「歐洲列國の大勢」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「歐洲列國の大勢」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

歐洲列國の大勢

 歐洲列國の大勢は平生我輩の最も知らんと欲する所にして又最も之を知るに苦むものなり佛蘭西日耳曼の軋轢は遂に破れて歐洲中原の戰亂となるべきや、英吉利佛蘭西が埃及を爭ふの結果は如何に成行くべきや、或は又露西亞がバルガリヤに垂涎して東歐諸邦の關係は何れの處に推移るべきや、英國と露國と競爭して亞細亞の東端に其雌雄を爭ふの塲合には東洋諸國はこれが爲めに如何なる影響を蒙むるべきや凡そ此等の問題は東西國交際の繁き今日、我國民としては一日も忽にすべきにあらざれ共其形勢を詳にするに由なきは甚だ遺憾の次第なり日本の新聞紙上には日として歐洲列國の近状を登録せざるものなく皆西洋新聞紙の所報に因てこれを我國人に傳へて其大勢を知らしめんとの考案なれども凡そ物は全體を解せざれば其部分を知るに由なし然るに日日紙上の報道は多くは一局部の出來事にして之に由て全體總局の形勢を探らんとするも常に隔靴掻痒の遺憾を免かれず近頃在英國の社友我輩に贈るに同國、前地方政務局長チャールス ヂルク 氏著述歐洲列國政略の現状と題したる新書を以てしたり此書は氏が〓ホルトナイトリー レビユー 雜誌に投寄したる論文にて其發刊以後英國の社會は申すに及ばず歐洲列國各政治家の視聽をも動して是非の議論さまざまなりしは第一著者が尋常の著作家にあらずして英國、前内閣員ヂルク氏の筆なりと云ふに因るものならん夫れは兎も角も氏の本論は歐洲今日列國の状勢を論述すること極めて精密のものにして即ちその全體總局を知るの點に於ては一目瞭然、日本人が歐洲の近勢を視察するの捷路これに及ぶもの尠なきのみならず我輩に取りて此書に一段の利益ありとなすべきは著者の立論聊かも私の意見を挾まずして專ら事實を旨としたるに在り元來西洋人の著書にも偏僻多く就中國交際政治上の議論に渉りては其弊害最も甚だしきものなれ共獨りヂルク氏の政論に至りては氏が自から明言するが如く少しも其論を是非善惡の境に及ぼさずして唯是れは事實、其れは無根と虚心以て列國の形勢を記述したるものなりと云へば局外たる日本人が之に基て歐洲の近状を推測するにも亦誤謬に陷るの弊少なきを信ずるなり依て右ヂルク氏の政論を本とし歐洲列國の大勢を叙述して數日間の社説に代ふといふ    

               渡邊 治 記す

   歐洲列國の大勢

     日耳曼の政略

今の日耳曼が歐洲列國に對して勢威を振ふに至りたる其實は千八百六十六年墺地利の戰爭に勝利を得て北日耳曼同盟を建立したる時に在るものなり後千八百七十年佛蘭西との戰にも全勝を占めてアルサス、ローレーンの二州を併せ今の日耳曼帝國を打立てたれども是れは北日耳曼同盟の結果にして即ち今の日耳曼が此の時より甫めて歐洲に首席を占めたりと云ふは名目のみなり然れ共今日の如くその勢力の熾んなるに至りたるは六十六年普墺の戰爭にもあらず又七十年普佛の役にも非ず其後千八百七十八年伯林の列國大會議にその權威を伸ばしたるに因るものにて爾後引續き歐洲の中原に和戰の大權を左右し殆んど王霸の威を振ふは蔽ふべからざるの事實なり而して日耳曼に於ては誰人がこの大權を握り又此霸威を振ふやと尋ぬるに老相ビスマルク一人なること申すまでもなき次第にて老相の生存中は必ず同じ〓〓にて其權力を保つに相違なけれ共此人も今は七十餘の高齡何時に死せんやも知る可らず其曉には日耳曼内外の政略は必ず變更するものあらんなどいふ想像なきに非ずと雖も我輩の見る所を以てすれば(著者自から云ふ)ビスマルクの體は死するともビスマルクの名は死す可からず、其名死せざれば其政略も亦死せずして日耳曼の將來相變らずビスマルク主義の鑄形に陶冶せらるるものと稱して可ならん抑も此人の政略は變幻多樣にして窺ふ可らざるもの多けれ共一言にして蔽へば日耳曼統一の事業を維持するを以て大眼目と爲すこと明白なり又何人も今日にては之に抵抗するものなく老相の政略恰も思想通りに行はれて縱横自在なりと雖も爰に日耳曼の將來を推測するに現在皇太子の妃が老相に好意を表せざるの一事最も關係ありと云はざる可らず皇太子の妃とビスマルクと両人の間兎角に折合はざるは隱れなき事實にして加ふるに皇太子の妃は英國女皇の皇女なりその母君の資質を受けて有爲怜悧なるが上に皇太子の宮は又善良温順にして百事姫君の意に從はざるなきの有樣なれば皇太子の妃の勢力は今日に於ても决して淺少にあらざるなり斯る次第なれば今上老帝崩御して皇太子位に即くに至らば皇太子の妃は更に日耳曼帝國の女皇たる資格を以て一層其勢力を逞うするに相違なかる可しと雖も我輩の推測によれば皇太子の妃も斯く〓〓帝國の女皇たらば必ず從來の主義を變じてビスマルクと説を同うするの機會あらんと信ずるなり何となれば日耳曼帝國女皇の地位としては一身の利害を考へても自からビスマルクの策を容れて帝國統一の大業を維持せざる可らざるの必要あればなり又皇太孫の人と爲りは寧ろビスマルクの流派にして母君もこれに對する政治上の威力なかるべきことは一般世人の唱道する所にして後來皇太孫が日耳曼皇帝の位に即く時に至らば政略必ず見るべきものあらんと雖も是れは先づ數十年後の出來事なれば今より論ずるにも及ばず故に差當りビスマルクは統一事業に妨害を來すの恐ある者は唯皇太子の妃の反對に外ならざれ共前申す通りの状實にて此困難亦遠からず消滅すべしとせば日耳曼將來の政略は依然たるビスマルク主義にして其勢威を歐洲中原に振ふの策亦舊觀を改めざることならんと思はるるなり又一説に今上ウヰルヘルム老帝崩御したらば日耳曼の政略必ず與に變更する所あるべしと云ふものもあれ共此迚も眞の想像にして實際斯る事のあるべしとも思はれざる證據には露帝アレキサンドル二世の崩御前、皇太子の宮位に即かば必ず著しき政變起るならんとて世上にては取り取りに待設けたりしと雖も二世陛下兇變に罹り皇太子即位あるに及んでは露國内外の政策相變らずして人人これに失望したるに非ずや日耳曼の將來も必ずこれと同一なるべし老帝の崩御新帝の即位も政治の局面に變動を與へざるは期して信ずる所なり           (未完)