「歐洲列國の大勢(前號の續き)」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「歐洲列國の大勢(前號の續き)」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

歐洲列國の大勢(前號の續き)

     日耳曼の政略

前號に記したる如く日耳曼の政策は今も今後も依然ビスマルク主義を奉ずるものなりとして偖其列國の關係を尋ぬるに日耳曼の國たるや佛蘭西露西亞墺地利の三大國に其腹背を圍まれて歐洲の中央に國を建て境界天然の防禦上に於て強固ならざるのみならず右三大國の中にても佛露の二國は敵にして同盟援けを假るべきは獨り墺地利あるのみなれ共此國の兵力は割合薄弱にして單に助けとならざるのみか若しも墺國が佛露の攻撃を受ることもありとせば日耳曼はこれに兵を假して自から其藩塀を守らざる可らず千八百七十九年日墺兩國の間に取結びたる同盟條約は即ち此防守の目的に出でたるものにて佛露の兩國若くは其一國が同盟國を攻撃するの塲合には互に相援けんとの考ならんと雖も墺國の兵力充分ならざるが故に之も日耳曼の片腕と恃むには足る可らず此外伊太利の如き新強國ありと雖も其關係は中立なれば同盟股肱とすること難くその他諸小列國の數一にして足らざれ共今日に於ては大國の兵備極めて整頓して一旦事あるも數隊の兵をこれに送り、以て敵國に應援するを防ぐこと互に容易なるが故に此等は敵味方の算に入るるに足らざるものとして獨り日耳曼の恐るべきは佛露の同盟なり隨て宰相ビスマルクは百方手段を運らし之を打破せんことを計畫せざる可らず然るに昨年の十月露國より佛國に右同盟の議を懸合ひたるに當時の内閣議長フレシネー氏が斷然之を拒絶したるは盖し氏の深謀にして佛露の同盟は歐州戰爭の端となり其災害延て佛國に及んで共和政治の顛覆を恐れたるものならんと雖も尚ほ佛國は日耳曼に對して七十年の怨を抱き兩國の軋轢今に干戈を動すの危急に迫るの折柄同時に露國が日耳曼を讐敵視するの状も亦た甚しければ佛露の同盟は豫め成ると成らざるとに論なく何時にも相結んで日耳曼を攻撃するの危險尠きに非ず又露國が墺地利に對するの關係も甚だ切迫なるものにして東歐に露の羽翼を伸ばさんとすれば勢ひ墺國の利益と衝突するを免る可らず加ふるに墺國の兵力不足なれば露國は常に之を輕蔑し一朝變起らば露軍進んで直に墺城を落すこと容易なりと信ずるが故に之と唇齒の關係ある日耳曼は如何にして墺國の失敗を防ぎ、夫れをして歐洲一大國の位地を喪はざらしめんかと用意苦心尋常ならざる者の如し尤も英國と墺國との關係は親密なるが故に露國若し墺國を攻むるとせば英は必ず露に反對するに相違なけれ共彌彌兵を出して露領を攻撃するまでには少なくも一箇月の時日を費すべく其間に露軍は疾くに墺國に侵入して維納沒落の奇觀なきにしも非ざるべし要するに交通自在、兵備整頓の今日に在りては戒嚴招集の事甚だ容易にして開戰後一箇月を經るの頃にひには如何なる戰爭にても早や勝敗の决着を見るべき者なるに今日の英國人は斯ることにも注目せず悠然一箇月の後ちに非ざれば其兵を土耳格海岸に上陸せしむる能はざるの始末にては英國の同盟も又墺地利の恃みとはならざるべきなり此の如く墺國の孤立無援なるは露國の悦びとする所ならんと雖も日耳曼の利害より論ずれば露國の南侵を喰止めて墺國に其版圖を維持せしむること要用なり是れ當時ビスマルクが頻りに其計畫を講するの由縁ならん

