「倫敦タイムスの英國東洋航路論」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「倫敦タイムスの英國東洋航路論」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

倫敦タイムスの英國東洋航路論

加奈陀太平洋鐡〓の開けたる爲め英國東洋の航路全く趣を變じて向後日本國は殊に其衝に當るを免れざる可しとの次第は本月十四十五兩日の社説欄内に於て開陳したる所なり然るに今爰に本月二十四日の日本メール新聞を見るに〓着の倫敦タイムスに掲げたる加奈陀新線路論の抜萃あり其大意は我輩前日の諸論に殊ならざれども尚お一層其趣を祥叙して英國東洋海路の特に加奈陀線路に依らざる可からざる理由を悉すに足る者なれば其要略に譯して爰に登載す

加奈陀新線路は現今別に稱して帝國線路と爲す所の者にして何故に之を帝國線路と名けたるやと云うに太平洋航海の塲合を除き他は皆英吉利帝國の領土内を經〓する〓に基きたる者にして政略上の考より之を見るも其要用他の從來の三線路に同じからざる理亦これに外ならず蘇西線路に依る時は勢い佛蘭西伊太利〓及の三箇國に其路を假る姿ある者にして其他沿岸尚お西班牙、葡萄牙、モロツコ、アルヂール、亞刺比亞の諸領地を〓ざる可からず次に喜望峯の線路と雖も佛蘭西、西班牙、葡萄牙及びモロツコ〓箇國の領地を跨ぐを免れずして西亞弗利加の大陸と諸嶋との間にも歐洲列國の所領に属する植民地相〓續せり他の一線南米角峯の航路も同斷の次第にして唯餘分に南米諸國の〓を〓すのみなれば以上の三路孰れも不安心なりと云わざる可からず然るに此帝國線路に至りては北太西洋の諸嶋は英領に属するもの多くして此處の諸港より領地續きに海を〓え、ハリフア〓クスの港に渡り同所より鐡〓を利用してヴアンクーヴアルに〓し、轉じて濠洲なり支那なり〓意の地方に〓ずるは容易にして萬一外國と事ある日には此線路最も英國商賣の利を爲す可きは當然なり又軍略上の便利は一にして足らずと雖も就中此線路の〓〓なる地方三箇所に石炭の供給充分なるは〓一の利益と〓即ち太西洋の終局港たるハリフア〓クスの〓傍〓に太平洋に在りてはヴアンクーヴアル、濠洲に在りてはシドニー二箇所の〓傍に〓石炭多ければ汽船のように一〓〓を〓く憂あれずと雖も蘇西若くは喜望峯の線路に沿う時は〓々莫大の費用を掛け本國より石炭を〓〓する不都合ありて其里程もボルトセツドまで三千英里アデンまで四千五百里コロンボ若しくは喜望峯まで六千五百里、不便實〓〓上なきなり

帝國線路の他の諸線に比して距離短縮なる一事は事實に於て蔽う可からず乃ち其里程表を左に掲ぐ(但し一英里を以て一位とす)

英國より

加奈陀     蘇 西    喜望峯    角 峯

日 本    九、二五〇  一三、七五〇  一五、五〇〇 一五、五〇〇

上 海    一〇、五〇〇 一二、五〇〇  一四、二五〇 一六、〇〇〇

香 港    一一、〇〇〇 一一、〇〇〇  一三、五〇〇 一六、〇〇〇

新〓〓    一二、五〇〇  九、五〇〇  一二、二五〇 一六、二五〇

ブリスペイン 一一、五〇〇 一二、二五〇  一四、二五〇 一三、七五〇

シドニー   一二、〇〇〇 一二、〇〇〇  一三、七五〇 一二、七五〇

オークランド 一二、〇〇〇 一二、〇〇〇  一四、〇〇〇 一一、五〇〇

 (譯者云右の中ブリスペインは東濠太刺利の港、シドニーは新南〓〓斯嶋又オークランドは新西蘭嶋の港なり)

又加奈陀線路は時間を〓する一點に於て他の諸線に優る所四箇條なり第一本線は地球々面の旅行に於て大圓環の線に當るが故に經度の距離最も〓き處に於て緯度を横〓するを得べし第二〓中海上の氣候冷〓にして旅客〓に航海者の便利は素より、商風若くは〓風等に〓らう憂極めて稀なり第三本線中、二千五百英里の距離は直線に鐡〓交〓の便あり第四航海の線路常に直線にして〓中〓餘限りなき海岸に沿う不便もなく又沿岸の暗礁其他危險に〓う恐を知らざるは皆本線特有の利益なる可し

世には英國東洋の郵便航路は今日〓に蘇西線若くは喜望峰線に於て引受け居れば此上更に新線路を設ける必要なかる可しと議論する者もあり例えば此程の事なり政府が東洋郵便〓〓の補助としてピーオー會社に三十六萬五千〓(一〓は金貨五圓)の保護金を約したる如きも其論の事實に顕われたる者ならんと雖も今日英國東方の貿易は實に非常の〓歩を奏して驚くべきもの少からず去る千八百六十年に東方諸國の貿易高は一箇年總計三億八千萬〓なりしに二十五年を〓えて一昨八十五年には八億八千萬の多きに〓し若しも此順序にして〓むとすれば今より二十五年の後ち即ち千九百年度には其額廿一億七千萬に上る可き割合なり且夫れのみならず電信鐡〓の便開けて支那の一國歐洲との商賣を盛んにするに至らば英國東洋の船舶徃來は今に比して如何なる頻繁を致さんやも知る可からず殊に加奈陀線路ハリフアツクスの港は英國を距ること僅か二千四百英里之を今の紐育港に航する者に較ぶれば航海日數に二日を減ずるは數に於て明白の〓にして英國リヴアプールとヴアンクーヴアル間の交〓十一日にして〓するは容易なり英國政府に於ても早く之に着目し一昨八十五年の十月十九日を以て〓〓〓より布告を出さしめ、來八十八年の二月より二〓〓に一度ずつヴアンクーヴアル及香港の間に定期航海を開き郵便物〓〓の事務を引受くる者には政府より特別の保護を下す可しと其應募者を求めたるに申〓み人二名なりて其一方は政府との約束整い航海用の汽船は總て英國海軍省の指定する方式に從て之を製〓し一時間〓力十六ノツト以上を〓せて戰時には〓〓艦若くは〓〓船の用に供し其他軍用品〓〓の事に就ても實費の外に明りに〓賃を貪らざる等諸種の條〓も協議の項目中に在りと云えり兎に角に加奈陀線路を保護するは大切の手段にして今日蘇西〓河を經〓すれば日本までの距離一萬三千英里なれども加奈陀線路に依る時は其距離九千里、上海までは同く從前の航路里程一萬二千里を省くを得べし東洋の貿易に從事する英國商人若くは本國に在る所の製〓家の爲めに計るも此帝國線路の交〓は實に要用なりと稱す可きなり