「埃及事件と東歐事件との關係」

last updated: 2019-09-29

このページについて

時事新報に掲載された「埃及事件と東歐事件との關係」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

埃及事件と東歐事件との關係

近時歐洲に於て國際交渉の事件とも稱すべきもの二つあり一は埃及會議にして二は東歐事件即ち是れなり埃及會議は土耳格政府と英國政府との其間に埃及の位置關係を整定せんが爲め既にその條條を議决して一旦は兩國の批凖交換を待つまでの順序に運びたりしに土耳格皇帝は突然にも其批凖を允さざりしに因り相手たる英國政府の驚■(りっしんべん+「亥」)容易ならず、電報の所報に從て其趣を推測するに歐洲列國に於て其利害を感ずるの形迹は亦さまざまなるが如し元來埃及には佛蘭西も英國と同じく共同管理の權理を有して埃及は恰も一身にして佛英土の三主人に仕へ均しく其歡心を得んことを勉めて困難を極るの最中近年に至りて佛國が其手を引きたるは偶然にも一主人を減じたる姿にて多少に安心を得たらんと思ひの外、國家全體の休戚よりして論ずれば英佛共同の分裂以來この兩國の間柄、兎角不折合にして相互に嫉妬の念を斷たず英國政府の計畫は年年佛蘭西に妨げられて特に其迷惑を蒙むるものは埃及國民なれば更に之を其國の大不幸と謂ふ可きのみ今回英土兩國の政府間に成立たんとしたる條約書には如何なる箇條を含むものか未だ其報道に接せざれば之を知るに由なけれども埃及事件中の問題たる英兵引拂の方法期限も必ず重なる一箇條なる可し盖し英國は漸を以て埃及占領の英兵を引揚るに不同意なけれども差向き暫くの間は之を駐めて其國の秩序を維持すること要用なりと爲すものなれば佛蘭西現在の地位體面より言ふ時は英兵が一刻も早く埃及を引拂はんこと其所望にして英土兩國の條約中に若しも佛蘭西の此體面に觸るる箇條もあらんならば佛國のこれに對して異議苦状を挾むべきは怪むに足らざるなり倫敦駐在の土耳格公使より英國政府に送りたる書信に據れば土國政府が英土兩國の條約を拒みたるは佛露兩國の恐嚇を恐れたるが故なる由過日の倫敦電報にも見えたる如くなれば今日の佛蘭西が英國と反對の地位に立つの趣亦推して知るべきなり

次に東歐事件の葛藤を尋ぬるにバルガリヤ國の人民は今回新にフエルヂナンド公を國主に撰擧して公も亦其位に即くことを承諾し君民ともに異議なきものなりと雖も歐洲列國に於て都合よき返答の有るや無しや、氣遣はしき處もありたるに最近の電報によれば英吉利、土耳格、墺地利、伊太利の四國はフエルヂナンド國主が云々の箇條約束を守るに於ては其選擧即位の有効なること承認すべしと通告したりと云へり然して露國は獨り此事を嘲笑し居るとの報に因て推測するに露政府の底意は其撰擧即位に不承知を唱へてこれを妨害せんとするに在ること明に見る可し抑もバルガリヤ國は千八百七十八年の伯林列國會議に於て始めて其地位の定まりたるものにして伯林條約の第三條に基き此國の君主たるべき者は先づ之を民撰にして一應土耳格政府の認可を受け更に歐洲列國の同意を求むるに非ざれば位に即くを得ざるの制限なるがゆゑ縱令へ英土墺伊の諸國に於て不同意なきも東歐事件に利害直接の關係ある露西亞政府が斷然これに反對するに當りてはフエルヂナンド公も其即位を首尾よくすること能はざるべし然るに此反對の地位に立つものは獨り露國政府に止まらずして佛蘭西も亦同論なりと云へばバルガリヤ國の新君主が倍倍以て困難を重ぬる次第にして之が爲め列國間に大破裂を來して歐洲の東部修羅塲と變ずべきや否やの問題に至りては如何んとも豫言し難けれども斯く露佛の二強國が聯合してバルガリヤ國主の撰擧即位に反對することありとせば東歐事件も先づ容易には片附かざるものと看て誤りなかるべきなり

埃及事件に關係の直接なるものは佛國たるが故に土耳格政府を恐嚇してその英土條約の批凖を妨げたるは由縁在る次第なれども露西亞は北方の建國にして阿弗利加の海岸に左まで利害のあるべしとも思はれず又今日まで埃及事件の關係より見るも露國がこれぞと云ふ干渉の策を施したる形迹もなきに殊更に佛國と相結んで恐嚇の手段を用ひたるは其目的埃及の外に在るの反證として見る可きものならん又東歐事件の局面に當るべき國は露國を除き土耳格はその主權を有し墺地利も又その境界を近うするに由り最も利害を感ずるを免れざれども佛國に取りては差當り無縁の事なればフエルヂナンド公の撰擧即位の如きは一も二もなく承諾して不都合なかるべきに態と露國に左袒して不同意の色を示すも其期する所の目的は東歐事件外に在ることと推して知る可し即ち露國はバルガリヤを侵掠して東歐に其羽翼を伸さんとするの野心なれども一騎立ちにては英土その他の諸國に當る能はざるを察し、埃及事件を機會にして窃に佛國の援を假らんと欲し佛國も亦埃及に對するの權力を恢復して英國に頡頏せんとするの目的なるが故に幸に東歐事件を利用して露國と相應ずるの計略ならんか方今歐洲の形勢を顧みるに露佛兩國の關係は非常に親密にして萬一佛獨開戰の時に至らば露國は必ず佛蘭西を助くるならんとの説もあり或は又露佛兩國の間には既に攻守同盟の議ありなど云ふに至りては容易ならざる風説なれ共其眞僞は暫らく措きこの兩國が互に連托して東歐埃及の兩問題を交る交る相援けて其間に自國の利益を計らんとするの方略は蔽ふ可からざるものならん此際獨逸の地位如何んを考ふるに此國は埃及にも關係なく又東歐にも利害尠く不偏中立の境に立つものなれども露國がバルガリヤを侵掠すれば墺地利は爲めに危險に近づき墺と獨と輔車唇齒の關係に於て獨逸は露國と反對の方向を執らざるべからず又獨逸佛蘭西の間柄に至りては讐敵も啻ならざる仲にして若しも佛國が埃及事件に英國の勢力を殺がんとならば獨逸國は其裡に出でて英國を助くること必定なる可きに似たれども又退て考ふれば慮深き獨國の政治家にして利害關係の淡泊なる東歐若しくは埃及事件の爭に無用の干渉を試みることある可しとも思はれず左れば此兩事件も今日の處に於ては一方に露佛相結び一方に英土相助くるまでに止まりて先づ容易に動くことなかる可しとは我輩の想像なれども暫らく爰に記してこれを將來の成行に卜はんと欲するものなり