「老壯交代論」
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時事新報に掲載された「老壯交代論」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
老壯交代論
社會の大勢は時と與に終始變動して巳まざる者なれ共大勢に處するの人にして時に後れて社會の變遷に伴ふ能はざる時は之が爲めに世運上進の路を遮ぎり社會に其害を貽すの迹少なからず我開國以來屈指すれば既に二十餘年を經過したり其間社會の人事凡そ一として變化せざるものなく政治法律より學問工藝或は衣食風俗の徴に至るまでも其面目を改めて殆んど舊觀を存せざるの趣あるは日本未曾有の大改革命なりと稱して可ならん而して此革命は今日既に其段落を終はりたる者なりやと云ふに獨り然らざる
のみならず現在尚を變化の際中にして將來の進歩實に測知す可らざるの形状なれば吾
人の生涯は申すに及ばず子々孫々の代に至るまでも社會の大勢は暫くも其運動を停止せざるの覺悟にて==之に處するの用意あること大切なりと云ふ可し今後の事は姑く擱き既往二三十年の其間に於て專ら時局に當り今尚を引續き官途社會に在るの人にして其時勢と與に變遷したる自家の境遇を顧みたらば恰も一身にし=====を異にしたるの思ひあるべし盖し此流の人====も=と與に==て時勢に後れざるを期すること=らんなれば我輩が=者は今の時勢と今の人物と相隨===も==り人====離合なきに=たれ共東洋三十年の星霜は人生常命の半數にして往時紅顔の美少年も今は蓬々たる白頭翁に變じ隨て昔年に盛なりし少壯有爲の精神も齢と共に衰耗して寄る年波に其心神の活溌を支ふる能はざるは人として免れ得ざるの運命なるが故に今の時節は新陳代謝し老壯交迭すべきの機會にして若し之よりも永く舊時の人物を留めんとするに於ては我輩は寧ろ社會の進歩これを許さざることを恐るるなり方今官途社會に立つの人にして就官仕進の年月に新舊多様の相違あるべきは勿論なれ共王政維新の以前より身を官邊に托して二十年來既に青雲の志に飽きたる人物も多かるべく或は然らざるも繁劇の世界に在て少壯後進の徒と其力を較する能はざるに絶念し閑に退隱を求むる人もあることならん孰れも新舊交代を促すの便ある者にして苟も方法宜きを得るときは其變更を行ふに於て聊かも差支を見ざる可し
前條の次第なれば日本今日の官途社會には新舊交代の道を啓て新鮮の元氣を養ふこと必要なりとして偖其方法を如何にと云ふに我輩の所見に於ては養老恩給の典を以て逐次老年者に退隱を許可するを第一の良法と爲すものなり西洋諸國に於ては之をペンションと稱して國家に特別の功労ある者、或は若干の年限中奉職して既に老衰に至りたる者、若くは官務の爲めに廢疾不具となりたる者、其外學者博士等文藝に殊功ある人に對し終身養老金を給して其終りを全ふせしむるの制度は各國の例として見る可きものなり亞米利加合衆國の如きは共和主義の政治にして人々自主獨立を旨とする國柄なればペンション給與の議論に至りても之を是非するもの少からざりしが建國の當初より元老有功の諸人は給與の説を主張し特に内國軍事の爲めに其實行を促したるの姿もありて遂に今日に至りてはペンションを廢止する能はざるのみならず毎年養老の金として文武官の爲めに支出する年額は實に莫大なるものありと云へり抑も文明世界の通則として労して報酬を獲るは至當の道理なれ共官途社會に立つの人が過去既往の労を以て退官の後までも終身恩金の賜物に與るは甚だ謂はれなき次第にして理の正面に於ては有るまじき話しなりと雖も官途の業は自から民間の業に同じからず即ち國家公共の仕事なれば之を營んで終身永代自家の財産と爲す能はざるは勿論其事業に名譽多き代りには報酬の利益少くして縱令へ幾十年間官途に在るも民間の事業家の如く巨萬の富を積む能はざるより一朝官を離るれば忽ち衣食に迷ふの情實もあり偖こそ年功事績の著明なるものに對して終身養老の資金を給することなれ若しも然らざるに於ては弊害百出却て恐るべきの甚しきものある可し盖し文明世界の仕官者に養老金の備えあるは封建武士の世祿に於けるが如きものにて古の武士の正廉潔白、人の財を私せずして純然國事に生命を委ぬるを得たる所以も家に世祿ありて恆の産を失はざるの安心に出でたるものに外ならざる可し封建武士の世祿と今日仕官者養老の制度とを比較せば利益報酬の大小厚薄相距ること遠くして素より同日に論ずべきに非ずと雖も其職に在るの安心を作りて他に貪ぼるの念慮を絶たしむるの精神は彼此符節を合はせたるの妙なりと云ふ可きのみ或は弊害の迹に就て論じたらば養老金の制度の如きも西洋の史上甚だ惡例に乏しからず佛國にてルヰ十六世の治世若くは英國にてチヤールス二世の頃には時の君主頻りに此特典を濫用して專ら官邊に縁故あるものを庇蔭したるが爲め國民遂に其負擔に堪へざるの不平を訴ふるに至りたるの次第は西史を閲みしたる人の知悉する所ならんと雖も然れども是れは啻だ其弊の極端を擧げたるまでにして今の文明社會には全く痕迹を留めざるの談なり且つ其利益の點よりして論ずれば仕官者が若干の年限を勤めて漸く老境に達するの頃には養老資金の給與を得て其官を少壯後進の人に讓るが故に新舊老壯の交代も圓滑に行はれて新鮮の空氣常に官途社會を充すのみに止まらず官に在るの間も平素廉潔を重んじて人情自ら貪婪に陷る能はざるの趣なる可し日本の官吏は古來封建武士の餘風を傳へて世祿なきの今日にも尚を義氣の凛然たるものあるは頼母しき次第なれ共單に封建の遺澤に依頼して日本官吏の魂を永遠に清淨潔白ならしめんとするは望むべきに非ざるなり即ち官吏の美徳を將來に維持せんと欲せば大に養老金の制を實行して仕官者に安心を買はしむるの要用なる由縁にして我輩は獨り新舊老壯の交代を促すが爲めのみならず併せて日本官吏廉直の風を保持するの目的にて其用意の大切なるを主唱して止まざるなり
(未完)