海軍
を問はざる者あり又は徴兵令を改めて兵役税を收るの
利を説く者あり或は外國との關係に就ては日本と米國
との間は商賣を重しとし英國との間には商賣の外に又
其政治上の勢力を忘る可らず又今の時勢には北門の鎖
鑰よりも南門の海防大切なりなど自由自在に筆を走ら
す其論旨の中に果して政府の意見を相投するものもあ
らん、或は然らずして少しく異なるものもあらん、時と
しては全く相反對するものもあらんなれども之を要す
るに唯時の政府と時の新聞紙と政治上の意見を異にす
るのみにして新聞紙が如何なる事を記しても其論説が
新聞紙條例の箇條に背かずして其記載したる事項が治
安を妨害し風俗を壤亂する者と認められざる限りは政
治上に意見の異同を以て罪せられたることなし蓋し政
府が政治上の意見に就て斯く異同を許して之を不問に
附し苟も自家の見る異なるものは立論禁止などの法を
設けざるは人生鬼神ならずして利害洞察の明ある可き
にあらず況して政治上の事は至極入込みたる性質のも
のなるゆえ時としては異説も亦面白し兔に角に目下の
施政に是れと申す害を加へざる限りは其論説をば自由
に差許して天下の公評に一任するの精神ならんのみ我
輩の大に贊成する所のものなり
右は今度の停止中に新聞紙條例を再讀して私に見解を
下だし又現政府が新聞紙を視るの精神を推察したる所
のものにして此見解を此推察とをして大に違ふことな
からしめれば今度の發行停止も亦必ず此範圍内に行は
れたるものと認む可きは勿論のことなれとも左ればとて
千六百二十三號の時事新報紙面には社説もあり雜報も
あり何れの文が果して停止の罪に觸れたるものか明に
知る可らず記者の考へにて大凡そ此邊ならんと臆測す
る所の部分はあれども其部分を丁寧反覆して自から再
閲すれば是れが停止の原因ならんとも思はれず實は停
止の其時に政府の筋より公命にても又内命にても苦し
からず紙面の此文が斯く斯くの譯けにて治安の妨害あ
り今後も其心得にて謹愼せよと説諭の言もあらば甚だ
妙なれども從前の慣行にて其例もなし誠に是非なき次
第なり