「  華族子弟の教育法 」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「  華族子弟の教育法 」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

  華族子弟の教育法 

社會の上流に立つべき人に取て有用大切なるは財産門地教育の三つなれども其物の價より論して取分け必要なるものは教育の一事にして財産門地は之に伴ふて輕重するを免れざるなり華族諸氏は社會の標準にして人民公衆の上に立つべき種族なるが故に財産門地教育の三つに於ても與に備はるを求めざる可らざるは萬々なれども我輩が今の華族諸氏を視て尚ほ遺憾なりとする所は其財産門地は兎も角も三者中最も要用なる教育の點に至りて未だ完全なりと認る能はざるの一事に在り今のまゝの有樣にして到底社會の標準たる可き勢力を得るの望あるやなきや聊か疑を容るゝ所のものなり維新以來の功労に因て近時新華族の榮を賜はりたる者は爰に云はず唯專ら舊華族に就て論ずる其中にも公卿華族は殆んど云ふに足らざるの少數にして他は皆大名華族ならざるなければ徳川三百年の其間に祖先の功労大に家の名聲を高めて其餘蔭延て現代の人に傳はり凡そ門地の點に於て何人も之に及ぶ能はざるは勿論なり次に財産に至りても徃時藩籍に大小の相違もあり一樣に論ず可らざれども方今日本國中にて最富の一族は何れにあるやと問へば大名華族なりと答へざる可らず斯くまでに大名華族たる人々が此上もなき門地財産を兼有するにも拘はらず社會に毫も勢力のあらざるは全く教育なきの致す所なりとすれば今の華族當代の主公は偖置き其人の子弟にして將來受けて第二世の華族たるべき貴公子の教育法は將來の社會に對して實に重大の關係を有するに相違なかる可し

華族子弟に教育の大切なること前條の次第なりとして然らば其教育の方法を如何にすべきやと云ふの議論に至りても其法の宜きを得ると然らざるとに由て利害の趣を殊にするは理に於て明白なる可し我輩熟々今の華族子弟の教育法を視察するに一切の事總て華族學校なる者を中心と爲し其青年の子弟に關する大小の學事も右の學校に於て監督して傍に洩るゝ所あらしめざるの状態なるが如し隨て在東京の子弟は申すに及ばず地方に散在して華族學校に入るの便利なき青年者の教育法も東京學習院の一中心を以て同じくこれを總轄し例へば地方の尋常中學若くは普通の英語學校に學ぶ所の子弟たりとも其修業科目の良否より學力の優劣如何んに至るまでも遙に東京の學校に於て撿定して不適當と認むれば他に巳み難き事情のある者は兎も角も若しも然らざる場合に於ては之を東京に移して華族學校に入らしめ又地方に在學を許されたるものと雖も其學科程度は矢張り東京なる華族學校の模範に隨ふべきの必要あるが故に地方の在學者は獨り其學校の規律に束縛せらるゝのみならず同時に東京華族學校の學制にも服從するの責任あつて恰も其覊絆を二重にせられたるの有樣なきに非ず此の如く華族子弟現在の教育法は其制限至て窮屈なるものにして故さらに教育學問の世界にまで華族限りの新天地を開きたるは元來如何なる精神なりや我輩に於ても甚だ其意を解釋するに苦むものなり總して學問の世界には狹隘の區別あるべきの理なし是れは華族の教育なり彼れは平民の學問なりと教育學問の事に人爲の境界を作りて就學の人の種類を區別せんとするが如きは文明の國に於て决して勢の許さざる所にして我輩は日本華族の子弟教育上にも斯る事相の顯はれざらんことを希望するものなり特に今日に至りては華族も殖産興業若くは家計維持の目的を以て各地方に移住することを許されたるが故に其家族の引纒めあると與に從來は東京に在學したる青年の子弟にして今後地方に其教育を求めざる可らざるの事情もあらんなれば今日の如く其教育を細大悉く東京の華族學校に於て指揮監督するの困難も與に増加するに相違なかる可し我輩は諸氏が其子弟を教育するに斯る狹隘の制限を廢止して普通民間の子弟と同窓共學を隨意自在に許したらば受くる所の其利益は今に比して莫大なる者ある可しと信ずるものなり

英國の貴族が社會に對して勢力を有するの大なるは日本の華族と同日にして論ず可らず隨て貴族子弟の教育法に至る迄も彼れの我に優れるは萬々ならんなれども西洋教育論者の説を聞くに英國貴族子弟の教育は專らエトン若くはハルロー等の如き贅澤なる學校に於てするが故に錦衣の公子騎行の少年自から一種の華奢侠神を闘はせ同族相驕るの外他の風氣に浸漸する能はずして教育の完全を求むること最も至難なりと雖も米國上流社會の子弟即ち紳士金滿家の門に生れたる者の教育法は尋常世間の學校に於てして別に英國の如く貴族の公子のみ就學する學校の設けなきを以て上流の子弟と雖も其教育學問の點に於ては他の子弟と同等一樣にして少しも劣る所あらざるは畢竟其法の宜きを得たるに因る者ならんと云へり是に由て視る時は日本華族の子弟教育も今の蟄居鎖國主義を全廢して世間普通の學校に於てせしむるの利益は明白なる可し或は華族子弟の身體は虚弱にして世の強壯の青年者と伍を同うする能はざるの事情もあらば格別なれども苟も然らざる者なりとすれば我輩は華族諸氏將來の爲めに謀り今の教育法を不策なる者として大に改革を促さんと欲するなり