「人心数奇を悦ぶ」
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時事新報に掲載された「人心数奇を悦ぶ」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
人心数奇を悦ぶ
人の性質は人々に異なるが如くなれども之を平均して全體を見れば都て變化を好むものゝ如し例えば食物にしても毎日同樣の物を〓れば其物は平生の好物と稱する品にても數日を出でずして之を厭うに至る可し婦人が芝居を好み男子が角力を好むと云うも毎日之を見物せしめたらば是れ亦暫時にして辭することならん之に反して山國の人が海を眺め海〓の人が山を見れば甚だ樂しみ都人士が地方に〓び田舍漢が都會を見物するが如き其風景事物の美惡厚薄に論なく目を悦ばせざるはなし自分の住宅も久しく住慣れば何か勝手あしくして他人の家は便利なるが如くに思われ尚お細事至りては同じ家の内にて箪笥長持書棚等の諸〓具を彼處此處に置替れば家の廣狭に少しも變化はなけれども唯その模樣の以前に異なるばかりにて一時大に便利なるが如し此類の事相を計えれば枚擧に遑あらず何れも人の性質は事の停滞永續を悦ばずして其利害得失に論なく唯變化を好む事實を見るに足る可し此事實にして果して〓うことなくんば國民が國の政治に就て變化を冀望するも誠に自然の心〓にして假令其變化に由りて確に利す可き見〓みなき〓にも唯事の以前に異なるを見て一時の滿足を催おすは殆んど人生の天賦とも云う可きものならん冷淡なる哲學流に論ずれば如何にも愚なる次第にて實際の利益さえ見〓みなきに徒に事を變革するは詰り損亡にこそある可けれども浮世は哲學者の集合にあらずして寧ろ無分別の熱界とも名く可きものなれば唯この間に少しく分別ある人物が人心の機を察して愚に處なる一法あるのみ德川政府などは守舊一偏にして何等の變化もなく唯舊物を保存して〓に日月を消する政府なりしかども大小官吏の更〓は常に行われて甚だ賑わしく殊に執權の老中並に勘定奉行の如きは其在職平均して三五年に〓ぎず當時新聞紙は無なりし世なれども重立たる役人の〓〓ある毎に讀賣りの商賣人は之を待ち構え即日木版にして紙に摺り無數の賣子人は夕刻より夜中に掛け「御役人改まり云々」とて市中を大聲に賣り廻われば毎戸爭いて此紙片を買い以て夜話評論の〓にしたる事實は故老の尚お記憶する所ならん即ち人心變化を悦ぶ證にして人間萬事不變不動を主とする封建の世の中にても尚且斯の如し左れば事柄こそ殊なれども米國にて毎四年に大統領の改撰と共に諸役人を一新して施政の趣を改め英國にて保守改〓の〓〓常に交代しておのおの新主義を行うが如きも其實は政事にさしたる妙案はなかる可きなれども唯〓に〓みて新に走る人心を滿足せしむるが爲め〓れの發意ともなく自然に其國の慣行を成したることならんのみ依て竊に案ずるに方今我日本國に於て政治の議論は種々樣々なる樣子なれども我輩は左まで之に關係せざるが故に其是非利害を判斷するを好まず又實際に於ても圓滿ならざる人間の智慧にて政治に絶倫非常の妙案ある可きにあらざれば少々づゝの主義こそ異なれ正味の處は大抵同樣の直打なりとして敢て輕重するに非ざれども前に云える如く入〓變化を悦ぶは事の細大を問わず時の古今に論なく爭う可からざる事實なれば若しも我政治上に好き機會もあらば政治家の新陳交代は甚だ望ましき所のものなり但し爰に特に好き機會と記したるは甚だ意味あることにて我輩は政治上に新陳交代を祈ると雖ども其交代は極めて圓滑なるを期するものなり本來政府の事は國事の一部分にして其政府の人物が彼れ此れと交代して一時新政治を施すが如きは更に改府中の一部分にして云わば國の細事件なれば此細事件の爲めに人心の熱度を高めて騷動なるが如きは以ての外の不祥なるが故に我政治家は其主義の異同を問わず大膽酒落にして雙方共に執念を去り政治に重きを置かずして容易に棄て復た容易に取り凡そ三五年目には新陳交代して毎に風波なからんこと我輩の最も冀望する所なり盖し交代に好き機會とは即ち此の謂にして此機會を作る者は政治上に分別ある人物ならんのみ