「異地變形の説」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「異地變形の説」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

異地變形の説

甲地の植物を乙地に移植するに其初めは異状を呈せずと雖も年を經るに隨ひ甲地に在りし時の形質、漸く變じて乙地なる同種屬の植物に豹變するを常とす今、日本の櫻を米國に移植するに其初年には純然たる大和櫻に異ならざれども爾後年々形色を變じて數年を經れば全く米國産の櫻に化すと云ふ此變形は特に日本と外國との間に行はるゝのみならず日本内地に於ても其例類を見るべし例へば薩州櫻島の大根、羽後秋田の〓冬の如し共に其形の大なるを以て世に聞ゆる名産なれども之を他所に移し植ゆれば其形忽ち縮小して尋常一樣のものに變ずるは世人の毎に實驗する所なり盖し各種の植物は其土地の地質、氣候、温度等に適應して生々繁茂するものなるが故に甲地の植物を乙地に移して其形質を元の儘に保たしむるには甲乙兩地の地質、氣候、温度等をして精密に同樣ならしむるにあらざれば其功を遂ぐる能はずと云ふ右は植物學上の説なれども社會の人事も亦これに類することなきにあらず甲國の文物制度を乙國に輸入して之を實施するに往々意外の結果を収めて心算の相違に驚くの例少なからず盖し國々自ら民俗慣習を異にするが故に甲國の習俗より生育したる其文物制度を輸入し之を他の習俗の異なる乙國に移植し以て同一の生育を望み其功を誤るが如きは固より怪むに足らざるなり例へば我國にて維新の初めに士族の常職を解きたるは四民同等の西洋主義に出たる處置にして千古の英斷と稱すべきなれども今日に至り日本國中、人の等級に不平等の沙汰は一切止みたるやと云ふに鄙見を以てすれば然りと答ふるを得ざるものあり昔しの士族は多く政府に入り今の役人となりて其威見頗る高く昔しの百姓町人は依然たる土百姓素町人にして今日も矢張り其頭を擧ぐる能はず四民同等の説は昔日の士尊民卑を今日の官尊民卑に變形せしめたるまでの事なり又兩三年來流行の社會改良論の結果は如何にと云ふに今日までの處にては改良の實効いまだ擧らずして變形の跡漸く見る可きものあるが如し男女の交際に心裡の六根未だ清浄ならざる善男善女を娑婆の樂土に解放し舞踏の會、假粧の遊、却て罪業を増すの實もある可し衣食の改良甚だ好しと雖も彼の虚飾卑屈の風を脱せざる輩は之を以て己れの外形を修飾して人に誇り又人に諂らふの具となし招待の饗應、開業の祝宴、衣服燕膳其美を極め一日の興、一夕の宴其費す所遙に自家の分限を超えて不釣合なれども尚ほ社會改良論の蔭に倚りて世の譏りを免れんと謀る者なきにあらず若しも社會改良論にして口あらしめば定めて其迷惑を訴ふることならん是と申すも畢竟國の風習の爲めに改良論の變形されたるものにして強ち其當局者のみを責む可きにあらず以上は全く事の例を擧げたるに過ぎざれども以て他國の文物制度を輸出入するの難きを知るに足る可し扨て今より三年の後には日本にても愈々國會を開くべしと云ふ其國會は如何なるものなるや之を前知すること能はざれども既に之を開くとあれば世人は其力によりて政機の圓滑を助くること西洋諸國の例の如くなるを欲することならん我輩も亦斯くありたしと希望するものなれども國會も亦西洋移植の植物なれば日本の氣候風土に於て能く其形質を變ぜざるべきや今より甚だ不安心に思ふ所なり抑も國會を開けば〓に政治の黨派を生じ又隨て其間に爭を生ぜざるを得ず西洋諸國の中には其爭の間に政機の活動を來すの例あれども我國にては如何あるべきや先例に依れば我國に於ては古來黨派の爭は残忍酷薄に終るを常とするが如し往昔源平兩黨の爭は暫く置き近代に至り黨派の爭に最も残酷なる例を留めたるは舊水戸藩に如くはなし同藩にては正奸の兩派互に政權を爭ひ相爭ひ相殺して一代の間に殆んど亡國の有樣をなせりと云ふ日本人が黨派の執念、深くして動もすれば其間に復讐の意を挾むことは其他毎事に就て證すべきものある其上に日本人の政治思想には時として一種の熱を混し事に觸れて激發することあるは德川の末年より王政維新の前後に掛け政治上の暗殺の行はれたるにても其一斑を知るべし是等は何れも政治上の惡例にして最も恐る可く戒しむ可きものなれども人事は天時に異なり天然の氣候風土は容易に移すこと能はざるも一國の民俗習慣は之を變ずること亦甚だ難きにあらず其法如何す可きや唯經世の士人が寡慾大膽にして文明の風潮に順ひ郭〓駝の種樹に於けるが如く物の性に逆はずして之を導くに在るのみ