「歐洲列國の大勢(前號の續き)」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「歐洲列國の大勢(前號の續き)」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

露國の政略

露西亞は歐洲の北部に國を建て寒冬積雪南人の侵入に便利ならず世人これを稱して野蠻未開と云ふと雖とも爾かも其版圖の宏大にして又人口の數多なるは全世界中支那合衆國を除て恐くは露國に及ぶものなかる可し特に勢力の大なるに至りては歐洲の列國殆んど之に敵する者なく露國一たび足を動かせば全歐の平和破るるの有樣なるは要するに其國專制の政躰君主一人の號令皆行れざるなきの致す所と云ふも可ならん盖し兵の精鋭を比較したらば日耳曼なり仏蘭西なり露國に讓るものに非ずと雖とも歐洲の中心に位して前後左右敵味方の間ならざるなければ容易に戰端を開く能はざるの境遇なれ共露國は之に反して一己の都合、他人に遠慮するの必要なし日耳曼墺地利を敵にせんと思へばこそ暗に佛國に結んで其歡心を買ふことなれ手を飜へせば日墺を味方にして仏蘭西の共和政躰を撲滅するの計策も亦行はれ難きに非ざる可し即ち是れ露國の擧動歐洲全面の和戰に大關係ある所以にして其恐るべきは佛日の軋轢若くは又埃及事件等の比類ならず經世家の甚だ注目すべき所なれ共世人が兎角に露國を輕蔑して又其内状を察せざるは甚しき誤謬なりと云ふ可し或人の説に露國内の人民は種種多樣の人種より成る者にして之を一帝國の版圖内に總括せんとするは到底望む可らざることにして國勢分離の傾向日日に見る可しと云ふものあり露國内の人民が多樣の人種より成るの事實は論者の言ふが如くにして其方言を別にし風俗宗教を殊にするは如何にも以て蔽ふ可らざるの次第なれ共然れども之が爲めに露西亞帝國の建物は屹然として危害なく六千萬餘の人口皆此版圖内に生活して外に餘念なき事は論者の夢にも知らざる所ならん我輩を以て之を見れば歐洲の列國中露國ほど同性同質の人口を有するものあらざるを信ずるなり又露國人民は宗旨信仰の熱心非常なる者にして凡そ國教の爲めとあれば生命も財産も捨てて之を顧みず英領諸殖民地若くは北米合衆國の如きは宗旨信仰の點に於て最も盛なりと稱すと雖ども露人の宗旨熱は之に一歩を讓らざるものなりと云ふ且つその愛國心の深きに至りては世界上の國民殆んどこれに及ぶものなく露西亞帝國の國權を維持すべき戰爭なれば飽くまでも進んで退くを知らざるも亦此國民の特色と稱して可ならん世に佛國人を愛國心に富むものなりと云ふと雖も佛人の心には喜怒常なく、嚇として激して又莞爾として笑ふに過ぎざれば之に與みすること容易なれ共露國人の精神は陰鬱冷空唯一たび憤怒するに及んではこれを慰むる甚だ難し野蠻の氣風を脱せざれ共此心以て他の列國をして震盪せしむる者とすれば尚尚恐ざる可らざるなり

露國の内情を知らざる者は種種の臆説を下して其實力を誣ふるなきに非ずと雖も是れ亦自から誤まるの發端なれば務て其弊を避けざる可らず喩へば露國には波蘭獨立の憂あり漫然外戰を事とするの其間に事變腋下に生じて内亂を釀すならん抔とは一般の人の唱道する所なれ共今日に至りては波蘭の建國説は歴史上口碑に存するのみにして千八百六十三年の一揆破滅以後は亡國の志士その義擧を再びするの勇氣あるを見ず或はバルチツク海沿岸露領の諸州には日耳曼人種生息して爲めに露國政府の患をなす可しとの説を作す人あれ共是れも同く今と昔を混同したる話にして往昔には斯る次第もありし事ならんと雖も十九世紀の今日に於ては最早や心配なきのみならず此等の諸州に住居する農民は元來純然たる露西亞人種にして奴隸解放令の施行以來農民は地主の壓制を免れ、彼の商人若くは有士者より成立する日耳曼人種を凌駕するの勢なれば内國に不和分裂の沙汰あるべしとは思はれざるなり此他露國政府の憂とす可きは例の虚無黨事件にして近來の形状を察するに政治上不平を懐くの徒獨り書生政談家に限らざるが如く貴族若くは軍人の社會にまで此氣風浸漸したるは實に恐るべきの次第なれ共是れ迚も世間にて吹聽するほどの騷ぎに非ず露國の内情を詳にする人は露國政府が虚無黨の蔓延に惱むよりも日耳曼墺地利が社會主義の跋扈に苦むの却て甚しきを許さざるなし要するに露國の虚無黨も評判ほどに勢力を有する黨派に非ざれば深く患とするに足らず其建國の主義政體こそ殊なれ日進富強の點に於ては北米合衆國の如く今日既に有力の位地に達したる國にして今後の運命亦實に旭日の天に冲る勢なりと評して可ならん又露國の特色となすべきは國内に黨派なきの一事にして彼の虚無黨さへ頻に國政改革を企圖するに拘はらず英國流の議院政治を視ることは土芥の如く其他一般の露國人民に至りては素より政黨など云ふ分別もなく適適モスコーガゼツトの記者カートコフ氏の率ゐたるモスコー派の如き區別ありと雖も是れは國權を外に張るの主義より分れたる黨派にして决して通常政黨の性質を帶るものに非ずカートコフ氏の未だ死せざるや露國の政略はアレキサンドル三世陛下と此新聞記者と兩人の方寸に在りとまで言はれたるは實に非常の勢力なれども是れ氏が政黨の首領たるを以て然りしに非ず盖しモスコーガゼツト新聞は政黨を知らずカートコフ氏は又政黨員にも非ず「立憲國の新聞紙は皆な政黨の奴隸なれども露國の新聞記者は斯かる束縛の下に立たず」とは該記者の常に自慢したる所にして其の論の當否は暫く措き一國の政治を無政黨の組織に歸せしめたるは其國權の強大なるが故ならんのみ故に世間にて露帝を補佐するの群臣は皆保守主義なりと云ひ又斯く斯くの人は改進の主義に反對なりなど評説する者ありと雖とも其保守進取の文字は英國流の字義を以て解し得べきものに非ず今日の勢ひ露國に議院制度の行はれんことは所詮思寄られざる想像にして其制度なきは即ち露國強力の原因なりと言ふ我輩は此言の中らずと雖とも遠からざるを信ずるなり

(未完)