「歐洲列國の大勢 (前號の續き)」
このページについて
時事新報に掲載された「歐洲列國の大勢 (前號の續き)」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
墺地利の政略
墺地利の政略を論ずるに先ちて預め讀者の知るを要すべきは國の内情なり抑も此國は墺地利■(「曷」−「日」)牙利二國の同盟より成るものなれ共其間の折合ひ甚だ六ケ敷く互に相猜忌して外交政略も之が爲めに確然たらざるは寧ろ兩國の不幸なりと云はざる可らず■(「曷」−「日」)牙利は古來建國の其際より既に露國に反對して口碑風俗を異にし千八百四十八年獨立の兵を擧げたる時にも露國が墺地利を助けたる爲め■(「曷」−「日」)人遂に敗北したる怨もあり夫れのみならず露國とは境土相接して露國人種の群居する中間に國を建るが故にこれを視ること仇の如く不平怨恨の激する所露國に對して隨分開戰をも憚からざるの有樣なり將た墺地利本部の人の感覺も多少これに同くして露國を敵視するに相違なけれども利害の關係に自から厚薄あれば稍平和の傾なきに非ず隨て墺地利の政略勝利を得れば外交手段温和と爲り之に反して■(「曷」−「日」)牙利の政略勢ひを占むる時は露國に對して激昂の色あるは免れ難き次第なれ共概して今日の處に於ては墺地利■(「曷」−「日」)牙利聯邦政府の主義必ず平和に在るに相違なきなり其原因は一にして足らずと雖も財政の困難兵力の不足先づ重なる弱點にして且つ聯邦の國民樣樣なる人種種族より成立し墺地利帝國に在りてはスラーブ人ゼルマン人■(「曷」−「日」)牙利王國に於てはマジアル人ルーマニア人スラーブ人又更に細に分れて多樣の人種を成すのみならず宗教の如きは舊教の最も頑固なる者と新教の最も活溌なる者と相觸れ相激して極めて不調和の仲なれば凡そ世界中にて統御に難き國民は此聯邦に若くものなかる可しと云へり即ち是れ聯邦政府が二念なく平和を求めざる可らざるの理由にして其日耳曼若くは伊太利に同盟を結びたるは獨り隨意の撰みに出るに非ず國家の危急勢ひ此の如くせざれば其獨立を保つ能はざるの必要あるに因るものと云ふ可きなり
露國が一朝墺地利に開戰を布告し彌彌侵略の策を公けにすることありとして英國の同盟は墺地利に利益あるべきやと云ふに英國海軍の力は歐洲にて最も勢威ある者なれども露國が陸續きに墺地利の背後を衝くべき戰爭には何の用をも爲す可らず又英國より海を超えて態態墺國に兵を送るには運送の一事既に空しく數十日を費すべく援兵到着の曉には勝敗の數既に决して實用に立たざるは明白の理なり事實墺國の利害を考へたらば徒らに英國の同盟を求めんよりは縱令へ小國なるにもせよルーマニヤと同盟して其援を假るの優れるに若かざる可し何となればルーマニヤの陸軍は軍紀整肅にして且つ事に臨んで十五萬の精鋭を繰出すこと亦容易なればなり此の如く英國現在の兵力は墺地利の利害に掛けて一のルーマニヤに及ばざるほど微弱なる者とせば是れも恃むに足る可らず或は日耳曼が之を助けて露軍維納を攻むるの道を防ぎたらば墺國の爲めには此上なき利益ならんと雖ども然れ共一方に日耳曼が斯く墺地利を援くるの塲合には佛蘭西獨り局外に默すべきに非ずして必ず起て露國に應ずるに相違なかる可し果して然らば日耳曼はライン河畔に兵を張り以て佛軍に備ふるの用意大切なるが故に復た悠悠墺地利を救ふの餘力ある可らず此際獨り恃むべきは伊太利の一國にて幸にルーマニヤが墺國の爲め其中立を守るに於ては墺國は伊國に約するに其望む所のタイロル地方を割て伊國に援を假ることを以てすべし墺伊能く其同盟を全ふしたらば墺國は露國にも抗抵し得べく爲めに亡滅を免れて歐洲一強國の地位を保つの策行はれ難きに非ざるなり
露國が土耳格を侵掠せんとするの方策に二あり一は歐羅巴大陸より長驅して君斯坦丁堡に入らんとする者一は迂廻して亞細亞の裏手より衝く者即ち是なり偖又之に對して土耳格を始め東方の諸國に於て露の侵掠を防ぐべきの一手段は謂ゆるバルカン同盟なる者を組織して(バルカン山は歐羅巴土耳格を横切りて黒海に通ずるの山脈なり)土耳格國を盟主と爲しバルガリヤ、セルビヤ、ルーマニヤ若くは希臘の諸邦國之に連衡し攻守與に露國を敵にするに在ることなれ共列國の間又樣樣なる情實ありて利害の徑庭を殊にすればバルカン同盟の説も言ふべくして行ふ可らざるの空論なり然らば英墺聯合して露國に備ふるの策は如何にと云ふに最初伯林條約の際に英國の委員ビーコンスフイルド候と墺國委員アンドラシー候と両人の間に其議ありて英墺の共同、土耳格の爲に其版圖の保全を約し歐羅巴土耳格は墺國之を防ぎ亞細亞土耳格は英國之を守り且露軍歐羅巴より來る時は英國墺國を助け若し亞細亞より入るあらば墺國宜しく英國を救ふべしと英國委員其意見を提出したりしも故あつて成らず次で更に昨年の十月に至り英國再たび墺國に同盟を求めたるに其議敗れて英墺今日の關係は决して相依るものに非ず且つ墺國政治家の考に於ては英國を信じて恃むべきの同盟と爲さざること明白にして英國實際の勢ひも亦墺國所望の援を爲す能はざるの状態なれば今の策を講するに墺國は須らく希臘ルーマニヤ若くは又セルビヤに交を結び更に内部の改良をも怠らずして聯邦部内の諸州に同等の權利を與へ内外の政策を一にして露國に抗するに若く可らず盖し墺地利■(「曷」−「日」)牙利の聯邦が多樣の人種より成るを以て施政上困難の尠からざるは前に記したる如くにして内訌の憂ひ切迫の今日、外に對して國權を張る能はざるは此國非常の〓〓なり故に先づ内政の不調を整頓すること大切にして次に能く伊太利に交誼を厚ふし同盟の報酬としてタイロル地方を讓與することを以てしたらば露國の侵掠を免るるも難事に非ざるなり而して萬一墺國が亡びたらば日耳曼は單身孤獨佛露の二強を敵にするの恐れある者なれば其政略は飽くまで墺國の獨立を助けて自國の藩塀を固むるに相違なからん是れ墺國偶然の幸福と云ふ可きのみ (未完)