「歐洲列國の大勢(前號の續き)」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「歐洲列國の大勢(前號の續き)」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

伊太利の政略

伊太利は建國最新の邦土にして加ふるに其地位地中海の南端に斗出し他の列國と直接の關係獨り尠きに拘はらず近來の勢威容易に侮る可らざる者あるは局外の地位寧ろ之をして然らしむるに非ざるなきや英國埃及の交渉事件に佛國と同盟を全ふする能はずして更に轉じて伊太利に結び英伊相合して英國漸く埃及を占領したり此外墺地利が露國に備ふるや日耳曼は素より自國の朋友なり之を以て佛蘭西に當らしめて尚ほ且つ伊太利に同盟を求め以て己れの安心を買はんと欲す、此の如く伊太利が近來列國の間に重んぜられて其一擧一動殆んど全歐の局面に關係あるは實に國力を外に伸ばすの好機にして嶄然頭角を顯はしたるも亦由縁なきに非ざるなり今其政略の來る所を察するに中央左黨の首領デプレチス氏存在中は内外の政治氏の手に出でたるに相違なく氏死して左黨のクリスピー氏之に代はるも其主義は中央左黨の時に異なるなきが故に伊太利の外交政略は盖し依然として變ずる所あるを見ず元來伊國の政黨は左右の両派に分れたる者にして建國の初より一方にはカヴホール氏が立憲王政を主唱し一方にはガリバルヂー氏が共和政體を稱道して其意見の合はざる所よりカヴホール派は右黨と變じガリバルヂー派は左黨と爲りたる者なれ共カヴホール氏は創業柱石の元勳にて在世中の威權一人として氏に及ぶものなく氏死するの後と雖も同黨の人受けて國政を左右したりしに既にして中央左黨なる新黨派興りてデプレチス氏此を代理し、更に交交左右の兩派に結び自から中間に立て政權を握りし者なり其右黨と云ひ左黨と云ふ敢て其黨派に一定の主義綱領あるにも非ず右黨にして保守ならざるあり左黨にして民主ならざるあり其區別混乱甚だ見分け易からざるは伊太利政黨一種の變色にして他の英佛諸國の政黨を以て比較する能はざるものありと云ふ例へばデプレチス氏が初て内閣に議長たる時の如き左黨の首領其黨を率ゐて之を助けたるが爲め氏乃ち政權を執ることを得たりしなれ共既にして氏は右黨の代議士を政府に登庸したるにより左黨忽ちこれを離れ其諸首領互に聯合してデプレチス内閣に反對を試みたれ共既にして又其内の數人はデプレチスの黨派となりたり即ち現今内閣の議長クリスピー氏の如きは始めに反對左黨の一人にて中頃デプレチス氏の閣員と爲り氏死するの今日承けて内閣を組織したる人なり要するに伊太利の政黨はその名稱の如何に係はらず國會多數の代議士常に其外交政略に一定の主義を懷く者にして例へば墺地利日耳曼に同盟を表し或は英國と親密の交を結ぶが如き政策は將來永くその方針を變ずることなかる可きなり盖し伊太利が墺地利日耳曼に同盟を表する所以は墺國を助くるを徳として其報酬に土地を受取り自國の版圖を弘めんとするに在る者にて特に又佛國とは互に讐敵の思ひもあり、勢墺地利に結んで佛國に備へざる可からざるの必要に迫りたりと稱して可ならん又英國に親んずるは故あることにて伊太利建國の其始め英國がガリバルヂーのシシリー嶋征伐を助成したるを第一として常に新王國の爲めには信義を盡し近くばグラツドストン氏の内閣に至り佛國を度外に置て伊太利に勸むるに埃及の共同占領を以てしたる等、數十年來英伊兩國の關係は暫らくも不和葛藤を見ざりし者なり次に又た伊太利の殖民政略を如何と云ふに此の國民は英吉利日耳曼の人に比し熱帶の氣候に堪ゆるを以て南亞米利加若くは阿弗利加の邊に移住する者頗る多くアルゼンタイン(南米)の共和國に移りたる人員のみにても當時一百萬の數に達し其他阿弗利加の各地に赴きたる國民を合計すれば二百萬内外なるべく加ふるに移住の氣風年年盛んにして昨年中に本國を去りたる移住民二十萬の多きを以て數へたりと云ふ彼の中央阿弗利加の商賣を盛大にしコンゴー、ザンジバルの諸方に貿易の權を握らんとするは伊國人目下の計畫にして加ふるに其風土氣候他の歐洲國民よりも伊國人に適するの利益ありとせば殖民政略も必ず成功に相違なかる可し且これが爲め英佛日の諸國と殖民地の爭を生ぜざるは全く暖熱其地方を異にするの結果にして他の諸國は重に暖帶の地に殖民地を開拓するに伊太利は之を避けて他人の容易に手出し得ざる熱帶地方に獨り其政策を試むるの手段、國交際の圓滑を計るには偶合して最も妙なりと評すべきなり

伊太利の陸軍は其精鋭他の諸強國を凌て之に駕するほどに非ずと雖も去迚决して微弱なりと云ふ可らず其海軍に至りては近時大に面目を改め近來二艘の甲鐵大軍艦を造作して列國を驚かしたるに慊らざるものか現今尚更に八艘の一等洋航甲鐵大軍艦を構造の際中にて悉皆落成の後に至らば伊國海軍の隆盛殆ど全歐を壓せんも測り難し又今日に在りても英佛二國の海軍を別にすれば他は一として伊國の海軍に敵するなきは明白の事實にして陸軍と云ひ海軍と云ひ首尾を揃へて振作を圖るその内心は或は大に侵掠を試むるの考案ならんとして暗に之を疑ふもの甚だ尠からず我輩を以て之を視るに斯る想像は獨り無稽に屬するのみに非ず更に伊太利の國状を詳にせざるの論なり先づ地形より察するも三面悉く海を受けて加ふるに其地遙に洋面に突出し、國の中央に山脈連貫して半嶋の形勢海岸に沿はざれば據守すべきの勝地なし故に一朝變生じて佛國軍艦の攻撃を蒙むるとせば單に陸上砲臺の設けのみを恃んで佛軍に當る能はざるは無論の事にして若しも沿岸の砲撃に鐵道を奪はれ電信を斷れたらば陸軍すらも尚ほ之を招聚する能はずして其間にシシリー、サルヂニヤの諸嶋を占領せられ伊太利は只手を束ねて敵の猖獗を許すより外なからん之を防ぐには數多の軍艦を造り頻に海軍を盛んにして佛なり露なり寄らば微塵に之を破る丈けの用意は實に大切なることなり盖し目下に在りては露國の海軍その勢ひ寧ろ微力にして縱令佛國の同盟あるも露國艦隊の攻撃は左迄恐るべきに非ずと雖も獨り佛國地中海の艦隊に至りては極めて精鋭なる者なれば今日の勢ひ好し日墺兩國艦隊の援けあるにもせよ伊太利が佛露聯合の艦隊を地中海に引受けて果して勝利を得らるべきや甚はだ疑はしき次第なり兎に角に伊國の状勢は現在の海軍を以て安心の成るべきものに非ず今後倍倍之を擴張して地中海に能く佛國の艦隊を控制するの實力を展ばすまでは枕を高ふして眠ること亦難かる可し伊國海軍を振作するの一事は須らく正當防禦の手段として之を視ざる可らざるなり  (未完)