「奢侈の趣を一變すべし」
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時事新報に掲載された「奢侈の趣を一變すべし」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
奢侈の趣を一變すべし
官邊の費用は務めて之を節すべし民間の奢侈は寧ろ之を勧むべしとの次第は毎度我紙上に陳述したる處なるが扨我輩の之を勧むると云ふ其奢侈の趣に就て聊か一言せざる可らざるものなり抑も奢侈とは衣食飲食より車馬邸宅等に至るまで總て外觀の美麗を粧ふの意味なることは今更いふ迄もなき事なれども從來日本社會に行はれたる奢侈の形迹は少しく之と異なる所あるが如しと申す其次第は日本社會一般の習俗として紳士富豪とも稱すべき相應の財産家と雖も衣食住居家の事は甚だ質素なるを常とし其住居する邸宅の矮陋なるは勿論、衣服は年中綿服にして食物は家の婢僕と其品を同ふするなど質素險約極る其主人公は生來曾て奢侈の事を知らざるやと云ふに決して然らず時に興じ乗じて花柳の街に流連し一夕の豪遊に數十百圓を散じて顧みざること珍らしからず我輩は之を名けて紀文流の奢侈と稱す又一種の贅澤あり前者とは其趣を異にし家は市塵を離れたる閑静の地を卜し瀟洒たる短籬、扶疎たる樹木、衡門茅屋尋常百姓の家の如し而して細かに之を檢すれば一木一草總て來歴あらざるはなし況んや家の内部の構造用材等に於てをや數奇を極め精巧を盡さゞるはなし況んや其所藏の書畫骨董と茶器花瓶の類に於てをや古今の珍奇を競ひ世界の異品を蒐めざるはなし之も亦一種の奢侈にして盖し千の利休の流れを酌む者ならん古來日本社會に流行の奢侈は先づ此二種流なるが如し抑も奢侈の趣向は人々の好事に出で己れの金を以て己れの贅澤をなすものなれば他人に迷惑を及ぼさゞる限りは人々の好む所に任するこそ然るべき道理なれ千金一拂、紀文流の豪遊も随分、愉快なることならん風流洒落、利休流の物數奇も奢侈の種類の頗る高尚したるものにて決して蔑視すべからずと雖も熟ら熟ら此流の奢侈が日本の社會に發達生育したる次第を尋ね細かに其性質を吟味するときは我輩甚だ不快の念なきを得ず抑も日本今代の奢侈は徳川の太平三百年の其間に發達したるものにして此三百年は日本國中武斷政治と儒教主義とを以て治安の根本と爲し上下共に質素一偏の時代にして奢侈の二字は政〓上第一の禁句となり長き治世の其間に徳川の直轄又諸藩の士民の中にて身分不相應などとて奢侈の爲めに罪を得たるものは其數決して少なからず又封建政治の悪弊として外に門戸を張りて少しく富有の色ある者は動もすれば御用金等の沙汰あるを以て人民奢侈の心は天然の發達を遂ぐる能はずして内に鬱積し時として流れては白日哀を乞ひ暗夜人に驕るの紀文流となり、變じては形を粗にして人を欺くの利休流となり奢侈の性質に陰險卑屈の風を帯ぶる事とはなりたるものならん抑も我輩が民間の豪奢を勧むる所以の趣旨は民間の有志者が獨立獨行、政府をも憚らず世間をも意とせず文明豪奢の事を逞ふして人民の地位を張り假令へ政府の向に於ては一旦豁然、不急の費を節し質素儉約を旨とするに至るも民間の奢侈は依然として其趣を改めず以て社會の外形を粧飾して遂に文明の精神に入らんとするの意味あり盖し社會外形の文明とは家屋器什衣服飲食等より交際往來等の事に至る迄人々相應の贅澤をなし以て社會の風景を殺了せざるをいふなり彼の紀文流の豪奢の如き豪は則ち豪なりと雖も其事たるや甚だ野卑鄙陋にして之を目して文明の奢侈と云ふべからず将た利休流の奢侈に至ては一方より見るときは頗る品格の高尚したるものにて之を文明流の奢侈に非らずと云ふにはあらざれども然れども西洋などにて此種の事は殆んど奢侈の頂上にして社會交際の事には厭き果てたる大家富豪の人々が無聊の餘り時として物數奇に之に耽ることもあるのみ風流の餘事としては自から亦一層の興趣ある事なれども今の日本の文明は寧ろ社會の人事交際に忙はしくして未だ斯る高尚の塲合には至る可らざる筈なるに然るに其不時の發達を今日に見るは畢竟封建政治の遺物にして中に自から陰險、人を欺くの性質を窺ひ見るに足る可し文明流の奢侈と云ふべからざるなり之を要するに從來日本社會に行はれたる奢侈の風は何れも皆野卑鄙陋にあらざれば高尚に過ぎて不快の瘢痕を帯び今の文明社會に向ては甚だ不釣合ひのものなるが故に我輩は民間に向て豪奢を説くと共に併せて從來の奢侈の風を一變する事を望む者なり