「歐洲列國の大勢(前號の續き)」
このページについて
時事新報に掲載された「歐洲列國の大勢(前號の續き)」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
佛蘭西の攻略
佛蘭西が歐洲大陸の諸國に對する關係は今日决して主戰の主義ならず國中有力の政治家も概ね平和論者にして加ふるに現在の共和政治は容易に開戰を許すべきに非ざれば日耳曼との不和葛藤も干戈ほどの大事變に至らざるならんとの次第は前號の紙上に記したり是れは大陸の形勢論なれ共佛國は右の外に英國とも當時事端を構へて其爭ひの不容易なりと思はるるは例の埃及事件にして抑も數年以前佛國は英國同樣此國の内政に干渉したりしに共同管理權の分裂以來全く其手を引去りて復た再び埃及に主權を有する能はざるに至りたるは佛國體面の恥辱なり若し此れが三四十年前の出來事なりせば雙方干戈を動かして由々しき變亂に立ち至りたるも知る可らず盖し英佛の間には埃及の外尚ほ葛藤の種子なきにあらず例へばマダガスカルの占領の如きも英國の側より考ふれば佛國の所行豪慢無禮ならざるなく幸ひに馬嶋と英國との間に電線なく當時の事情英人の耳に入ること迅速ならざりしが爲め戰爭の破裂を免れたれ共ユニオン ジヤツケツトの英國旗が馬嶋に旗色を失ひたるの一事に對しては憤怒の念今に已まざる所なる可し或は又佛國がニユー ヘブリツジ嶋(太平洋の中)を併呑したる事件とても其實は大膽にも英國を凌で世界殖民地の大王と自稱する其鼻を挫折したる擧動にして兩國國際の和親を助くるものに非ず其他英佛二國の間殖民地の爭ひはこれに止まらずして孰れも不和紛擾の禍因なれ共埃及事件に較べては尚ほ小變にて物の數ともするに足らず盖し歐洲列國の眼前、僅か一衣帶の地中海を隔てながら獨り埃及に容喙する能はざるは世上の所評に掛けて佛蘭西の三色旗面目なしと云はるるも辨解に窮することならん之を思へば戰爭は勢ひ起らざるを得ざる道理なれ共佛國の實際に於ては决して之が爲めに兵を用ゆる意なき其次第は初め手を引きたる時にも英國は敢て恣に埃及を占領したるに非ず共同占領の策を佛國に通告して佛國當時の内閣も之に同意を表し彌彌聯合事を爲さんとするに臨み佛の議院が其費用を吝んで事遂に敗れたるものなれば即ち自家の得心づくにして獨り英國を咎むべきに非ず若しも佛國にして斷然英國と戰端を開くの覺悟ならば今日まで其機會一にして足らざる者を自ら撰んで取らざりしは即ち佛國の内情平和を欲するの明證にして表面の議論兎角激昂に見ゆれ共爲めに平和を破るなどの勢〓あらんとは思はれざるなり又事實佛國が埃及の内政に干渉せんとの考ならば今日にても明日にても突然地中海の彼岸に兵を送り英國と和親共同を表するを名義として永〓〓〓埃及を占領するの策容易なる可きに策の此に出でざるは何の故ぞや尚ほ其他に英國を苦むるの手段を〓へたらば英國より輸入の貨物を防ぐた爲め佛國の紡績業に必要なる木綿絲の類を除き其外の海課税額を引上げて英商を苦ましむるも一策なり佛國の必要品は白耳義日耳曼の諸邦國に仰ぐも一切差支あることなければ此策を行ふて英國に怨を霽らすの工風あるべきに今日に至るまで事實に之を行はずして唯漠然と口にのみ埃及事件を喋喋するは以て眞實戰爭を好むものに非ざるの〓〓として違ふことなかる可し
然らば當時埃及を占領する英國兵師の引拂ひは佛國の注文通り果して年を期して行はるべきものなりやと云ふに是非曲直の議論は兎も角も我輩の所見、佛國がますます喧しく此事を論ずれば英國はますます首を振りて引拂を承諾せざる者ならんと推測せざるを得ず初め英國が兵を埃及に送りたるはスーダンの一揆を鎭滅せんが爲めにして亂靜らば直に引拂ふの都合なりしも其後ち秩序を維持すべき段に至り土耳格政府はその領内に埃及藩王をして兵を聚めしむるの議に抗したれ共去迚土耳格の兵師を以て埃及を守衛するには足らざりし處より英兵其儘に殘りて占領の姿と變じたるは勢ひ已む可らざるに出でたる者なり斯る次第なれば英國が若し埃及を併呑せんとならば之を行ふに一も二もなき話しなれ共曩にグラツドストン氏の執政中、氏は斷じてこれに反對し却て其兵を引上げ軈て三千にまで■(にすい+「咸」)ずるの主義を公布し今のソルズベリー侯の内閣に至りても亦之を變更せず即ち英國の精神は飽くまで平和に基くものなりと雖も全く埃及を放棄して一兵も其土に留めざるに至るまでには尚ほ幾何の時月を要することか其返答には苦まざるを得ざるなり且つ佛國今日の關係より論ずるに伊太利は寧ろ英國の味方にして墺地利も亦决して佛國に與みするものに非ず日耳曼英國の間柄は近來まで兎角に折合はず既往三年の其間ビスマルク侯は絶えず英國の埃及政策を悦ばずして時に佛國に結んで英國に抗するの色もあり其他コンゴー事件ニユー ヘブリツジ事件に關しても佛國の後援を爲すの姿なりしに日耳曼がザンジバルの占領以來其趣一變し且つ偶然にも英國には保守黨の勢力を得たる事情ありて其れ此れの處より英日の關係も稍や親密になりたるに今日に當て佛國が若し英國の埃及占領に故障して激に之に抗することもあらば英國は現在中立の位地を變じて伊太利と相率ゐて日耳曼墺地利に連合するの危險なきを期す可らず是れ佛國の弱點にして其英國に向て反對の働を斷行する能はざる由縁と知るべし唯露國がバルガリヤ事件に佛國の見方を恃まんと欲して自國には關係のなき埃及事件にまで聲援し、佛國も亦露國の交を利して暗に英國を威さんとするの考へなきにしも非ざる可けれ共元來建國の利害根本を異にしたる両國民が眞實相結んで他の諸強國を相手にすべき謂はれもなき其上に更らに佛國の困難とする所は殖民政略の結果として歐洲外の地方に其國力を浪費すること莫大にして之が爲めに歐洲部内に伸ばすべきの勢威次第に■(にすい+「咸」)縮するの一事に在り例へば現在佛國及ひアルジエリヤの兩地を除き政府が殖民地に消費する金額は海軍費を別にして一人平均一磅(凡我六圓)の割合なれ共英國殖民地の同じ其費用は毎人二片(凡我五錢)なりと云ふ單に此一例にても當時佛國の状勢歐洲中の一強國を斷然敵にする能はざるの趣を知るべきなり (未完)