「政略」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「政略」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

第三、爲政の地位に在るものは私德を愼んで節儉を守ること緊要なり。日本の事物は近來漸く西洋流に變化し

て、政治社會も其變化を受け、百事公然たる運動を爲す可き時代なれば、秘密の主義は總て無用なり、富貴功名

唯一身の働きを以て博す可し、既に富貴に居れば此富貴を利用して、法律の禁ぜざる限りは我好む所を取り、我

欲する所に行く可きのみ、周圍を顧慮して無益の會釋に及ばずなど思ふ者もある可けれども、是れは大なる心得

違ひなりと申す其次第を云はんに、日本の事物西洋流に化したりと云ふも、唯外面の一通りにして、殊に社會の

智慧と德義と兩樣の關係如何と尋ぬるに、西洋流の智術は徐々に社會の上流に波及するが如くなれども、其德行

に至りては未だ之を西洋に取りたる者あるを聞かず。故に今我國人の德行如何を評するの標準は、全く舊日本の

士人の遺傳に享け、敎育に得たる日本流の道德主義ならざるはなし。然るに其主義は如何なるものぞと尋ぬれば、

私德を先きにして公德これに亞ぐの風にして、例へば孝は百行の本と云ひ、忠臣は孝子の門に出ると云ひ、武田

信玄が文武の政略軍功は古今に爭ふ者なしと雖ども、唯その父を逐ふたるの一事を以て後世の譏を免かれず。又

武家たる者の内行に就ては、德川の法律に於ても特に巖にして、かりそめにも士人の醜を許さず、閨門治まらざ

る者は武家の仲間に齒ひせられざるの風なり。又た質素儉約は殆んど日本固有の習俗とも名く可きほどのものに

して、家の貧富に拘はらず錢を費す者あれば不德の評を免かれ難し。本來道理を云へば、人の財産を求るは由て

以て心身の快樂を買はんが爲めなり、既に之を得て之を用ひんとすれば世間の譏を招くとは不都合千萬の次第な

れども、數千百年深く民心の底に染み込みたる習俗なれば、之を如何ともす可からざるなり。

左れば日本の事物は近來西洋流に變化したりと云ふも、其德行の主義に至りては未だ甚だしき變動なきのみな

らず、社會の全體に就て論ずれば今日尚ほ依然たりと云ふも可ならん。卽ち今の日本は舊道德の日本國と評する

の外ある可からざるなり。此事實果して違ふことなくんば、今日の政治家は其擧動を如何して自身の爲め又自國

の爲めなる可きや。德行の新主義こゝに明にして、果して日本士人の依賴す可きものを得たらば、自から安心立

命の地もある可しと雖ども、我輩の見る所にては容易に望む可きことに非ざるのみか、私德を根本にして之を公

德に擴め、社會生々の源を家族團欒の生活に取るが如きは、理論に於ても實際に於ても更に妨ある可からざるも

のなれば、今の社會の表面に現はれたる政治家も、私德の一點に於いては二念なく舊日本流の道德主義に從ひ、

其の積弊を去て粹を取ること緊要なる可し。又質素儉約の一條も固より絶對の良主義にあらず。我輩の持論に於

て、社會中生産の種族は隨つて積み隨つて散じ大に勞して大に樂しむ可し、節儉の主義顧るに足らざるのみか却

て厭ふ可しとの次第を主張するものなれども、日本の政治家の爲めに謀れば此節儉の主義最も適當なる可しと信

ずる其次第は、前に云へる如く日本は今日尚ほ是れ舊風の道德國にして、質素儉約は其道德中の大箇條なれば、

*三行読めず*

*二行読めず*

政治上の權威こそ盛なれども、肉體の快樂に至りては無責任の人民に及ばざること多し。君相たる者も中々以て

苦るしきものなり、左まで羨むに足らざるものなりとの趣きを示して、國民の道德心を刺衝すると同時に、其羨

望の念を斷絶せしむるの必要に出でたることならんのみ。

以上は恰かも政略上の節儉なれども、今日の日本國に於ては、國の経済の爲めに謀りても政治家は總て節儉の

法に從はざるを得ず。日本の如き政治論の流行する國に於ては、在朝在野に論なく、政治家の擧動は常に人の學

ぶ所と爲るが故に、若しも其長者が奢侈を悦んで能く錢を費すときは、其費は唯本人の嚢中を空ふするのみに止

まらずして、災難を他人の懷に及ぼす可し。例へば今の官途の如し。官吏の大小に論なく、總て身分不相應の生

活を爲し、日本國中錢遣ひの活潑にして往々人の耳目を驚かすものは、必ず官員社會に多きが故に、都鄙の商人

等が商賣を營むにも、常に官員を目的にして盛衰を卜するほどの次第なりと云へば、其事實明に見る可し。官途

の俸給其厚薄に拘はらず、入る所を出して餘ます所なく、遂には不足を生ずるにまで至るとありては、際限もな

き次第にして、詰り國庫の所費、國民の負擔たるのみならず、官吏その人の爲めに謀りても、官に在るが爲めに

負債をも生ずる譯けにて、決して祝す可き事にあらざれば、爰に大に決斷して俸給の制を改め、今の割合を半減

し又四半減して官海全體にその生計の趣を改るの工風は、今の經濟上に甚だ必要のことなる可し。斯くの如くす

れば、政府は令せずして質素儉約の旨を實行せしめ、其風一度び行はるゝときは、官吏たる者も質素を以て自ら

居り、差して不外聞のこともなきのみか、質素の世には質素に制せらるゝの人情、金錢を浪費せざるを以て却て

世間に誇る可き時勢とも爲る可し。最前は錢を輕んじて體面を張りたるものが、今は之を重んずるが爲めに榮譽

を博するが故に、各自内實の會計に於ては減給の方、却て利益なるを發明することならん。豪奢の時代に百を収

入して百二十の費用に促され、以て二十の不足に苦しむものと、質素の世に収入三十を隨意に使用して五を餘す

ものと、其得失は經濟學者を俟たずして明なる可し。故に官途の俸給を減じて質素儉約の風を奬勵するは、公け

の國庫の爲めにも又官吏の私の爲めにも一擧雙方の利益と云ふ可きものなり。        〔八月十七日〕