「歐洲列國の大勢 (前號の續き)」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「歐洲列國の大勢 (前號の續き)」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

英國の政略

當時歐洲諸強國の中に在て日耳曼佛蘭西の両國は頻に兵備を擴張し不和軋轢遂に破裂して大亂に至らんとするの景状なれ共日耳曼は露國が必ず佛蘭西に味方して己れに敵せんことを恐れ佛蘭西には國内多數の撰擧民專ら平和を希望して中に一二主戰主義の政治家あれども若し戰爭起りたらば現在の共和政府を顛覆するの危險あるが故に容易に干戈を動すこと叶ふ可らず、墺地利■(「曷」−「日」)牙利の聯邦も内政の困難なるに加ふるに外援の恃み尠き今日なれば露國を敵にして斷然戰爭を事とするの勇氣あるべしとは思はれず伊太利が近來海陸軍を擴張するの精神も决して之を以て他邦を侵掠せんと云ふにあらず其國の形状斯く海陸軍を盛んにせざれば獨立を全うする能はざるに因るの次第は前號の紙上に記したる如くにして唯其擧動の穩かならざるは露の一國あるのみなり左れば英國國交際の關係より之を言ふも日耳曼との交は平穩無事、特に英國が蘇西運河に依て印度に通ずるの路を全うせんとするの政策若くは埃及を占領して其平和秩序を維持するの手段に關しても日耳曼は之を賛成し此外殖民政略の爭ひにて一二の小葛藤ありしと雖も爲めに英日兩國の和親を破ることなきは萬萬なり然るに之に相反して佛國の新聞記者等は頻に英國を讐敵視し不穩の言論尠からずと雖ども然れ共佛國人民の大多數には依然英國に親んずるの感情にして英國の與論亦敢て佛國を敵にするものにも非ず唯埃及事件の爲めに兩國近來の不和容易ならざるに似たれ共内實佛國の主義とする所は埃及の葛藤に手出しせざるの覺悟にして英國と雖どもまた之を名にして佛國と戰端を開く丈けの决心あるに非ざれば英佛將來の關係は平和なりと稱して可ならん次に墺地利■(「曷」−「日」)牙利に對するの交際を如何と問ふに英國現在の地位に於ては露墺開戰の〓に英國が墺地利の同盟として果して恃み甲斐あるべきや否は疑はしき問題なれ共無は有に若かず英國の同盟尚ほ且つ無きに優れるは墺國の知悉する所にして英墺間の交も决して不滿足と評す可らず又伊太利が英國と交際の親密なる次第は前節にも開陳したる所にして以上歐洲の四強國は皆英國と反對の地位に立つものならず然るに獨り露國に至りては其版圖の大、兵力の強に乘じて侵掠の策を運らすに熱心の餘り英國と往往利害を反對にし今日の勢ひ英國は寧ろ露國を敵にして永遠一度戰爭の破裂を免れざるの觀なきに非ずと雖ども露國が英國を攻むるの路は現時之を歐洲に取る能はざるが故に亞細亞より出でて英國と攻撃すること必要なるも露國の亞細亞鐵道未だ容易に竣成すべきに非ざれば今後數年の間には英露の破裂あらんとも思はれざるなり唯だ我輩は兩國今日の關係遂に變遷して早晩一度戰端を開くの年あるを漠然爰に豫言するのみ

英國の人は常に國内の政治に其思想を用ひること多くして外國交際の事件には平生寧ろ無頓着なり然るに又一旦外國に事起れば國を擧てこれに狂し殆んど前後の分別を忘却するは外交上の妨害實に尠しと爲さざるなり且つ英國の外交政略は内閣と與に動き又時勢と共に變じて確乎たる主義精神の定まらざるは國の利益と云ふ可らず例へば露國は專制獨裁の國丈けに外交の策も一定にして渝はる處なく、伊太利は立憲政體なりと雖ども外交の主義常に政黨外に中立して政府内閣の變更少しも之に影響を及ぼすことなく又北米合衆國の如きは民主共和の政治にして其外交政策も古來平和の一主義に基き、嘗て變動を來したることのあらざるは皆其國の利益なれ共英國の外交は終始不揃ひの事のみ多き其例證を擧ぐれば千八百七十年普佛戰爭の其砌英國は頻に白耳義の中立を保護して日耳曼にも佛蘭西にも一切占領を許す可らずと主唱し又千八百七十八年伯林の會議に於ては英國が如何なる危險を冒すにせよ苟めにも露國をして土耳格を奪はしむ可らずと百方其策を運したるに爾來英國の主義とする處又又變更して白耳義中立の保護を放棄し、土耳格獨立の政策を度外視し甚しきに至りては有力の政治家中、土耳格を露國に讓るも可なり日耳曼にても佛蘭西にても今の白耳義を占領して差支えなしと云ふが如きの形迹を示し前後同一の人にして爾かも其説を二三にする者あるに至りては世論に英國外交政略の定まらざるを嘲けるも亦怪しむに足らず近來に至りては折角に據有したる巨文嶋までも放棄して聊か之を顧みざるは如何なる英政府の考に出でたるものか甚だ解し難しと雖ども抑も英國が東洋の局面に立て露國の侵掠を防がんには香港の東に更に軍港炭港の設けなかる可らず巨文嶋の占領は乃ち此目的を達したる者なりと思ひの外に故なく之を廢止にしたるは其意を得ざる次第に非ずや又數十年前カツスルリヤ侯が要路に立つの其際には英國の外交政略は專ら機密を旨となし各國に通知する公文を外にして歐洲列國皆其主義を窺ふ能はざるの有樣なりしに今日に至りては國會議院の討議件件外交に渉る者電報にて四方に弘まり列國の政治家は英國下議院の議事録を以て英國外政の眞相を顯はす者と信用し本國の外務大臣若くは在外公使書記官が發したる公文は之に比して値打ち少なく、英國の政略今は政府の手より其秘密の洩るるに非ずして公然議塲内に之を吹聽する者と稱して可なり去迚目下の勢ひ到底外交の機密を望み得べきにも非ざれば寧ろ之を公明正大に施行して精確に事實を國民に知らしむるに若く可らず此の如く英國の人民が外國關係の實際を知詳して然る後ち外交政略に喙を容るるとせば伊太利若くは合衆國の議院と均しく其主義も一に歸して今日の如き前後衝突の不都合なかる可きは我國の難しとせざる所なり且つ一歩を進めて論ずれば英國今日の形状は内外の守備不完全なること甚しく旦夕事あるも自から守るに力足らざるに論者中兵師を■(にすい+「咸」)じ兵備を解くと云ふが如きの議論を吐くは向來恐るべきの危難を知らざるの空談のみ否な歐洲に對峙して英國の權勢を墜さざらんと欲せば今日の陸軍將た海軍にては大に不安心ならざるを得ず乞ふ其理由を次に述べん (未完)