「地方の盛事を如何せん」
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時事新報に掲載された「地方の盛事を如何せん」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
地方の盛事を如何せん
是れも人文の進歩と名く可きか我輩大に疑ふ所あれども其是非の議論は姑く擱き近來地方官邊の樣子を視るに次第に華美に赴き廳署學校病院より郡區役所に至るまでも凡そ官邊に屬するものは其建築の規模次第に増進して往往目を驚かすものなきに非ず其土地に居て次第に慣れば左までにも思はざれども旅行の人などが久久に一見して前後數年の間を比較し大に地方の面目を改めたるに心付くものあり前年は寂寥たる田舍と思ひし處に大厦高樓の屹立するを目撃し是れは何ものぞと尋れば云く新縣廳なり云く學校なり病院なり云く警察署なり郡區役所なりとの答に驚入りたるの談は毎度我輩の耳にする所なり有形の物よりして無形の心を動かすも亦自然の數理にして斯く建築の壯大なるに付ては隨て生ずる所の事も期せずして華美に流れざるを得ず例へば彼の開業式の如し之を質素にすると盛にするとは隨分費用に差響くことにして然かも之を費して痕を遺さざる一時の儀式なるに近年に至てはいよいよ盛なるも衰るの色なきが如し過般も何れかの地方にて新道を作り其開道式とて當日は縣吏出張し紳士これに陪し置酒高會萬燈を燿かし烟花を打揚け座興を助るとて何十名の藝妓を召して甚た盛なるものありしと云ふ其地方人民の言を聞くに若しも此開道式に費したる金を道路の工事に廻はしたらば今少し仕事を丁寧にするか又は谷川の橋今一箇所は架したることならんにとて竊に愛しむ樣子なり又各地方にて交際の法も次第に進歩して縣官が縣地を出入し又は管内を巡廻などするときにも到る處に其待遇甚だ薄からず又或は東京より貴顯と稱する官員が公私の用を以て地方に至るときは其待遇饗應の丁寧なること殆んど此上もなしと云ふ可きほどの次第なりと云ふ人間世界に禮は最も重きものにて右の如く縣官なり又貴顯なり其到る處に禮遇を受るは即ち人文の華とも評す可きものなれば我輩は漫に之を非難するにあらずと雖ども一方より聞けば近來地方は甚だ不景氣にして民業も都て振はざる由なるに然るに官邊の交際法は近來別してますます盛なりとのことなるゆゑ左りとは少しく不釣合なるが如しとて我輩も竊に語合ひ一時の不文をば忍んでも費用を節して暫く民間の潤澤するを待ち更に文華繁榮の方向に進んこと今の地方の官邊に望む所なり
右の如く地方の文華は誠に文華にして多少に其節減を望むは無稽ならざるに似たれども此文華なるものは果して獨立獨歩の力あるやと尋れば决して然らず凡そ日本國中事物の流行は必ず其源を東京に取るの例にして此地方の文華も由て來る處を求れば其運動の本は必ず首府の中に在て存すること復た疑を容れず地方に建築盛なりと云ふも東京に盛なるものあればなり地方の交際華美なりと云ふも東京に華美なるものあればなり東京は本にして地方は末なり末に求むる所のものは先づ其本を察せざる可らず然るに今東京の外觀如何と云ふに記者の如きは常に東京に居て左まで心付かざれども三五年相分れて偶ま出京したる友人等に面會すれば談必ず府下繁榮の事に及んで其外觀の壯麗に驚かざるはなし諸官省の盛なるに驚き諸官宅の美なるに驚き尚ほ新規建築の規模の大なるに驚き上流社會の交際その遊樂の榮華なるに驚き欽慕の情止まざる者の如し抑も社會の文明を進めんとするには單に人の精神のみを責む可きに非ず有形のもの能く人心を動かすの例は事實に見る可き所なれば東京の外觀も亦是れ文明推進の方便にして甚だ妙なりと雖ども一方より天下經濟の現状を視察し民間の殖産未だ起らずして官邊の文明獨り盛なるは永遠の策に非ずとして地方の盛事をも少しく扣目にせしめんとならば先づ其本源たる中央に於て大に用を節して先例を示すこと肝要なる可し文明の熱心禁じて禁じ難しと雖ども意の如くならざるものは民業開發の一事のみなればここの處は一時文明裝飾の愛を割いても全國の富實を待つの外名案なかる可きなり