「教育を政治の外に置くべし」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「教育を政治の外に置くべし」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

教育を政治の外に置くべし

去月二十三日の敕令第三十七號文官試驗試補及び見習規則の公布は日本教育の前途に重大の影響を及ぼす可きものなり官吏を登用するに其教育知識を標準にするの點に於ては日本現行の學校教育法未だ充分ならざる處あるが故に差當り先づ之を改正するの必要起りて政府よりは各府縣尋常中學教科科程改正の件を各地方に傳へんとする由に聞けり是れは同規則の第四條に依り官立府縣立中學校の卒業證書を得たるものは普通試驗を受けずして判任官見習を命ぜらるるの特許を有し、今後地方の官廳に於て判任官を要する塲合に其府縣中學校の卒業生を採用するは便利の方法なれ共現行中學の教育科程には行政法理財學或は本邦法律官省簿記の如き官吏の資格に必用なる學問なきを以て今後新にこれを加へて中學校の卒業生は其儘判任官見習とするに不都合なからしめん旨趣なるべし此改正は實際に已むを得ざる次第なれ共中學教育の既往に溯りて議論するに抑も府縣中學の設立以後去る明治十四年の暮頃までは中學の教科書に經濟政治の類も多く物理化學の教育と相對立して時としては政法の學問却て理化學を壓するの趣きあ〓しと雖も其頃政治社會の變動と與に共に中學の教育は突然舊觀を一新し經濟政治の教科書は更なり例へば歴史の如きものにても文明史は直接に政法の縁を繋ぐの恐あり憲法史は又政體の議論を學生の腦髓に吹き込むものなりとして一切これを排除し理化算數博物〓樂なんど總て政法に關係なき科程を撰んで純然たる理學の門に學生を教導せんと欲し倫理道徳の學にも尚ほ西洋の書籍を使用せずして東洋傳來の大學中庸を教授したるもあり其用意は全く學生をして政治の門に誤入せしめざるの婆心に出で爾後今日まで中學の科程はこの順序を失はずして依然たる理學門の藝能を脩め來りし者なれ共文官採用規則公布の今日、特に各地方の屬官は其府縣中學卒業の學生中に就て徐々に採用すること便利ならん抔云ふ説の行はるる時運に會しては又々中學の教科科程を改正して其卒業生は普通試驗を要せず直に判任官の見習を命ぜられ得るの方向に之を改めざる可からず時勢の變遷とは申しながら中學教育の方向既往數年の間に著しき動搖を顯したりと稱すべきなり又獨り之れのみならず昨年頃までは各府縣に必ず一門以上の中學校あらざるなく時としては一地方にして三四校を設置したる所も尠なからざりしに同年、中學令の出るに及んでは中學校の設立は先づ地方の適宜といふやうなる姿となり府縣會に於ても俄に三四の中學を廢して一となし中には一校も殘さず廢棄せんとしたる地方もありて中學の教育大切ならずとの感觸を一般地方人に與えたる證跡ありしに今回文官試驗規則の發表と與に中學校の卒業生に出身の道を開き地方の屬官には成る丈け其地方學校の卒業生を採用せんとするの實况なりとせば今日の中學にては其數不足なるが故に更にこれを増加せんと欲して地方の官廳若くは府縣會は昨年廢棄したる許りの學校を本年又々再興せんとするの狼狽なきにしもあらざるべし此の如く一片の文官試驗規則公布のために全國幾多の中學校に影響を及ぼして學科科程の改正より忽ち延て又其數の増加を促す成迹あるが如きは餘事は兎も角も教育獨立の點に於ては甚だ望ましからざる次第にして喩へば萬一外國人がこれを評して日本の教育は政治界の波亂を免れざるものなりと言ひたらば我輩は之に對して如何に返答をなすべきか甚だ苦心する所なり

日本の教育が政治界外に獨立せざるの例は明治の初年以降今日まで十餘年の其間に教育主義の時々變動して一定の結果成迹を見ること能はざるに照らしても明白ならん凡そ人事の經驗は利害交々混同して永遠の長計を一朝夕に辨別するは六ヶしき次第なれ共既往の成功に基て將來の針路を定め又其失敗に懲りて向後の策を誤まらざるを務るの外ある可らず例へば教育の如きも既往の經歴斯く斯くの方向主義を取りたるがゆゑに又云々の結果を生じたりと之を龜鑑にして將來の針路を决するは極めて大切なる事なれども日本從前の教育法は甲に變り乙に移りて其主義の轉換に忙はしきがため是れぞと云ふ可き成迹經驗を遺して後の教育家を裨益する能はざりしのみならず人々殆んど五里霧中に彷徨して唯だ想像の裏にその方針を决するの觀あるは學問教育のために悦ばしき事相にあらざるなり盖し教育の一事は古來獨立の困難なる事業にして或は宗教の下に立ち或は政治の支配を受けて今日に至りしものなれ共人文開明の世界には教育はまた教育として獨立すること大切なり往事西洋諸國の如く宗教家に學問教育の全權を委ぬるは危險なりと雖も東洋諸國の如く政治を以て教育に干渉するも亦甚だ好ましからず然るに日本の學校教育は古代の事は暫く問はず中世この方の處に於ては皆政權を本にして今日を布き政府の手を離れては其事舉らずと爲したるは全く支那儒道より出でたるの結果ならん支那に於て痒序の設けより順次高尚して國學に入るの楷級は恰も今の小中大學制の如きものならんと雖も早世より政府が人民の學事に干渉したること最も甚しく其慣〓制度日本に傳はりて我王朝隆盛の際にも教育は全く政治の支配を受けて後ち儒教の繁昌以來適適政權の弛緩に乘じて民間教育の事も僧侶の手に歸し後ち又儒道再興の時運に會して上等社會の教育は悉く治國平天下の儒論に僻し下等社會の教育のみ僧侶の手に殘りたる姿あれども徳川三百年の治世に加ふるに封建の制度を以てして藩藩學制の布行悉く政治の支配を受けざるなく其浸漸一朝夕の故にあらざれば文明開國の今日も日本の教育が尚ほ政治の範圍外に立つ能はずして政海の波亂これに動搖を及ぼすは勢ひの免れ難き所ならんか            (未完)