「洋行學者の注意」
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時事新報に掲載された「洋行學者の注意」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
洋行學者の注意
才學の士は國の至賓なり多士濟々を始めて其の國の重きを加う可しとは古今不變の説として人の承認する所なり我國學政の局に當るものは〓に此に見る所ありて各種の官立學校を設け教師を海外より聘して其生徒を薫陶するのみならず卒業の上、抜群の才能あるものをば官費を以て海外に留學せしめ國家實用の才を養うに汲々たるものゝ如し我輩の毎度賛成する所なれども然れども彼の海外に留學し若しくは各國を巡覧して歸朝したる土人の擧動を見れば當初之を派〓したる物の素望を滿足すること能わざる可しと思わるゝものなきに非ず彼等三五年の間海外諸國に在りて遊學生ならず大家先生の講義を聽き或は其著〓を讀みて古來學説の變遷進歩を察し巡廻員ならば彼の國々の人情風俗を見聞し又其城〓屋宇園の富且つ盛なるを實察するものから歸朝の後は談柄甚だ多く何々大先生は〓居風采此くの如くにして其學説は此くの如し某々製造所の規模廣大なること〓樣〓樣にして一日に何人の役夫を使い又何程の石炭を消費し巴里の花、倫敦の月、紳士淑女の宴遊舞踏その盛観は云々なりとて其見聞の廣きに誇る有樣を見て是れは是れは洋行歸りの大學者その博學多識には誠に以て恐れ入りたりと感服するは總じて今の世の人情なれども此等の人々は西洋諸國の有樣は斯くありき、斯くありたりと唯々既徃の事實を語り傳うるのみにして之を我國の實際に適用して其成功を期せんとするには斯く斯くの變〓法に由らざる可からずなど實地未來の策に對しては甚だ漠然たる向きも少なからざるが如し左れば從來洋行歸りの人々は或は官吏と爲り或は教師と爲り既徃の見聞を人に傳うる局部に立ち化學士は工塲の應用化學に不案内にして經濟學士は商賣財政の實際に暗きが如き世人の毎度見聞する所なり頃日或る老練商人の説く所を聞くに凡そ今の文明流の商賣を爲すには第一簿記算用に熟〓して會計元の事務を管理すること第二商賣掛引きの實際に通じ塲面の景況を見て臨機の進退を決すること第三社會政治の事等に關し海外諸國一般の大勢に通じて其大勢の〓く所を察すること以上三樣の才能を具えざる可からず然るに西洋の商賣人中には何々學校の卒業生某々學院の學士等より出身して進んで商賣の實務に當り學理を實業に附着して其〓〓掛引を決する向きの者も多く此等の商人に至りては徃々前陳の三才能を兼備するものあれども顧みて我國の商人を見れば一身三才能を兼ねるなどの事は〓て置き一人にして十分に其一箇づゝの才能を具するものさえ甚だ稀なり目下日本の商人の位地の卑くして〓〓掛引萬端西洋人に及ばざるは理數の然らしむる所なり云々と云えり右は商業の一點に就て陳述したる説なれども日本の實業社會には兎角〓學實踐の士人に乏しく商工一切の事業、之を管理するに當りて先づ其適任の人を得る能わざるに苦しむは實業家の今日正に嘆息して已まざる所なり盖し人の才能を養うには其時世の需要に應じて之れに〓することを勉めざる可からず我國維新以來凡そ數年の間は開國日淺くして世に西洋の事〓に〓ずるものなく各國地理上の位地さえ人の記〓に留まり難き程の次第なれば彼の國の何地方には斯かる巨大なる製造塲あり何府の紀念碑の高さは何尺にして其近傍公園の體裁は此くの如し何國の建國起源は云々にして其國々の學者は箇樣箇樣の説を主張せりなど西洋諸國見聞の事實を語り傳うれば世人は之を聽聞して西洋諸國に見る可き外形文明の何物たるを知り次第次第に海外の事〓に注意する念を起し來りたることにして當時に在りては其効力も亦甚だ顕著なりしことならんと雖ども時世の變遷進歩は實に迅速の者にして今は唯西洋の事實を聞くに止まらず其事實を〓て之を我國の實際に〓用し斯くて其師國の伎〓に敵して或は出藍の評を博せんとするに汲々たる世の中を爲りたれば西洋風の字引學者は以て其需要に應ずるに足らず即ち今の時世の急は實學實踐即身實業に〓する人物を得るに在り左れば今の學者諸氏は今の世の既に實業時代に移り來りたるを悟りて其學問の方向を彼の實業の方に傾け又海外に派遣する等の際には常に此注意を怠らずして時世の需要に〓するようの才能を養い學者洋行歸朝の後に其事業の成跡を以て實際其洋行費を償う能わずなど云える不都合を生ぜざらんこと我輩の今日に希望する所なり