「商業教育の法如何」
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時事新報に掲載された「商業教育の法如何」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
商業教育の法如何
商家の子弟に學術知見の入用なるは今更申す迄もなき事にして今の文明世界に在て文明流の商賣に從事せんとするには是非とも學術知見の助けに依らざれば商賣上の熟練技倆も其効を顕す能わざるべし左れば日本に於ても商業學校の設けあり〓講習惰らず其教則も〓々完備して今後この學校より續々卒業の者を出し年來學修したる學識を商賣の實際に應用するにも至らば大に日本商賣の面目を改むる事ならんなれども我輩の所見を以てそれは今日一般の商家に必要とする所の教育は必ずしも今の商業學校に於て教えるが如き高尚緻密なるものに限らず猶お其外にも目下の急を濟うに〓應する一種の方法なかるべからずと信ずるなり抑も今日の日本は稱して文明〓歩の社會と云い社會萬般の事悉く〓觀を改めて西洋文明の流義に轉化したるが如くに言い囃す者なきにあらずと雖も其は社會交際など外形の事か若しくは政府にて管する兵制、教育、土木等の事業にして是等は何れも其外觀を改めたるに相〓なしと雖も民間の實業殊に商賣の一事に至ては自他の事物に比して〓歩の實を見ざるかを怪しまざるを得ず世に一種の商人は頻りに社會の表面に奔走して彼れ是れの事にも關係〓又は其筋の御用なども承り恰も半官の姿を以て世に勢力を〓うするが如き者あれども之を稱して文明流の商賣とは名づく可からず盖し此種の人々は本來身に商賣の教育あるにあらず家に傳來の財産あるにあらず唯時世變遷の機に乗じ種々の因〓を利用して一身の地位を成す迄のことなれば其勢力も亦因〓の纏い周圍に止まりて日本全體の商業上に向ては其方向を左右する力なき者なり然らば今の商賣の實權は何れの〓に存するやと尋ぬれば平均して古流商人の手に在りと答えざるを得ず如何となれば日本社會は今尚〓古流を以て多數を占る社會なれば商賣上の信用も又その〓動も古流商人の仲間に廣くして盛なる可ければなり然るに此流の商人は唯祖先傳來の家風〓法を墨守し、守るを知て〓むを知らざる堅氣一遍の人々なれば其手中に日本の〓權を握る間は全般の商風を一新して改良進歩の氣〓に伴う可かざるは勿論なりと雖も左りとて之を彼の半官商人に委するも固より望ましき事にならずして又その人々の堪える所にならざるべし然らば商賣の改良〓歩は之を未來の望として商賣社會に新陳代謝の時〓到來を待つ可きやと云うに我輩の所見を以てすれば今の古流の商人をして文明商賣の門に入らしむる事敢て〓事にあらずと信ずるなり盖し是等の商人は商賣上實際の事に於ては年來の熟練経驗ある其上に嚴格以て家を治め〓儉以て身を處し商賣の德義に於て欠くる所なきは文明流の商人をして後に〓若たらしむるものなれども唯惜む可きは文明の學術知見に乏しきが爲めに時の宜しきを制して大に之を活用することを知らず百年素封の故窟に蟄伏して歩々〓縮する一事のみ左れば此流の人々は〓神氣力ともに天晴の商人なれども唯生來日新の事に慣れざりしが故に先ず文明の門を望んで徒らに怖れを懐くものなれば若しも一旦其門に入り其堂に上る時は則ち固有の氣力〓神を一變して以て文明一流の商人たること決して難からず〓に其質あり唯これを装うに文を以てする〓ある者と云う可きのみ例えば今の洋學者は中年まで漢書を學びたる者に多く又今の陸海軍の將校士官は其むかし刀槍を弄したる武家より出づるもの多きが如く心身多年の練磨經驗は流義の轉變に依て其働きを失うことなきを證するに足る可し故に今日商賣上の教育に必要とする所は初めより純然たる文明の商人を〓り出さんとするのみにあらずして古流の商賣人として其流義を換え文明の門に入らしむることも亦甚だ肝要なれば今の日本の商業教育は完全にして〓憾なきを望むこと勿論なりと雖も別に一種變則の法にして例えば簿記算術又は經濟學の初歩等一〓り文明商賣の大意に〓ずべき極めて簡易なる料理を設け人をして商業教育の難きを見ずして却て其〓づく可きを知らしめれば古流の人々と雖も亦〓て自から〓み又その子弟をして入學せしむるに至るべし即ち古流商人文明に入るの門にして今の日本の商賣を改良〓歩せしむるの捷徑は盖しこの門に依る外なかるべきなり