「老壮交代論(前號の續)」
このページについて
時事新報に掲載された「老壮交代論(前號の續)」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
官塲實際の有樣は我輩局外に在て不案内なれども日本の官途社會に立つ人は民間の事業に衣食する人に較べて平生閑散なるが如し其閑なるは官務少なくして官吏多き徴なれば之を沙汰す可し或は又然らず今の官塲の組織に於ては今の官吏の員數を要するとのことならば更に工夫して事務の繁文を省き以て減員の方案なかる可らず孰れも政府節儉の旨趣に〓く可らざる次第なりとは近來世論の許す所なれども偖實際に臨んで其説果して行はる可きやと云ふに其間種々樣々に入組たる情實を存して其都合折合を全ふせしめんが爲めには何人も英斷を遮ぎられたまたま減員を行ふも既にして又之を他の局所に加へ恰も一方に減じたる丈を他の一方に增すの姿なきに非ずして其一小部分には增減の異同なれ共官途社會の全體を見渡せば役人の數に毎も著しき減少を見ず甚だ情實に流れたる次第なれ共去迚斷然と其情實を廢止して無心木石の如くにせよと云ふの論も亦容易に行はる可きに非ず蓋し其情實とは何ぞや即ち多年官途に奉職して政府の爲めに盡力したる功勞も少からざれば一朝の罷免と與に其人をして晩年を託するの所なきに迷はしむるは氣の毒なりと云ふの人情即ち至當の憐憫心に基くものにして詰り其人の身の保養を如何せんとの心配より外ならず然るに其人を憐むが爲めに之を官途に置くときは人の爲めに官を存し又新に之を設けて隨て繁文の弊を生ずるは是亦自然の勢にして政府は啻に不急の人に錢を給するのみならず其人の爲めに不急の事を增して其事の爲めに更に二重の費を增すの憂ある可し是に於てか我輩は事の十分を望まずして第二策に出で假令へ全く費を免かるゝこと能はざるもせめて繁文の勞費にても省きたらばと思ひ養老恩給の特典を冀望する者なり既に此特典あれば政府が官員を進退するに當りて遠慮會釋の意味少なく自然に冗官を省いて繁文を除くの實効を奏して施政上の便利少々ならざるは我輩の敢て期する所なり論者或は之を悦ばず用労金の法を設けたらば政府は故なきに其剤を投じて年々の給與額にも際限なかるべしと云ふ者もあらんなれ共本來此特典を與ふるものは十年十五年、凡そ一定の年月を勤續して過失なきもの或は特別の功勞あるものを限るが故に恩典を貪るの目的を以て忽ち官に就き亦忽ち之を辭するが如き奸計の行はるべきにも非ず又其給與の金額も俸給の幾何と定めて在官年月の多少に因り伸縮もあるのみならず給與の年月は生命の長短に從て自然の期限あるが故に縱令へ幾十年此法を施行するも支出の金額は前後の平均を保ち得て決して非常の濫費を爲すに至らざるものなり但し僅少の額にても之を消費するは惜む可し無用の費なりとの説もあらんなれども姑く其説に從て之を無用と見做し其無用の費を彼の官塲人多きの弊に比して利害如何なる可きや我輩は多少の養老金を抛つも尚ほ人を減するの利を利する者なり
英國養老金の給與法を聞くに何人にても仕官して十年以上十一年以下を勤續したるものへは終身其年俸額の六十分の十を給し十一年以上十二年以下を勤續したるものは同く其六十分の十一、以上毎一年に六十分の一を加へて在官四十年に及ぶものは年俸六十分の四十を給與すれども四十年以上の奉職には別に其割合を增加せざるの法なり例へば今年滿二十の青年が仕官して官に在ること四十年年齢六十に達して退隱するものなりとすれば此人は辭職の後其晩年を送るが爲めに年々政府より年俸額の三分の二を給與せらるべきは勿論なれ共若し初めの十年にして其職を辭すれば終身の給與其俸の六分の一に減ぜざる可らず又内閣主相を始めとし謂ゆる政務官以上の人にして内閣と其進退を與にすべきものは撰擧區民の推薦に依り國會議員たることを得べしと雖も若しも政府より養老金を受くるの塲合には議員の職を辭せざる可らざるの規則なり之を言替ゆれば養老金を受くべきの人は國會議員と爲る能はざるものにして且つ其人が再び官に就く時は此恩典を辭するを法とす孰れも其弊を防禦するの手段にして規律は嚴粛なれども一切の官吏は其身分に論なく皆養老金を得るものなりと云へり其他西洋文明の諸國に於て各規則は異なれども何れの國にも此法を設けて官吏退隱の門を啓かざるはなし盖し養老金を受取る人の種類に就て大別を立てたらば武官文官の相違ありて歐洲各國戰爭のある毎に將校軍人國の爲めに命を殯し創を蒙むるもの幾何なるを知る可らず斯る塲合に其本人若くは遺族に對し救恤の資金を給するは實に已む可らざる次第にして西洋諸國が武官養老のために費すの金額は文官養老の爲めに使用するものに較べて遙に多しと雖も兎に角に國に對して功勞を盡すの點に於ては文武兩官の間に差別ある可らず即ち文官養老の制度の與に要用なる由縁にして我輩が日本の官途社會にも之を施行し速に老壮交代の路を開かんと欲するの精神も亦爰に存するものなり(未完)