「ヴンクーヴー汽船航路と日本との關係」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「ヴンクーヴー汽船航路と日本との關係」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

ヴンクーヴー汽船航路と日本との關係

左の一編は社友志賀重昂氏の起草に係るものなり氏は未だヴンクーヴー地方の事〓を親しく目撃したるには非ざれども多年來濠洲其他海外の地に徃來して殖産貿易上の事に付き立案少なからず本編の如きも其一として見る可きものなり

ヴンクーヴー汽船航路と日本との關係 志賀重昻

會社の創立と云い資金の用意と云い開墾の事業と云い鐡〓の敷設と云い何れも皆國の生産力を發〓せしむるものにして頃來我國の現〓を視察すれば内外の刺戟に因り民人箇々の企業心は頓に發〓して殖産興業の四字は漸く至大至剛の勢力を〓くせんとする傾向あるが如し然れども後日諸般の事業は興起して如何に物産は山の如くに積み海の如くに盈つるも之を消費し之を販賣する好市塲なきに於ては所謂寶の持ち腐りにて有れども無きに等しきのみ然れば今日より豫め後〓をなく周く各國を〓覧して箇々の需用を〓み人々の嗜好を察し廣く新販路を世界に求む可きは理の當然なりと云う可し然れども良し目前現時は良好の販賣市塲にあらざるにもせよ其將來の趨勢を推測し果して彼此の關繋を厚くせば漸く利益の測る可からざるものありとせば之が地勢を〓み之が人〓を察し漸々彼此の關係を密接ならしむる方策を發見するは敢て大早計と云わずして可ならんか

吾日本の東隣は米國にして西は支那、北は露領、浦〓斯德港に接し年來公私の交〓徃來は甚だ頻繁にして貿易〓商の取引も亦甚だ尠からず南隣の濠洲、新西蘭も亦頃日大に世人の注意を惹起し來り其商業上の景〓を視察せんとして此に渡航する者比々相〓ぎ或は此處に日本植民地を開かんと迄に熱心して〓に航〓に上りたる紳商(大坂)さえあるほどの次第なれば數年を出ずして日濠兩國の關繋は漸く厚く漸く密接に歸着するや明なり然るに〓く我東隣に位する大邦土にして彼此の直接航路は早く〓に開〓したるにも係らず未だ深く我邦人の注意を惹かざるものあるは余輩が甚だ不可思議に感ずる所なり其は何れの〓も在るやと尋れば英領コロンビヤ州(British Columbia)是れなり

英領コロンビヤ州〓にヴンクーヴー嶋(以下略して瓦嶋の記す)は加奈陀の西部に位し石炭黄金の無盡脈を儲藏するロツキーの大山〓は〓々として其東方を界しフレーザーの大江は〓々として中央を貫き幾多の支流其間に曲折して両岸到る處に千年の雄木良材は森々として暢茂し材木貿易にては世界中此地方の右に出るものは特に尠なしと云えり其沿岸は赤〓北路大潮流の洗う處と爲り加奈陀本部に比較すれば氣候極めて和〓人煙太だ稀疎にして天徒に長へに、地空しく〓く、鶏犬聲絶ち行客の耳官に〓するものは伐木の音丁々たるに〓ぎざる事ならん然るに此地方が將來果して繁華熱〓を極むべき乎、我物産の好販市塲と化成なる迄の人口繁殖に至る可き乎と問いたらんには予輩は直ちに積極の應答をなす者なき何となれば物躰の力は抵抗の最も少なき部分を求め其箇所に向て漸次に移動するとは理學上の大原則なるを以て人界の事物も亦斯くの如く人口の〓密なる箇所より人口の稀疎なる箇所に向て漸次移動し、競爭者の多き箇所より競爭者の少なき箇所に向て漸次に移動し、氣候の凛洌なる箇所より其和〓なる箇所に向て漸次に移動するは自然の勢にして加奈陀本部の繁華は太西洋岩の人民と共に次第に西漸して太平洋岸に寄せ來る事なる可し英領コロンビヤ〓に瓦嶋は加奈陀本部の西方に位し太平洋岸に在り山河千里形勝雄偉にして人口は則ち甚だ稀疎なり然れば大〓にして而かも緻密に冒險にして而かも實者なるアングロサクソン民族が〓世の企業心を〓かしむるに足るべきや必せり實にや米國の詩人バークレー氏が「西へ西へと邦國の行路は〓み行くなれ」と口〓みたるは詩人高妙の想像力と物理界の原則と能く相協合するものと云う可し左れば〓頃加奈陀太平洋鐡〓線路も落成して州の東西を横截したれば英領コロンビヤ〓に瓦嶋が漸く繁華熱〓の新市塲たる可きは天利人則の根本に協うものと云うべし

然るに此地方と我日本と交〓の關係は如何と云うに〓く加奈陀本部と瓦嶋間の鐡〓線路落成と同時に瓦嶋日本間の新航路を開きし以來は我日本より北米大陸への航路を短くし航費を減じたるのみならず歐洲と日本との徃來に一層の便利を〓し殊に加奈陀千里の地に我物産の新販路を發見したることなれば瓦嶋の新航路は日本前〓の趨勢に密接して其關係の重大なること論を竢たずして明なり而して其關係とは何ぞや曰く第一日本農業上の關係第二北海〓との關係第三日本人民の移住是れなり請う一々これを説かん

第一日本農業上の關係 地の形勢に從て人口を保持する力を察すれば日本は寧ろ製〓貿易に〓する者の如くなれども地力未だまったく盡きずして殘る所のものあれば之を開墾し之を耕作し以て國の財本を〓殖すべきは固より當然のことにして今我國に於て未だ地力の盡きざる箇所は何〓に在るやと尋れば奥州北海〓是れなりと答う可し盖し泰西流の大農業策を輸入して之を應用す可き地方は八十四州中獨り奥州と北海〓の平原あるのみにして此平原に最も〓する所の農業は牧畜なり而して所謂牧畜の第一着は先ず日本在來の家畜の種類を改良し其品質を高尚ならしむること緊要にして種牛の如き何れの地方より輸入して最も得策なりやと問えば品質上よりするも經濟上よりするも主として北米洲に限る其の内にも東岸マサチュセッツ州〓は最良の名あれども日本へ〓るには〓路の〓〓賃に妨げられて意の如くならず故に是れまで日本に來るものは桑港〓傍よりするの慣行なれども桑港地方は氣候太だ温暖にして四時靑〓に富み三冬中家畜を放牧する事なるに是れを天氣寒洌なる奥州北海〓の〓原に牧〓せば其健康上に必ず多少の害ある可ければ寧ろ英領コロンビヤ〓に瓦嶋の如き〓寒冷なる地方より輸入する安全なるに若かざるなり(瓦嶋は北緯四十八度半より五十一度の間にあり即ち露領樺太嶋の中部と緯度を同じす故に其氣候は温暖潮流の爲めに同緯度の地方に比較すれば特に温なるにもせよ我奥州北海〓の氣候と恰も酷類するものなるべし)之を要するに我國將來の大農業を興す而して其業に最も大切なる種牛は英領コロンビヤ〓に瓦嶋よりするを最も得策なりとすれば日本前〓の一大事業たる泰西流の農業法は瓦嶋汽船航路と容易ならざる關係あることゝ知る可し       (未完)