「山師必ずしも山師にあらず」

last updated: 2019-09-29

このページについて

時事新報に掲載された「山師必ずしも山師にあらず」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

山師必ずしも山師にあらず

山師とは危險を犯し奇利を求る者の名にして其名の由て來る所は礦山師ならん盖し礦山の業は大に利あるが如くにして其利慥ならず且資本を要すること常に多くして其中ると外るるとの堺は即ち起業者の身の浮沈の分目にして古來の經驗に據れば中るものは十中の一二に過ぎず遂に山師と危險と文字を異にして字義を同ふするの今日に至りしことならんのみ甚だ謂れなきにあらずと雖ども然りと雖ども今の文明の眼を以て見れば山師必ずしも山師ならざるものあるが如し其理由如何にと云ふに礦業は本來學問上の事にして文明の學術次第に進歩すれば礦山の業も亦次第に進歩して面目を改む可きは固より論を俟たず然るに我國古來の礦業は人力を盡さざるに非ず凡そ日本人の工風のあらん限り氣根のあらん限りを盡して遺す所なしと雖ども如何せん文明の學術に乏しくして天物を空ふしたるもの甚だ多きが故に苟も學術の工風ある人が相當の資本を得て手を下したらば必ず新に利益の源を開くことなる可し礦業に第一の要は地質を察して礦脈を發見することなれども今日の事情に於ては必ずしも新に求むるの勞を要せず古人が既に着手して中止したるものか又は採掘し了りて老山廢山と稱するものに就き之を再興して恰も新發見の實ある可しと言ふ者あり甚だ道理あるが如し礦山の模樣は千差萬別一樣ならずと雖ども之に着手して中止するものは多くは礦物なきが爲めにあらず唯その所費所得相償はざるが故のみ或は老山と稱するものにても實に礦物を盡したるに非ず十中の八九は坑内の出水に妨げられて廢業したるものに過ぎず從來の法は坑夫が桶を以て水を汲干すの外に手段なく時として木製のポンプを用ることあるも固より粗末なる品にて器械と稱す可きほどのものならねば詰り水口の下何十尺の坑内に稼ぐは人力の及ぶ所に非ずとして斷念したることなれども今や礦山の上面より直立のシャフト(直立井戸の如き穴)を掘下して蒸氣機關のポンプを用るときは何百尺の底に到るも水は憂とするに足らず礦業上の一大變動と云ふも可なり又礦業の所費所得相償ふと償はざるとは礦質の良否に由ること固より云ふまでもなきことなれども精煉法の巧を以て費用を減するの力は實に非常なるものにして古人の棄てて顧みざりし礦物も今日の精煉法を以てして十分の利を得たるの事例は甚だ少なからず例へば佐渡の礦山にても之を老山と稱して殆んど鷄肋視せられたるものが聞く所に據れば去年來直立六百餘尺のシャフトを下して礦脈を新にし老山再興して少山に變じたりと云ふ又藤田組の手に入りたる奧州小阪の銀礦の如きは採礦の勞少なくして精煉に巧を盡し毎年の所得は决して少少ならざる可し又小阪の近傍なる小眞木の銀礦は杉本正徳氏の擔當する所にして其礦質は小阪と大同小異所謂土礦なるものにて土砂中に銀を含み採掘すれば其まま化學的の藥品を以て銀を分析す可し其報告に據れば小眞木に着手したるは明治十七年秋の頃にして精煉所を設けて初めて銀を得たるは翌十八年二月を第一期とし夫れより本年の今に至る迄二年半毎月の出銀百貫目より二百貫目の間に在りて總計既に六十萬圓の銀を得たりと云ふ所費所得相償ふて大に餘りあるものならん然るに此土礦中銀分ありとのことは新發明に非ず古今の人の能く知る所にして地方の土民等が之を掘り來りて銀分を取るに日本古流の手業を用れば一人終日の勞に報るに僅かに五錢乃至十錢の利益のみにして左りとは面白からずとて捨られたるものが一朝にして西洋文明の精煉法に逢ひ礦業者に授くるに何十萬圓の利を以てするとは冀北の馬をして伯樂の眼に觸れしめたるものと云ふ可し又小眞木礦山の區内に白根金山あり是れは元と南部藩の管轄にして一時黄金を得たること夥多し傳へ云ふ白根の礦夫三千戸寺院二宇ありしとて今日は唯古墳累累たるのみなれども往時の盛大は想見る可し然るに此金礦も日本人の力のあらん限りに掘り盡したる處にて例の如く水に妨げられて如何ともす可らず今は是れ切りとて斷念廢山に歸したるは凡そ百年前のことなりしが昨年來小眞木礦山社中の資本を以て白根山上より直立のシャフトを掘り下し今年既に二百尺の深さに達したるに其上邊百餘尺の間は採掘の痕、縱横無盡恰も蜂の巣の如く土鼠の穴の如くなれども百尺以下は天然のままにして礦脈整然たる新礦山を現はし尚ほ下りて三百尺に達するも依然たる可しと云ふ明治の人民特に智力體力を増したるに非ず百年前の南部人の伯仲たる可しと雖ども僅に數年の辛苦、文明の學術を學び得て其器械を用れば新に利源を開き一身を豊にして兼て國を利すること决して難からず左れば方今天下商况の不景氣に富豪は其黄金の用法に苦しむの折柄、小心翼翼能く新舊の礦山を吟味し徹頭徹尾學問上の主義に從て果して見る所あらば大膽に資本を放下するも亦殖産の一法なる可し我輩敢て危險を犯せと云ふに非ず飽くまでも用心堅固を忠告するものなれども今の礦業は學術を根據にするものなれば一概に之を山師の業として避るが如きは亦取らざる所なり