「二十三年の博覽會」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「二十三年の博覽會」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

二十三年の博覽會

近來世上には共進會品評會の流行甚しくして大なるものは府縣を聯合し小なるものも郡區町村を共同して此會を開くこと各地皆然らざるなきの形状なれ共全國を一統して宏大の博覽會を催ほしたるは今日まで僅か兩回のみなり即ち明治十年の第一回内國勸業博覽會を始めとして明治十四年に其第二回を開き後ち十八年に第三回開設の都合なりしも明治二十二年に延期したるに本年一月の閣令を以て更に尚ほ一箇年を猶豫し彌彌來る二十三年の四月一日より七月三十一日まで東京上野公園に於て開會の旨に決し政府に於ても既に掛官を撰任し現今は出品會塲に關する諸規則手續の調査中なりと聞けり二十三年博覽會の其期限は今後僅に三年を餘すに過ぎざれば民間の人々も各自之に出品せんと欲するものは今日より預め其用意に着手し陳列の貨物をして徒に珍奇絶倫の一方に奔らしめず商賣利益實用の點に於て其販賣を弘むるの工風必要なりと云ふ可きなり明治十四年第二回の博覽會あるに當りては當時の論者中には之を以て明治十年第一回の會に比し著しき進歩の功も顕はれずとして非議したる者少からざりしと雖も二十三年の第三回博覽會は第二回の開會以來殆んど十年の星霜を經て今日に至るまで全國殖産の道も一般に發達したることなれば今回の開會は十四年に比して又相變らず進歩の功も顕はれずと云ふが如きの非難はなからんなれ共世人が博覽會を以て珍器奇物の展覽塲などとするの誤は未だ全く消滅したるに非ざれば斯る臭氣の脱せざる間は縱令へ幾回の博覽會を開設するも殖産興業の道に望む所甚だ少なし出品人の用意は特に此邊に於て大切なる可し

次に我輩の望む所は内國と云ふ狹隘の區域を弘め一般外國人の出品をも促して之を内外博覽會の組織に改むるに在るなり抑も嘉永開國以來我日本の外國交際は既に三十年の星霜を經過して其間に通商貿易の額も年々に増加し其輸出入八千萬圓の多きに達したれば西洋諸國も今は日本を視るに東洋商賣上の與國なることを以てして尚ほ將來にも望を屬するに相違なかる可し此際日本に於て萬國大博覽會を開き世界各國の商品貨物を聚めたらば其効驗獨り日本人民の知見を啓くに止まらず彼我貿易の道を新開して大に利益する所あるべしとは我輩の持論にして嘗て紙上に鄙見を陳じたることもあり二十三年の博覽會こそ倔強の機會なれ之を内國限りとするも又内外打交ぜとするも五十歩百歩の相違なれば少く其規模を大にして外國人にも隨意に出品を許し一應日本の通商與國に其旨を通知したらば現在日本の貿易に利害關係を有する西洋商人等が悦んで出品すべきは勿論將來日本の商賣に着手せんと欲する者も亦我招きに應ずることある可し故に今日の策を爲すに改めて萬國大博覽會と云ふが如き特名を附して新たに開設を爲すに及ばず二十三年の博覽會を其儘に使用して手輕に事を處するを足れりとす可し此の如く博覽會に内外の區別を立てず日本國より出るもの又入るものに論なく總て殖産興業利益商賣に關係する一切の物品を網羅して會塲に陳列すると又之に反對して出品の貨物を獨り内國の産に止めて外國品の塲に上ぼるを禁ずるとにては産業振起の目的を達するに於て孰れが利益多かるべきや我輩は内外博覽會を以て其効驗遙に内國博覽會の上に在りと信ずるものなり或は内國博覽會の目的は唯單純に内國の物産を進歩せしむるまでの方便にて内外博覽會とは其趣を殊にする者なりと云ふ人もあらんかなれども現今宇内共同の世の中に在りながら是れは内、彼れは外と強て内外の區別を立つるも實際何等の利益あるべきや覺束なき次第と云ふべし政治上國交際の事に至りては今日に於ても内外の區別論甚だ面倒なれ共殖産興業の門に入りては斯る區別なきのみならず其區域範圍の多々倍々廣からんことを願はざる可らず歐米諸國に於て近時頻りに博覽會の催しあれ共孰れも出品の範圍を狹隘にせず内外各國より隨意に其物品を出さしめ、此れは内國の博覽會又彼れは萬國の博覽會と故さらに其別を附したるものは殆んど聞かざる所なり是に由て之を觀れば日本内國の博覽會も特別の事情あるに非ざれば内外の區別を廢して其規模を大にするを得策なりとせざる可らず二十三年の博覽會を迎へんとする官民の輿論果してこれに不同意なきか我輩の聞かんと欲する所なり

博覽會内外の區別論は暫く擱き總じて斯る種類の事業は人民の手に任せて自由に之を經營せしむべきこと自然の條理にして時に政府の保護奬勵を要する事情なきに非ずと雖も夫れは唯會の發起者に便利を與ふるまでの方便にして或は官邊の人の之に與ふることもあらんなれ共其人は決して官の資格を以てするに非ずたゞ私の身分より加盟するものなる可し西洋諸國の博覽會は比々皆然るものにして偶時其會の總裁に皇族親王などを仰ふぐ所以も王室は社會の標準公衆の倶瞻する所のものたるが故のみ日本に於て第一第二兩回の博覽會は是迄人民に經驗なき事情もありて全く官の經營に成りたるは已むを得ざる次第なれ共今日に至りては民間の進歩既に前日の比に非ざれば二十三年の博覽會も人民の手に任せ聊かも差支なかるべしと思はるゝなり聞く所に據れば民間の有志者中此事を計畫して出願に及びたるものありと云へり我輩は必ずしも此人々に限り博覽會の事業を委任すべしと云ふにあらざれ共政府が之を機會にして放任主義を實行せられんこと偏に希望に堪へざるなり