「英國東洋の航路(昨日の續き)渡邊生」
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時事新報に掲載された「英國東洋の航路(昨日の續き)渡邊生」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
英國東洋貿易の中心を假に香港なりと定めて本國に〓之に達する航路の長短を如何にと云うに今の蘇西運河を經て印度カルカタまでの距離英國より凡そ七千六百四十海里、カルカタより香港まで同じく三千零十七海里なるが故に英國と香港と相距ること一萬零六百五十七海里なる可し然るに今回新に開けたる加奈陀太平洋鐵道の線路を見るに英國より大西洋を〓えてモントリールまでの距離二千八百英里モントリールよりヴアンクーヴアル間の鐵道線路二千九百零六英里にしてヴアンクーヴアルより我横濱を經て香港に達する里程五千九百十六英里此延長を合計すれば英國より加奈陀を經て香港までの距離は一萬一千六百二十二英里なれども是れは陸英里の計算なれば今爰に六海里を七英里に當てて右の距離を海里の數に改算すれば實に九千九百六十二里程を得可し即ち英國東洋の航路にして加奈陀線路に依る者は蘇西線路に較べて香港までの距離六百九十五海里を減ずる割合なれども蘇西線路の里程はサウサムトンより起算し加奈陀線路の距離はリヴアプルを元としたる相違もあり其他海洋航行の都合に因りては自ら線路に屈曲を生じて豫め一定の長短を定め難き事〓もあるに疑ひなければ右加奈陀線路の距離に九十餘海里を減ずる利益なくして蘇西線路と其里程は一樣なりとするも〓に前號にも論述したる如く蘇西の線路には運河中立の望、覺束なきのみならず縱令へ中立の絛約は成るにもせよ一旦他の強國の斷然英國に〓して爲す所あらんとするに會すれば運河航行の自由は全く之が爲めに妨られて英國東洋の航路を失ふ恐、非常なる可けれども加奈陀線路は之に反して少しも斯る危險あるを覺えず或は太西洋の航路と雖も何れの邊より敵の攻撃を蒙むるやも知る可からざるに似たれ共之を今日地中海より蘇西運河を航する不安心に較べたらば聊かも掛念するに足らざる次第にして且つ數艘の軍艦を派して常に洋上の巡〓を嚴にしたらば太西洋の航權は總て英國の手に〓するに相違なかる可し斯て又加奈陀には二千九百英里の鐵道を利用してヴアンクーヴアルより更に太西洋を渡り直線香港に向ふ可ければ單に安全の點に於ても英國東洋の航路は今後轉じて加奈陀線路に依るべきこと自然の勢にして特に又蘇西線路に由れば英國より直航して東洋に達するに少なくも五十餘日を要するに加奈陀線路なれば僅々四週日に足らずして容易に來るを得るが故に兩線相對して一は恰も其日數を〓にしたる者なり〓に本年の九月中英國政府は東洋郵便物運送の〓助として加奈陀太平洋鐵道會〓に年々二十二萬五千弗を附與するを約したる如きは全く此新線路を利して東洋の航路を一〓せんとする考案に出でたること事實に於て蔽ふ可からず東洋諸國と西洋との交通の斯く次第に便利と爲りたるは〓ぶ可きの至りなれども又一方より考ふれば我門外に敵の一歩と近づけたる思ひなきにも非ず我輩の甚だ掛念する所なり
英國東洋の港は今日に於て唯一の香港あるのみなれども東亞貿易の中心は次第に東方に遷りて今の香港市塲は漸く西邊に偏じたる姿もあれば更に香港の以東に於て新港を開かざる可からずとは近來英國の與論の許す所にして特に香港の地勢は恃んで以て東洋の軍港炭港と爲す可からざる不便もあり兵略の點に於て勢ひ香港の外に他の港を求めざる可からずなどの考よりして一昨年の四月中突然にも朝鮮の近海に巨文嶋を占領して砲臺を築き水雷を布き一時永據の有樣を示したるより我輩も之を〓て偖は香港以東に軍港を作る計畫を實行したる者なる可しと思ひ居たるに昨年に至りて俄に占領を解き英國の艦隊該嶋を引拂ひたるは如何にも不審に堪へざる次第にして英國は永遠香港一港の外に一切他の港を求めざる覺悟なるや否や甚だ疑はざるを得ざりしなり然るに今回加奈陀線路の開けたるは恰も「香港よりも尚ほ英國に近くして兼て同時に東洋貿易の好中心たる可き良港」を撰む機會を與へたる者に殊ならざれば東洋政略の上に於ても遠からず目覺しき運動を〓ることならんとの想像は必ずしも無稽に非ざる可し今日までは英國の東洋政略を實施するにも香港より以東に離るれば離るゝほどに其距離遠隔して百事不便ならざるなければ隨て充分の運動を遮られたる趣ありしに今は距離の關係〓倒して同く香港の東を離るれば離るゝなど本國との距離逆まに接近して其働きも自在ならざるなかる可し例へば横濱より香港までの里程一千三百五十六海里にして其航路を從來の蘇西線に〓る者とすれば横濱は香港に較べて英國を距る遠き一千三百海里なれども加奈陀線に由れば之に反して横濱は香港よりも英國に近きこと更に一千三百海里餘なりと云はざる可からず人爲文明の力を以て造化自然の働きを制したる妙は古來驚くべき者多しと雖も斯くまでに距離の關係を轉倒せしめたる例は殆んど我輩の聞かざる所にして言葉を替へて評すれば日本國は突然にも香港以西一千三百里外の地に移されたる者に殊ならず國を東洋に建るものは商賣に政略に今後此變に處する覺悟あること大切なりと云ふ可し隨て英國東洋の航路の變化と與に英國政府は更に太平洋の艦隊を編製しヴアンクーヴアルより東洋諸港に通ずる線路を防禦するは實に已む可からざる次第にして從來の印度艦隊支那艦隊の其外に尚ほ太平洋艦隊を〓すこともあらば英國の東洋に對する武威兵力は一層強大と爲りて其擧動の遠からず人を驚かす者ある可きは我輩の期して疑はざる所なり(完)