「支那論(前號の續き)」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「支那論(前號の續き)」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

支那政府の外交政略を推察するに唯その版圖を失はざるを務めて新に土地侵略を逞うするの考なきこと明白なるが如し支那本部の其外に滿州蒙古西藏韃靼内外屬庸の邦土を併せたらば實に廣大無邊のものにて今日の勢はこの帝國を自持するに汲々餘閑なき支那政府が尚を其上に領分を弘るの必要果して何處にあるべきや人口四億といふ聲のみを聞けば戸口過溢して少しの餘地を殘さゞるの國と思はるゝなきにあらねども其面積に比較して論ずる時は支那帝國のその版圖は今後數限りなき人口を繁殖せしめて更に差支ある可らず最近の統計表に據るに其面積四百七十萬九千平方英里にして人口は四億零四百十八萬即ち一平方英里の平均人口僅かに九十七人なり歐洲諸國にて同じ一平方里に付き人口の割合は少なきも三百人多きは五百人以上にして即ち國に耕すべきの閑地なく又住むべきの餘壤なきが故に亞米利加の如き或は濠陸諸洲の如き無人跡の地を穿索して移住を爲すことも要用なれ共支那の國民は決して海外に出るに及ばず鎖國籠居して多々倍々人口の繁殖を縱まにせしむるも廣漠たる領土かの天與の賜を享けて餘裕あるが故に支那政府に於ても決して外住を奬勵するの要用を見ず先般合衆國に於て支那人の來住を拒絶したる其折にも支那政府は平氣の顏色にて御不都合とあらば弊國の人民一切貴國の御厄介に相成るを要せずと言はぬ許りに彼の移住禁止條例を諾したるは亦以て其政府意見の所在を知るに足る可し或人は支那人が頻りに外國に出稼するを見てこれは本國に人口過溢なるの故なりと云ふものあらんも知れずと雖ども其所説は支那の實情を解せざる議論にして本來支那人が海外出稼のかの目的は皆賃銀を貯蓄し之を齎らして本國に歸らんとするにあらざるなし彼の愛耳蘭人若しくは日耳曼人が亞米利加に移住するは本國人口の多きに苦しんで餘裕を海外に求むる爲めなれば支那人逐圓主義の出稼とは同日にして論ずべからず但し支那本部の人口に就て言ふ時は海岸最寄りの市府に戸口甚だ稠密を致し〓爾たる小屋に多人數の群居する其樣は一見驚くに堪えたれとも少しく内地に履入る時は廣漠たる千里の沃野人煙の稀疎なること支那旅行者の實見する所なり斯かる邦土の政府なれば獨り其人民を海外に出すの必要なきのみか内地の開拓殖民を計らんためには寧ろ外住を禁止するも利益にして支那帝國の外交政略はたゞ保守の一義を守り、其版圖を今の儘に維持するに遑あらざるに將た何を以て外國に事端を開くの望みあらんや安南を爭ひ朝鮮を援護するも敢て侵略併呑の慾を逞うせんとするにあらずして唯これを中國の藩屏となすまでの考案なること疑ふ可らず或は一時の虚喝策にて威張り得る丈けは威張る手段もあらん即ち彼れが平生得意の筆法なれども眞實の決心覺悟を叩けば唯帝國の版圖を保つを目的として容易に此境界を踰えざるに在るのみ其證據は安南の一條、最初彼れまでに宏言を吐きながら戰爭の末、佛蘭西より和を入れたれば遂に之に屈して東京全體の管理權を佛人に讓り自分はたゞ雲南の交界を全うしたるにて不平を言はざりし事例にても明白なる可し上に陳述したるが如く支那は近來取分け佛蘭西との戰爭以後西洋文明の利器を採りて自家自衞の策の大切なるを悟り就中電信交通の便を利して各省總督の私權を剥ぎ中央集權の基礎確立したる其處に英國は商賣政略重視の考へを以て支那との交際を密にして支那も亦其助援を假りて露國の侵掠に抗せんと欲し北疆屯田の法に據って露の南向を喰止るに望みもあり其他安南の如きも當分は先づ無事に治まり西洋人の侵略に懸念す可き危險も尠なきその上に領土亦甚だ廣大なれば唯これを保守するに忙はしく強ひて外國に事を好むの政策にあらずとすれば今後支那國の運命は唯無事繁昌ならんと云ふの外なし殘る所は國論の如何んと又其在朝政治家の擧動なれども淸廷に有力の人物を計ふれば先づ李鴻章に指を屈す可し此人は有名なる改進家にして且つは淸廷中興の功臣なれば聲威兼ね備はり支那の國論を左右するに力あるは勿論なり又今の國父惇親王と申すは以前攘夷家の由にも聞えしが君子豹變して今は改進の政策を持すると知れたれば李氏の政友無二の人なるべし此外にも尚ほ有力なるは總理衞門の大臣曾紀澤にして曾氏は故曾國藩の嫡子その功勤門閥より論ずれば滿朝の百官殆んど比肩するものなかるべく特に久しく歐洲に駐在して西洋の文物を知ること惇李諸氏の比にあらずと云ふ斯かる純然たる開明主義の思想にて外國交際の樞機を握るからには支那政府の政治家は揃ひも揃ふたる改進主義の人物にして百事意の如くならざるなきに似たれとも抑も北京の政府は一種特別の政府にして頑迷なる故老の淵叢たるを免れず功臣老相依然たる舊時の鎖攘主義を懷て惇李諸氏の政略に反對し逆流の挽回を計らんとするも明白の理なれば其國論の一點に於ては自から圓滑を失ふなきを期せず斯かる軋轢の眞中を切り拔け潛り拔けて支那前途の運命を決せんこと容易の事業にあらざるべし (未完)