「支那論(前號の續き)」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「支那論(前號の續き)」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

前號に開陳したるが如く支那は佛淸戰爭以來頻りに西洋文明の事物を採用して自衞の策を講じ今日に至りては中央集權の基礎固まりて今の支那は前日の支那と同一に論ず可からざるに此際支那を助くる西洋の強國には英吉利ありて近來は其交誼亦極めて親密なり隨つて世の一説には英淸の間には何かの祕密條約ありて支那が外國と戰爭する場合には英國は支那に同盟するの内約ありなど云ふもあれ共事實此條約の存在するや否は我輩容易に之を信ぜず唯公平に英國の利害を計るに支那を敵にする事商賣の一點に於て最も以て得策ならず支那の貿易は出入共隨分宏大なるものにして一箇年の取引金額二億圓その十中の九までは英國人が間接に直接に從事する商賣ならざるなく獨り阿片金巾を賣る許りにても彼れ是れ一億圓近くの取引にして英國人の爲めには無類の得意場なれば故さらに支那人を贔屓して其休處を一にすると云ふにはあらざるべけれ共支那に戰爭起る時は忽ち商賣の利益を失はんことを恐れ勢ひ支那のために平和を求めざる可からず佛淸戰爭の其際に英國が頻りに仲裁を試みて果ては其事の成らざるより佛蘭西に故障を申込み貴國の艦隊に支那の開港場を荒らされては弊國の商賣に妨害あるが故に成る丈け英商に縁なき海岸を砲撃せられよと請求したるは當時世人の知れる所にして英人の本念必ずしも佛蘭西人を憎むにあらず唯生命にも代へ難き商賣利益の邪魔を畏れて知らず識らず支那を隱蔽するの姿に立ち至りしことならん怪しむに足らざるなり此外に又英國が支那に親むの理由ありと申すは露西亞の南侵を防くがためなることも明白なり今日まで英國は露國バルチツク海の出口を遮り又黑海をも鎖して將たダニユーブ河の航路をも露國の占有に歸せしめず隨つて出でんとすれば隨つて妨げアフガンの境界より次第に東漸して印度海岸も今は全く英人の守備を受けて露國が其海港に達せんとするの路は極東亞細亞より外に地なし是れ英人が百も二百も承知の點にして乃ち支那に親んずる所以なるに支那の利益も亦英國の援を假りて露國に備ふるに在ることなれば雙方の交誼倍々以て密ならざるを得ず商賣の利害に加ふるに政略上の考へを以て成立する英淸の關係は膠漆も啻ならざるものと知るべし右の如く支那は歐洲第一の強國なる英吉利と至親の交際ある其上佛蘭西との關係も今日に於ては亦滿足なるが如し東京の主權は佛國遂にこれを握りたれ共雲南交界の守衞は爾來支那政府も頻りに嚴重に構へて中國に通ずる其電信線も落成し氣脈ますます鋭敏となりたれば佛國がこれに闖入して第二の東京を支那の内地に開くことが所詮六ケしからんと思はるなり又佛國本來の目的は支那内地貿易の利益に在るものなれ共紅河の航路を握りて別段の不都合なき今日に強て支那に事を起して貿易に害を加ふるの拙策を取らざるは明白なり故に佛蘭西は左まで畏るべきの敵にあらざれ共危險なるは獨り露西亞の南侵策にて愛親覺羅氏の邦家背後より其衞を突かるゝの患ひ尠からず依って支那政府は近來倍々北疆の守備を嚴にして屯田兵の法をも設け内地の無賴漢を驅て殖民開拓且つ戰ひ且つ耕さしむるの策を立たるには無賴漢も北地に往けば土地を賜はり地主たるを得るにより移住を求むるの數非常に多く、今日は倔強なる兵丁にして護國の藩屏たるもの次第に北邊に充滿するが故に露國の侵掠に備ふるには充分の餘裕あらんと云へり又支那の境界に向かふべき露國の兵とても敢て歐羅巴露人の精鋭なるにあらざるは無論の事にて護送の囚人但しは又水草を逐ふの野民を聚めたる者共ならん之を以て支那倔強の兵丁に當るに足らざるは數理の明白なるものなり蓋し此屯田兵の勇壯にして北疆の藩屏たるに充分なるは支那の事情を知る西洋人の皆な確信する所なれば既に夫れだけにて澤山なるに其上更に英國の後援あり支那帝國の外患意とするに足らざるあり或は露西亞が手を替へて朝鮮の背部より段々支那に侵掠を計るとせんか是れも恐るゝに足らずと申すは今日支那は朝鮮の保護權を所有して朝鮮も亦國際上には獨立なれば支那英國の聯合確かなる上は朝鮮の邊疆に露國の侵入を許可せざるに充分なる可し現在昨年の事にてありし英國が巨文嶋の占領を放棄して之を朝鮮に還したる其時にも二國聯合して露國の侵掠に備へ巨文嶋は支那國これを保護して危急の際には英國が之を救援するの内約ありしこと世間に隱れなきが如し要するに支那が英國との關係を親密にしたる一事は此帝國に非常の強權を與へたるに相違なかる可し (未完)