「東京市區改正の計畫は如何」
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本文
東京市區改正の計畫は如何
今の東京は徳川幕府の遺跡にして其建都の當初に於て
は全國の諸侯相集まりて各々所謂大名邸を設くるに隨
ひ其需要に應ずるが爲めに亦隨つて市街を生じ其切れ
切れの市街を綴り合せて始めて大都會の姿と成したる
ものなれば道路の迂直廣狹も一ならず諸建築物にも一
定の制限なくして諸事萬端不都合の箇條少なからざる
其有樣は如何に奮發して評するも大日本帝國の首府な
りとは思はれざるなり左れば東京市區改正の事は輿論
の夙に贊成する所にして先年故府知事松田道之助氏在世
の時にも專ぱら計畫せし所あり次で芳川顯正氏が在任
の折には市區改正意見草案を起して道路の區割、河川
の開鑿疎通、市區内鐵道の位置及び橋梁の幅員等に就
き一々其向きへ上申する所ありて追て市區改正調査委
員をも撰定したる程なりしが之れに次で渡邊洪基氏は
在職間もなく轉任し代りて今の高崎氏が府知事の任を
襲ぎし以來は市區改正論も聲無く臭なく果して何處へ
消亡し去りしや其形跡を尋ぬるに由なきものゝ如し或
る説に據るに高崎府知事は市區改正の事を心願に掛け
ざるには非ざれども改正の事業は中々容易の事に非ず
例へば府内に用水管を引き汚水排除管を敷設するの二
事業は市區改正に伴ふ所の重要件にして東京府をして
時にコレラ病の巣窟たらしめざらんとするには是非と
も此二事業を擧行せざる可からざれども抑も東京の地
たる市街より海岸に至る勾配甚だ緩かにして折角汚水排
除管を設けて汚穢物を海中に排除するも滿潮に際すれ
ば其汚穢水は潮のまにまに岸邊に寄せ來るの愚もあり
〓め此等の患を防がんと欲せば成る可く堅固なる排除
管を設け或は其管口を海底遠くまで達するやうに敷設
する等其工費莫大にして右二事業のみにても其費用凡
そ數千萬圓にも上る可し抔云へる説を聞き府知事も改
正事業の容易に手を下し難きに避易し居るの氣味もあ
るならんと云ふ蓋し東京市區改正の不容易なるは今夏
我輩の〓言を俟たざる事柄にして一時に道幅を取り廣
げ街上一面に磐石を敷き詰め家屋制限を嚴にして一望
煉瓦の街を造り街路縱横恰かも碁盤の目の如くならし
めんとするには其費用莫大にして殆ど今の人力の及
ばざる所ならんと雖ども市區を改正するには必ずしも
一時短兵急の策を用ゆるを要せず唯先づ其改正の計畫
を定め置きて時の財政の許す限り漸次に之を成就する
こと〓の緩急に適したるものならんのみ即ち我輩の宿論
に於て市區改正の最急務は先づ其改正の地圖を計畫す
るに在り改正の地圖成るを告ぐるの日は眞に是れ政府
改造の成るを告ぐ可きの端緒を開くの日にして其端緒
より結果に至るの日は之を今日に問はずして可なり若
し夫れ改正の地圖を製出せずして水道鐵道石橋瓦斯管
等の工事を起す部分もあらんか他年全府改造の事を妨
害するものは實に此點に在るなるべし云々の説ある所
以にして市區改正に屬する諸工事中目下の處にては假
令へ着手の見込なきもの多からしむるも工事の難易は
之を他年の談に期して先づ差當り改正の地圖を測定し
豫め其方向を示すこと最も管用の事なる可し現に今日の
諸事業中にも改正地圖の確定せざるが爲めに追々不都
合を感ずるものなきに非ず例へば府下にて漸次瓦斯の
需要を増加するに就ては西洋諸國の例に倣ひ瓦斯貯蓄
所と瓦斯需要家との間を成る可く接近すると瓦斯會社
の經濟上に大切なるが故に瓦斯會社にては追て所々に
支局を置かざる可からず其支局を置き將た瓦斯管敷設
の線路を撰むの場合に改正地圖の參考するものなきと
きは會社後來の掛念決して少なからざるべし或は近來
府下の或る部分に水道會社を起し鐵管をもって市中各家
に用水を供給すべしなどの説ありて之を實行すること敢
て六ケ敷からざるべしと雖ども改正地圖の定まらざる
間は之を發起するも亦不都合の産多からん或は近頃電
氣燈の流行ありて今度の新皇居へも之を設置する由な
れば追ては之を市街に點ずるの日あるべく斯くて此電
燈線を撰むにも後來市區改正の方向を參考するの便な
くんば其向きの人は爲めに大に當惑する所もあらん市
區改正は政府全體の利害に關する事柄にして公共の事
業は勿論或は一箇人の私に於ても苟も事の永遠を謀る
ものは必ず先づ後來市區の模樣如何を參考せざる可か
らざるが故に當局の人も亦須らく此意を體して一刻も
早く東京市區改正の規模を定むべきと我輩の今日に希
望する所なり