「支那朝鮮の外國交際」
このページについて
時事新報に掲載された「支那朝鮮の外國交際」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
支那朝鮮の外國交際
一概に西洋諸國と稱すれ共その國力の強弱に至りては懸隔の差、霄壤も啻ならざるなり盖し列國が歐洲の中原に國を建て割據互に雄を爭ふに尚ほ此等差を免れずとせば境外數千里を隔て東洋の局面に對すべきその關係も决して一樣なる可らず昔し和蘭葡萄牙の商船が日本支那の近海に航海して貨物交易を行ふの際に在りては東洋に對する西洋の威力は此二國に過ぎたるものなく就中日本の如きは和蘭と互市貿易の傍らに其學問技藝を傳へ醫學兵制より次第して他の文明の事物に及び遂に我國近代の改進を馴致したるものなり盖し和蘭は當時その海軍を以て歐洲の列國を壓伏し海洋貿易の全權を有して其の餘勢の斯くまで東洋に及びたるも偶然の結果なれども爾來物換り星移り十九世紀の今日に至りては和蘭も既に其實力を失ひ強國の間に介居して僅に獨立を保つの有樣なれば其東洋に對する勢力の如きも微微として昔日の比に非ざるなり又列國の中に於ても和蘭などとは趣を異にし古來絶て東洋の局面に其勢力を伸ばしたることなく將た今日に至りても僅少なる貿易の利害の外別段に是れと云ふ可き痛痒關係の存せざる國國も尠からず瑞典、諾威、白耳義、瑞西の諸邦即ち是なり左れば東洋諸國が西洋との國交際を講ずるに當りても歐洲中如何なる國が現今最も東洋に勢力あるやを預め先づ推察して其間に自から緩急輕重の別を立つるは最も必要のことなる可し我輩の所見に於ては東洋の全局に對し商賣上政治上若くは軍略上より細大の利害を有するものは獨り英國にして凡そ東洋に國を立てて英國と故らに其休戚を異にせんとするが如きは最も不利益の政策と稱せざるを得ざるなり之に次て佛蘭西日耳曼の諸國ありと雖も是等は寧ろ歐洲中の強國として交際す可きのみ今日東洋國が敢て英國を排して國交際の上に佛日の二國を首座にせんとするは最も謂はれなき考にして言葉を替へて云へば東洋國が歐洲列國互ひの擧動形迹を知らん爲には佛蘭西なり日耳曼なり之に交を結ぶこと得策なれ共自家庭前、東洋の利害を與にして其交誼を厚うせんには英國を措て外に國ある可らざるなり前者は歐洲列國政略の主點に當るが故に東洋國も亦此邊の考を以て交際を求む可きものにして後者は則ち趣を異にし東洋の前局面、商賣政兵利害關係の最も直接なるものとして特に其交誼を修めざる可らず兩者の區別は東洋政治家の須らく服膺して忘る可らざる要義と云ふも可なり此を外にして墺地利匈牙利或は伊太利の如きも歐洲に在りては勢威なきに非ざれ共東洋の國交際には其因縁最も淡泊なる者にして之と交を結ぶに敢て疎遠を表するを要せずと雖も利害の關係英國に比して遙に及ばざるは數に於て明白なる可し
然りと雖ども同じ西洋の邦國中その東洋國交際の關係に於て獨り例外に屬すべきものあり一は露西亞にして一は則ち亞米利加なり露國は地理の上こそ歐洲の列國なれ其東洋との關係より論ずれば亞細亞の海岸に港口を開き廣漠たる領土は歐亞の兩大陸に跨りて方今殊に〓〓して東方に開拓の策を行ひ彼のサイベリヤ鐵道の如きも數年を期して浦鹽斯徳に通ずるの計畫なりとの事なれば商賣上の利害は兎も角も軍略上の關係に於て東洋列國は專ら其衝に當らざる可らず北米合衆國は之に反して殖産興業常に平和の手段を專一とし政治軍略兩つながら無縁なれども通商貿易の點に於ては東洋諸國の爲め最大の良市塲にして凡そ世界中これに踰ゆる者ある可らず加ふるに其國の殷富年年増加して殆んど底止する所なく太平洋一衣帶の水を隔てて今後東洋より送るべきの貨物は多多倍倍之を受けて已まざらんとす東洋國が之に對して善隣の意を表し日にますます其交情を厚ふするは最も肝要の次第なりと云ふべし
前記の所説果して是ならば我輩は平生支那百般の政治に不同意なるにも拘はらず獨り其外交政略の緩急を忘れざるの一事に關しては之を其國の面目として賞讃せざるを得ざるなり抑も支那政府が西洋諸國に外交官を派するの順序を見るに其人數は極めて尠けれども能く事の大體を失せざるものの如し常に英國に重きを歸して英京駐在の公使には最も人選を盡し歐州大陸の中に在りては列國政略の中心たるべき佛蘭西若くは日耳曼にのみ同く公使を駐むれども其他の諸都府には或はこれを置かず或は之を兼任せしむ、其規模甚だ小にして外交の手段却て視る可きものあり現今支那政府が西洋に駐紮せしむるの公使にして英國に在る者は劉瑞芬氏にして露國駐在を兼務し日耳曼に在る者は許景澄氏にして佛蘭西を兼務し許氏近頃本國に召還せられ銜洪鈞氏これに代るに命ありと雖も許氏未だ歐洲を發せず又米國に在るの同國公使は張樵野氏にして白露西班牙の二國を兼務する者なり支那の大國にして西洋諸國に僅僅數名の公使を置くとは規模甚だ小なるが如くなれ共既に英露兩國の交を疎遠にせずして東洋に利害關係の直接なる其擧動を察するを忘れず將た佛日の二國にも修信して歐洲政略の因て以て動く所以を推測し更に米國へも公使を駐めて國交際の用に兼て商賣貿易の事を注慮せしむ是れより以外、他の諸小列國に更に公使を置くと置かざるとは本國政府の適宜に任せ徒に之を置て外觀を張るも由て以て直に利する所なきに於ては寧ろ之を置かざるの優れるに若かざる可し支那政府の外交政略果して此邊に在るものとすれば我輩は西洋各國の都府に支那公使館の少なきを見て敢て奇怪と爲さざるなり盖し外交の規模を大にすると小にすると孰れが國に利益ある可きやと云はば之を大にするに在ること論を竢たずと雖も其大小の疑問は國交際利害關係の厚薄輕重に依て自から定まる所もなかる可らず東洋國現在の地位を以て支那政府が故さらに其外交の規模を夸大にせざるも國權に妨害なしとすれば我輩は决して其小を咎めざるなり近頃聞く所に據れば朝鮮政府も西洋に公使を派遣するの議に决し沈相學氏は英佛日伊の四國に駐在し朴定陽氏は米國に赴任とのことなれば歐洲との規模に比して尚更に小なる者なれども朝鮮今日の外國交際は先づ此れを以て足れりと爲さざる可らず徒に外形を張り粉飾塗抹の政略を施すも國の利害に於て差して大切ならずとすれば之を相應の度に止むること却て得策なる可きなり