「國會開設の準備」
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時事新報に掲載された「國會開設の準備」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
國會開設の準備
一國の人民がおのおの自身の位を重んじ其時其國の法律に許す限りの私權を擴張し得て遺憾なきに於ては則ち又眼を轉じて政權の談に及ぶも國民の分として誠に當然のことなり人民の政權とは國の大政權に參與することにして其議論の由て生ずる所を尋れば政事の權柄を少數の人に任するときは動もすれば腐敗に陥ることあるが故に是非とも之を天下公衆の議に附し以て公平の中に從ふ可しとの趣意にして即ち國會開設論の根本なり我日本にても十餘年來この論を生じ既に明治二十三年には國會も開く約束にして我輩に於て固より異議ある可きに非ず又天下の有志者は其開設の用意準備にとて頻りに政治上の利害得失を論じ政書を講じ政談を談じて餘念なきが如くなるも甚だ至當のことにして所謂政治の思想を養成するものなれば國民の分として左もある可き次第なり然り而して右の如く國民が少數の人の手に政權を任ずるを不利なりとして之を衆議に附し以て公平の中を得んとするは本來何等の爲めなるやと尋れば今更云ふまでもなきことなれども人民の私權を固くせんと欲するものより外ならず即ち人民の私有生命榮譽を全ふせんと欲するものなり即ち少數の人の政事は其見る所動もすれば一方に偏して自然に不公平に誤り人民の私有生命榮譽上に不利あるが故に其弊害を防がんとの志願にして之を要するに間接直接何れにも身の私に關係せざるはなし左れば國會を開設するは人民の私の利益の爲めにして其私利の集まりたるものを目して國益公益と名くることなれば之を開設して國民中如何なる種族が最も其德澤を蒙る可きや之を吟味すること肝要なる可し如何となれば都て世の中に事を企るときは之に由て利を得ること最も大なる者が最も其事に盡力す可き筈なればなり扨國會を開けば國の政事は公平と爲り國民の私有生命榮譽を保護すること一入堅固なる可しとして生命と榮譽とは其貴きこと天下萬人皆同一樣にして毫も輕重あることなし貧富貴賤に論なく誰れの生命は誰れよりも貴く甲者の名譽は傷く可らず乙者の榮辱は顧るに足らずなど云ふ區別は文明の天地間にある可らざることなれども私有の一段に至りては大に趣を殊にする所あるが如し王公富豪の金玉も匹夫匹婦の破笠も私有の義に於ては輕重なしと云ふと雖ども是れは單に他より其私有權を犯す可らざるの道理を述べたるものにして私有主たる本人の身に於て之を守るの情に於ては甚だしき懸隔なきを得ず貧者の破笠は主人これを重んせずして時としては自から投棄することさへあれども富豪の金玉財産は則ち然らず自から私に之を守るのみならず常に政府公共の保護に依頼して其安全を願はざるものなし故に國民中富豪の種族は其國に行はるゝ政治法律の蔭に倚りて生命榮譽の保護を被るは他の貧者に異ならずして私有財産を守るの一事に至りては特に其蔭に依頼すること大なるものと云ふ可し左れば政事の公平なると不公平なるとに由りて其利害を被ることの大なるも特に富豪の種族に〓る可きは明白なる數にして而して今國會は政事を公平にするの具なりと稱す然らば則ち其開設に熱心して〓〓〓を講する者も特に國中の富豪なる可き筈なるに實際に左はなくして今日の政治談に周旋奔走する者を平均すれば家計不如意の壮年は多けれども富豪の輩は尚甚だ少なきのみならず其壮年輩が政談の催促すれば富豪家は迷惑なりとて避る者さへ多しと云ふ何ぞ夫れ顛倒の甚だしきや解す可らざる事共なり盖し我輩が毎に云へる如く國會は西洋の輸入品にして日本國中の議論は少老の二派に分れ少論は西洋の文明を悦んで之に傚はんとし老者即ち富豪の一流は敢て之を嫌ふにもあらず又悦ぶにもあらず唯漠然として利害を知らざるのみ此時に當りて天下老成の士人が奮て西洋文明の知見を求め其平生の名望と資産とを利用して他の少壮輩を引纏め利害の在る所を明にして方向を示すにあらずんば其後進生の身の爲めに不利にして國に益なきのみならず其禍は一轉して直に老者の私有にも及ぶことある可し現政府の當局者に於ても能く其邊の意味を勘考しいよいよ國會開設の擧に及ぶならば大に官民の調和を謀り直に少論に當らずして先づ老論に接するに其道を以てし老論をして少論の率先ならしむるの工風専一なる可し