「外國士人の直言を望む」
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時事新報に掲載された「外國士人の直言を望む」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
外國士人の直言を望む
我日本の開國既に三十年を過ぎ内外の人情漸く相通して猜疑の念漸く消散したるに似たれども今日尚未だ青天白日の交際に至らずして陰に鬱する所の内情あるは我輩が日本國民として遺憾に堪へざるものなり盖し其内情とは何ぞや外國人が我國人に對し其表面の交際は兎も角も眞實の心底に至り尚未だ同類の觀を爲さずして常に異人視するの一事なり昔年は日本國民が外國人を目して夷狄と呼び異人と稱して之を嫌忌せしことなれども今日その日本國人は外人を嫌はざるのみならず苟も國民の分として國權私權に傷けざる限りは胸襟を開いて眞面目を打明け之に接すること自國人相對の交際の如くにして尚ほ其上にも西洋諸國文明の事物は我れに?く所のもの少なからざるを知り之に傚はんとして其學術技藝を學び其人を友とし又師として之を親しみ又或は我國固有の文物技術若しくは歴史上殖産上の事に付き彼らの視察を要することあれば之を示して隱すことなく唯その及ばざるを心配する程の次第にして之を要するに我日本國民が西洋諸國人に交るの法は徹頭徹尾唯一片の親切あるのみと言ふも内外人の中に此言を許さゞる者はなかる可し然るに外國の人は今日尚その応に滿足せざる所のものあるか我國人を異類視して俗に所謂他人行儀の姿を脱すること能はず其異類の空想は尚恕す可しと雖ども動もすれば空想より空想に導かれて謂れもなく人類平等の大義を忘却する者なきにあらず誹謗の大なるものと云ふ可し誤謬の一念ひとたび胸中に横たはるときは恰も自家固有の色目鏡をかけたるが如く見るものとして己が豫想の色に見えざるはなく猜疑の心、内に深くして發しては國交際の困難と爲り商賣取引の葛藤と爲り私交の不調和と爲り詞訟の問題と爲りて徒に双方の心を痛ましむるもの多し我輩の甚だ樂しまざる所のものなれども盖し西洋人の眼を以て見れば我日本國は宗教を殊にし歴史を殊にし言語の根を殊にし文明の起源を殊にし隨て習俗を殊にし又隨て政治法律の趣を殊にするが故に一見先づ異種の人類と認るも無理ならぬ次第にこそあれ我輩は唯心を長くして我道を行き假令へ今日にして外國人が我日本の眞面目を知らざるも待つ可きものは日月にして長日月の其中には彼等の自から發明することもある可しと強ひて自から慰るのみ况んや外人中卓識の士人甚だ少なからざれば能く東西の文明を比較し西洋社會の長を示して短を隱さず日本國俗の長を明にして短を咎る者もある可し眞に我國の益友にして我輩は假令へ我が長を稱揚せらるればとて漫に之を誇る者にあらず唯これを心に銘して其長所を保存せんと欲するのみ或は短所を咎められんか速に之を改めて吝ならざるを勉るのみ到底今の世界の風潮に於て西洋の文明に反對して國を立んとするが如きは勢の許さゞる所なれば我輩は其取捨の際に毫も私意を挾まず自から長を長とし短を短とするのみならず又益友を彼の國人に求めて其忠告にも從はんと欲する者なり
我輩が虚心平氣、文明を慕ふの情は斯の如くにして常に外國人の忠告直言を求め曾て一點の私意なきにも拘はらず外國人の中には我日本國の人事に關して甚だ無頓着なる者あり盖し此輩は素より我が眞面目を知らずして既に己に侮慢の念を抱き其侮慢の極は忠告直言の親切をも失ひ盡して慢然我日本國に居留し只管その交る所の人の歡心を買はんとして時としては西洋文明の本國社會に許す可らざる言行を恣にして自から愧ぢざるものゝ如し其趣は俗に所謂る旅の耻はかきすてと云ふが如き有樣にして啻に日本に不親切のみならず自家の徳義に於ても損する所ある可し例へば過般時事新報の社員が新聞紙條例違犯の廉にて政府の筋より告訴せられ輕罪裁判所にて吟味の末、禁獄罰金の刑を宣告せられたれども何分にも之に服し難き理由あるを以て上告せしに控訴裁判所に於ては新報社員の意を達して無罪放免を得たり日本の政府と人民との關係は甚だしく上下に懸隔して其勢力の強弱固より言ふまでもなき次第なれどもさすがに裁判所は獨立のものにして法官の眼中政府なし唯日本帝國の法律に從て右の始末なりしは我輩單に社員の私の爲めに喜ぶに非ず我帝國法律の正しく我法官の獨立なるを見て國の爲めに祝する所なり然るに本月十一日發兌の横濱メール新聞紙は此控訴判決の一條に付き甚だ不服を鳴らし新報社員の無罪なりしは云々とて法官の苛酷ならざりしを恨むものゝ如し我輩は此議論を一讀して其何の爲めにしたるやを解するを得ずメール新聞紙の汽車は外國人にして然かも法律の正確寛大を以て世界中に名ある英國の士人なり其日本に居るや常に我法律を不完全なりと云ひ又法官の獨立も英國の法庭の如くならずなどして時としては竊に他の外友と共に歎息したることもあるよしなれば今度の控訴一條の始末などこそ記者の意を滿足せしむるに足る可し必ず拍手快と呼ぶことならんと思ひの外右の通りの冷評とは我輩は唯驚入るのみ假に英國の法庭に同樣の控訴事件を生して同樣の始末と爲り其時に當りてメール記者が偶然に或る英國の新聞社に筆を執りたらば英の法官は寛に失して人民を遇すること苛酷ならずとて之を咎め其紙を公にして世に憚ることなきを得べきや我輩は之を信せざるものなり左ればメール記者は日本に居て始めて能く此言論を記し本國に居ては記すを得ざるものならん其然る所以は何ぞや記者の爲めに日本は旅の天なればなり旅の耻はかきすてにして頓着するに足らざればなり然りと雖ども前節にも云へる如く我國人は西洋人を親しむと同時に又これを重んずるものにして苟も西洋士人の言とあれば一も二もなく惡しからぬことゝ認るの風なるが故に假令へ記者は日本國を度外に置き度外の國に居て無頓着なる言を記すにもせよ其日本社会の文明に影響して法律の進歩を妨るや決して少々ならず我輩は外人の直言直行を願ふ者なれば都て我在留の外國士人はメール記者の為に傚はずして我が長を長とし我が短を短として遠慮なく忠告せられんこと冀望に堪えざるなり