「日本蠶絲業論(前號の續き)」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「日本蠶絲業論(前號の續き)」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

生絲商賣を確實の者と為すべし

生絲商賣は海外諸國の相塲如何に由て浮沈するものにして純然たる投機業なりとは世人の信じて疑はざる所なれども事の實際に當りて細かに其浮沈の機を察すれば亦是れ尋常確實の商賣にして常に投機の性質を含むものには非ず海外市塲の實况を知らざるものか或は僥倖の奇利を利せんとする者などは絲の直段の騰貴するに際して偏に之を賣り惜み時機去りて其直段の下落に向ふをも悟らざるが故に往往噬臍の悔を招くことなきに非ざれども本來生絲商賣を以て尋常一樣の商賣と爲し尋常一樣の利益を得て滿足する者に在りては荒荒しき奇利を取らざる代りに又荒荒しき損毛を來すことある可らず在る經驗ある實業家の説に生絲相塲の浮沈は思ひの外安穩の者にして極端の塲合を除き其浮沈の度合は大抵一割位に止まるものなりと云ふ又海外市塲にて生絲の相塲騰貴したり云云の報道に接してより凡そ四箇月間を經過すれば其商况は漸く下落に傾くものなり何となれば海外絲况好景氣なりと聞き世界各國より生絲を彼の市塲に送り出し凡そ三箇月を經過すれば第一の輸送品は既に着し第二の輸送品も亦追追到着するの順序にして市塲生絲の供給を増し絲况漸く沈滯に歸するは勢の自然と申す可し故に專はら實益を旨として敢て奇利を僥倖せんとするの意なきものは海外の絲况好景氣にして既に相當の利益ありと認むるや否、先づ以て無事に賣り拔けるの覺悟を爲すべし強て浮沈の極端に立て確實なる商賣を恰も投機流の業と爲すは謹愼なる商人の事に非ざるなり云云と云へり盖し實説なるが如し又我生絲商賣の爲めに謀れば今後ますます米國の販路を開くこと種種の點に於て肝要なれども生絲商賣を確實のものと爲さんとするの一點より觀察すれば特に其然るを信せざるを得ざるなり抑も歐洲の生絲市塲は其關係甚だ複雜にして政事社會の影響を感ずること極めて鋭敏なるものなれば一朝佛獨間の人氣穩かならずとか或は露國に云云の企ありとか甚だしきは一政事家の演説、一新聞紙の論説に由りて容易ならざる變動を生ずること珍らしからず先頃歐洲戰亂の風説ありしが爲め生絲市塲に大波瀾を生じたるが如き即ち其一例にして相塲浮沈の變固より端倪す可らざれども米國は商業專門の國にして内に禍亂の變なきは勿論、太西洋外歐洲の戰塵は直接の其市塲の人心を蔽ふこと能はざるが故に政變を以て俄に恐慌を生ずるが如き塲合少なく歐洲市塲物價の〓は固より米國の相塲に影響するにも拘はらず其直接の衝に當らざるが爲めに生絲市塲などにも過激の〓〓割合に少なくして歐洲市塲と同日にして語る可らざるものの如し特に近年米國にては大に我生絲の需要を増し來りたるの勢あれば我確實なる生絲商は今後ますます米國の市塲に着眼することを忘る可らざるものなり

生絲商賣は日本商業の骨子なれば我國の商人にして苟も之れに關係するものは身の生絲商たると否とを問はず成る可く之を確實にすることを勉めざる可らざれども〓〓の實際に於て往往然る能はざるものあるは實に嘆はしき事共なり而して其最も甚だしきものは彼の銀行〓〓〓是なり盖し我國の銀行は金融の度に比較して其の〓取は過多なるの意味もあらんか時として暗に競爭を開き強て其金を運轉せんとするの跡なきに非ず現に近年各地方の生絲荷主が絲荷を横濱に輸送して荷爲替を銀行に依頼すれば尋常時價八掛以下の爲替金を貸渡す可き處を或は八掛半を貸し尚奮發して九掛を貸し甚だしきは原價爲替を貸渡して只管荷主の歡心を得るに汲汲たるものもありしかば地方の小荷主は僅かの資本を以て僅かの絲荷を買ひ集め之を横濱に送りて荷爲替を借り其金を以て更に絲荷を買ひ集め順次此くの如くして次第に其荷物を増し果ては僅僅數百圓の資本を有する小荷主が一手を以て一二萬圓の絲荷を堆積することと爲り實地其損益を負擔する程の資力なくして運を一六勝負に任するが如き塲合も少なからず昨年來は此等小荷主の數ますます増して生絲の直段の下落するに隨ひ彼れ固より其絲荷を受け戻すの力なく悉く之を銀行若くは問屋に負擔せしめたれば銀行問屋の迷惑大方ならず之れが爲め大に戒愼する所ありて銀行者なども爾後法外なる荷爲替を貸し出すことを廢するに至りたりと云ふ畢竟銀行者等が不注意にして地方小荷主の投機心を促したるの結果ならんなれば今後我生絲商賣をして成る可く確實の者と爲さんとするには生絲商自身は勿論、他の銀行者諸氏の如きも傍より其投機心を動かすやうの所爲なからんこと國の爲めに偏に希望に堪へざるなり                (畢)