抑も日耳曼の政略にして世人の最も注目するものは佛國に對するの關係即ち是れなり世人は今日にも戰爭の破裂ある如くに想像して諸説百端なりと雖も然れ共我輩の所見に於ては兩國ともに用心して成る丈戰端を開かざるの覺悟なりと信ずるなり盖し將來永遠戰爭なからんと云ふに非ず何れの日か其交際の破るる事もあらんと雖も是れは兩國の兵力平均を失ふの證迹いよいよ判然たるの塲合に限ることにして今日の如く強弱孰れとも决せざる間は互に遠慮して先づ交戰なしと判斷するの外なし今兩國の兵力を論じて確かに其優劣を比較することは困難なれ共佛國は現在變に臨んで二百五十萬の大兵を戰塲に繰出し得るに相違なく人員の點に於ては正に日耳曼を壓倒するものなりと雖も之を償ふに日耳曼の陸軍は訓練充分にして軍紀の肅然たるあるが故に雙方の力に於ては強弱優劣なしとして各自國境の守備も亦甚だ嚴重なれば容易に近寄り難しと云へり左れば佛國より日耳曼を攻むるにしてもメツズ、ストラスブルグ若くは又ライン河畔要害の各地にある日耳曼の堡砦は孰れも堅固にして縱令へ露軍の同盟あるも之に乘入ることは覺束なかるべく又日耳曼より佛國を撃つとするも今日に在りては路を白耳義に假るに非ざれば一歩も之に踏入ること叶はざる可し唯佛日開戰に至らば白耳義は果して嚴正中立を格守して日耳曼の爲めに其權利を犯されざるの安心ありやと云ふに此問題は白耳義の兵力如何んに關するものにて今日の勢ひ所詮其中立を全うするの見込みなきは明燎なれ共兎に角に日耳曼が他人の邦土を踏荒らして迷惑を蒙むらしむるまでには多少忍ぶ所もなかる可らず此等の事情より考ふれば佛日の戰爭は容易に破裂す可き者に非ず又萬一破裂に至るも其戰爭は互に受身の防戰にして且つ長き月日を要するものにも非ざるべし何となれば英露の二國は局外の地位と云ひ又自國の力と云ひ充分戰爭を持久するの餘裕ある者なれ共佛日墺伊の四國に至りては戰爭の長曳くほど其災害を蒙りて到底之に堪ゆるの實力なかるべければなり

次に同じく歐洲の問題たる土耳格の關係を視るに日耳曼の縁故甚だ淡泊なるものにして唯隣國の墺地利が土耳格に對するの利害ありといふを以て日耳曼も亦唯其縁を繋がれたるに過ぎざれども他の列國は之に反して土國を見ること俎上の肉の如く、切取り横奪勝手次第の有樣なり例へば佛はアルヂエリヤを略しチユニスを取り今はまたモロツコに垂涎し伊はトリポリーにアルバニヤに其野心を逞うして英はサイプラス嶋を奪ひ又埃及を占領し墺はボスニヤを掠めヘルゼゴビナを侵し露は更にバルガリヤを併せて軈てコンスタンチノープルに闖入せんとするの策略のみなれ共日耳曼一國に限りては絶て斯る陰謀なく專ら手を拱して俎上の肉の爭を傍觀するはビスマルクの政略日耳曼の統一の事業の外に敢て目的なきの證跡なる可し唯近來に至りて殖民政略と唱へ南洋の諸嶋嶼に頻に日耳曼の國旗を立たれ共これが爲め歐洲中他の列國と爭端を開くほどの事件にも至る可らず就中英國人の考に於ては所詮英國の領分に歸せざるの土地ならば之を佛國に占領せしむるよりも日耳曼の手に渡すに若かずとの論一般にして英日の間は英佛の如く其殖民政畧に衝突を生じたるの事例も少ければ日耳曼の外交歐洲の部内に於て獨り勢力あるに拘はらず歐洲外には又殆んど無關係と稱して不可なかる可し            (未完)