「支那論(前號の續き)」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「支那論(前號の續き)」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

近來我輩の聞く所によるに支那在廷の政治家中その壯年の人々は孰れも既に鎖攘の舊主義に反對して開國交際西洋の文明を輸入するにあらざれば邦家の獨立を保つ能はざるを信じ頻りに舊物の破壞を主張する由なれ共他の一極には隨分頑固なる老人多くして依然たる中華自大の尊嚴を維持し一切更新の政を悅ばざる部分の勢力も亦熾んなれば國論は恰かも左右に分れ謂ゆる保守改進の軋轢は兩端孰れとも決せずして其中途に漂泊するものゝ如し斯くの如く老論少論相分れて偖て彼の惇親王李鴻章或は曾紀澤の如き有力の政治家はかの主義進退を如何にすべきやと云ふに此等の人は無論改進家なりとは雖ども在朝比肩の老論黨を敵手にして之を怒らせては愛新覺羅氏の廟堂に和平を破りて如何なる危險のあらんも知る可からず左ればとて之を恐れて少論黨を黜けんか開國の事業成らざるを如何にせん斯かる中間に挾まれたる惇李諸氏の苦心誠に以て察す可きの次第なれども亦皆な老練家のことなれば如才なくその雙方を纏めて老壯歩み合ひの閒に廟堂の國是を執り之を爲すの手始めには老論黨にも判り易き有形の事物を段々に輸入するの方便を運らし軍艦大砲の如き精鋭の懸隔一目して瞭然なれば老論黨も亦兵制の改革には不同意を唱へず引續て電信の効用も明白蔽ふ可からずして其成跡は中央政權の鞏固を致して尾大振はざるの政弊も改まりたることなれば老黨の人も只々之を目撃して驚服の外なし斯く段々と有形事物の改良進歩あるに付けては次ぎは則ち鐵道論にして是れも兩三年以前までは在朝の頑固黨に於て頻りに不服を唱へ今を距る八九年前劉銘傳が有名なる鐵道論の奏議の如きも廟堂の議論沸騰、一も二もなく棄却せられたるに時勢變遷の速かなる今日には老黨も飜て是に贊成するの勢ひにて北京天津閒の鐵道は既に其工事に着手したり尚ほ之に繼で追々線路を延ばすに至らば其効驗の顯はるゝは的面にて老黨の人も只管これに感服するの外ある可からず、有形の事物斯くて一尺を進むれば少論黨は又一尺の勢力を伸ばすの理にして支那の改進その歩を進るに都合宜しきこと推して知る可し蓋し電信線の落成にて尚を且つ中央政府に非常の勢力を增したる次第なれば之に加ふるに鐵道を以てする其効驗の偉なる固より論を俟たず電信の用は唯政府の命を地方に傳へて地方の動靜を速かに知るまでのことなれども鐵道は實物の運輸を司どり官吏の流出交代より一朝事あれば兵士の操出しに至るまでも意の如くならざるはなし即ち鐵道は電信の用を實にするものにして中央の權力盛大ならざらんと欲すも得べからず又鐵道運輸の利益は國庫の歳入を增加するに在り今日の處にては中央政府の財用常に足らずして當局者もこれに苦しむ樣子なれども元來支那は貧國ならずかの税源豐かにして然して政府獨り貧するは地方官が公税を私するの甚だしきに因ること隱れもなきの事實にして人民の手より出す所は多額なるも地方大小の吏人の爲めに私せられて正味國庫の收入は僅々に過ぎず然るに今鐵道の敷設次第に延長するに從て次第に地方官を檢束するときは税權漸く政府に歸し遂には全國の權柄を中央の一手に握りて復た財用の不足を訴へざるの日ある可し然るに昨今に至りては西洋事物の採用も有形の範圍を踰えて追々無形の文明に進行するの事相ありと申すは今回支那政府にて吏戸禮兵刑工の六部衞門より部員六十名許りを歐米各國に派遣するの議に決し其吏員の撰拔次第いよいよ出發あるべしと云ふが如き實に東洋近來の事變なりと稱して可ならん三四年以前には一旦海外に遊學せしめたる一百餘名の書生を再考の上不都合なりとて悉く呼び戻したる同一の其政府が今は顯要の人々を文明視察のためにとて態々西洋に派遣するは前半後半相對して雲泥の變化にあらずや今回の撰に輿かる人々は定めて壯年有爲の人物なるべく中に老論黨のものもあらんと雖ども兔に角に西洋に漫遊したらばかの主義精神も多少に變動す可ければ支那文明の熱度は今後倍々熱するものと視て閒違ひなかる可し尚ほ是れよりも驚くべきは科擧の目録に洋算理學の二科を加へて遠からず之を實行するといふの一事なり古來科擧取士の法に關しては弊害多端にして人材の養成を害したるも左ることながら之が爲めに學問敎育を全國に布きたるの功用は著大なりと謂はざるべからず喩えば我日本に於て洋學を知らざるものは一切官吏に登庸せずとの布令を出したらば如何なる影響あるべきや洋學を知らざる人々の不幸は不幸なれども日本全國に洋學の流行を來して世の文明を促すの利益は非常なる可し今度支那政府が科擧改正の一事はこれと同一の結果を奏するものにして從來四書六經の外に何等の稽古もなき學生輩の迷惑は勿論ならんなれども西洋の文明を支那に輸入するの捷法はこれに若くものなかるべし故に此法にして老論黨の妨害を受けず幸に決行を得るに至らばその將來の成跡殆んど測度すべからざるものあらん以上の想像果して實際に違はずとせば支那將來の富強擢んでゝ東洋に睥睨せんこと亦容易ならんのみなり

本編の論旨は初めより支那帝國過去の事實に徴して其將來を想像し末段に至りて老論少論の軋轢を描きその結局少論黨が西洋文明の利器を利して遂に老論黨を壓倒するに至らんとの次第を陳述したるものなれども老論と云ひ少論と云ひ或は亦改進保守と稱する輿論國是の爭ひは重大この上なきことにして古來何れの國にても其決定の際に革命維新の政變を免れたるの例は甚だ稀なりと左れば支那帝國の老論少論果して圓滑に調和して遂に少論の勝利に歸するを得べきや少しく疑なきを得ず或人の説に保守改進の國是論は決して歩み合ひの手段にて調ふ可きものにあらず惇李諸氏が終始巧に籠絡して軋轢なからしめんとするも其中間に必ず激動を生じて革命の變は早晩避るに道なしと云ふ者あり是れ亦一説にして我輩の容易に非さること能はざる所のものなれども世界文明の進歩は大河の流るゝが如く自然の勢運人力を以て防ぐ可きにあらざれば支那國の運命も滑にして進むか、激して進むか、何れにしても老論は次第に力を失ふて少論改進の國是遂に勢力を振ふ丈けの事實は我輩の推測中らずと雖ども遠からざるを信ずるなり (畢)