「社會の事業に對する報酬の平均・1893文字」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「社會の事業に對する報酬の平均・1893文字」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

社會の事業に對する報酬の平均・1893文字

社會の事業は種々樣々なれども今之を政治商賣學問の

三つに大別して扨て經世の要道より論ずるときは此三

社會事業に對する報酬をして厚簿一方に偏せしむ可

からざるなり今試に學者商人に報酬を薄くして獨り政

治家の利益のみを厚くせんか天下の人々其利益の在る

所に集まりて政治社會の繁昌すると同時に他の商賣學

問社會の衰微を來すのみならず一たび政治上の利益を

營むるものは皆餌珍味其食慾を促がして一朝の政變淡

泊に其地位を去らざる可からざるの場合に臨んでも香

味の忘れ難き容易に他人をして嘴を容れしめず果ては

牙を張り爪を顯はして食を爭ふ群犬の互に相呑噬する

が如き醜態を呈することなしと云ふ可からず畢竟社會の

事業に對する報酬の不平均にして濃厚なる利益を一箇

所に集め天下の耳目をして此一箇所に注射せしむるの

致す所なれば經世の任に當るものは大に此に注意せざ

る可からざるなり我輩つらつら東洋の社會を見渡すに

事業の報酬政治社會に偶厚にして治者の位に居るもの

は名聞甚だ高くして威權甚だ重く親戚朋友我れに縁故

ある者には公に私に相應の幸福を得せしむ可し、我が

意に叶はざる者は之を擯斥することも易し御用町人の

用落に〓はんとして媚を獻ずる者あれば小吏下役の蔦

蘿を掌ぢんとして奔走する者もあり名譽威福恰も一

身に集まるが如き仕合せなれば當人の得意、他人の羨

望偏に政治社會に集まりて我れも我れも政治家の位地を

得んと欲し古語に所謂未だ得ず、之を得ざらんことを恐

れ、既に得れば之を失はんことを恐るの實相を寫し出し

て異なるが故に一朝の時運政權授受の必要を感ずるに

當りても人情の弱點、動もすれば其位に懋々して圓滑

なる機轉を缺き事の極端或は鐵血を以て其授受の落着

を決するが如き慘状を呈するは勢ひの自然なりと云ふ

の外なし我日本國にて其實際を求むれば昔年舊水戸藩

の政變に何黨何連と稱する者が相互に殺戮を逞ふした

るが如きも其一例として視る可きものならん即ち水戸

の藩風に政治を重んずること甚だしくして他の人事の

平均を外づれ其藩士等が政治の權柄を視ること恰も

連城の壁の如くにして其授受を爭ふたるの罪なり顧み

て西洋諸國の有樣を見るに政治商賣學問等の各社會共

に夫れ夫れの報酬ありて名譽も利益も一方に偏すること

なく政治社會治者の位地甚だ高貴なるに似たれども其

位地の高きと共に社會に對する責任も亦甚だ重くして

漫りに威福を爲す可からず左なきだに在野の反對黨は

鵜の目鷹の目治者の擧動に注意して虚實取り交ぜ非難

攻撃を試みんと待ち構へ居るの有樣なれば微塵だも偏

私の沙汰在るを得ず特に俸給も割合に少なくして交際

の手廣き人々は其所得に幾倍する程の自費を抛つて體

面を維持するなどの始末なれば政治社會は財を得るの

地に非ず寧ろ得たる財を抛つて無形の名譽を買ふの地

なり、富貴の地に非ず功名の地なり、錢の一點より見れ

ば不滿の地なりとて世人も漫りに此の社會に入るを好ま

ず恰かも人々自家の撰擇に任ずる程の次第にして特に

羨む可き位地にあらざれば之に居る人の執念も薄くし

て去就綽々出入悠々他の商賣學問の社會に對して三分

鼎立し以て各自平等の繁昌を保つものゝ如し左れば今

東洋諸國の爲め就中我日本國の爲めに謀れば從來政治

界に固有なる偏重の弊を絶ち爾今は成る可く政治家の

名利を輕くして彼等をして一たび政權を握り又これを

失ふたるときに死力を以て之を爭はざる可からずとの

執念を消散せしむること肝要なる可し若しも然らざる

に於ては今後立憲代議の政を施し朝野の政治家をして

自由に新陳交代せしむるの必要を感ずるの日に當りて

も其運動滑かならずして不祥の極端を云へば或は政權

授受の間に容易ならざる不都合なしとも云ふ可からず

我輩の中心より憂慮する所のものなり

扨て又一國の才能智力は之を社會の各部に分配して均

一に其働きを呈せしむること實に經世の要道にして之を

政治の一部分にのみ集むるは分配其宜しきを得たるも

のと云ふ可からず國の元氣は政治社會のみに存するも

のに非ざれば才能智力は政治社會に染まりて目覺ましき

までに其向きの繁昌を現はすことなるも其他學問商工業

等の社會は無人にして事業十分に發達すること能はざる

が如き有樣に陷りたらんには一國の事業上非常の不釣

合を生じて結局立國の困難を感ずるにも至るべし畢竟

名利報酬を政治社會のみに集むるが故に才能智力も亦

隨つて此に輻輳するものならんなれば經世家は政治上

の平和の爲め將た又國家の事業の發達の爲め政治學問

商賣等の各社會をして其事業に對する報酬の平均を保

ち厚簿一方に偏せしめざるやうに豫め計畫あらんこと實に

目下の急務なる可しと信ずるなり