「鐵道工事の緩慢なる理由は如何ん」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「鐵道工事の緩慢なる理由は如何ん」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

鐵道工事の緩慢なる理由は如何ん

日本鐵道會社の工事は既に特約期限の七分の六を經過したるにも拘はらず東京以北青森までの特約線路は今日僅に其半を終りたるの有樣なれば工事の進歩甚だ遲緩なりと云ふの外ある可らず云云の旨趣は此程の紙上に於て論述したる所なれども退て熟熟日本全國の鐵道事業を見渡すに其工事の捗取らざる者獨り日本鐵道會社にのみ限らずして其他東西各所に起る所の私立會社概ね皆然らざるなし其甚だしきに至りては假免状の許可を受けながらも測量技師不足の爲めに豫測實測をも了ること能はずして昨今尚ほ中途に彷徨するの趣なきに非ず官行鐵道の如きは之に較べて技師材料兩つながら充分なれば工事の進歩稍速かなるが如くなれども全國到る所鐵道の速成を希望して止まざるの熱心に對しては未だ充分に滿足を與ふる能はざるの嫌を免れず例へば中仙道鐵道の工事に於けるも其始めには碓氷峠の險をも畏れず隧道を穿つか勾配を急にするか二者其一の方便に依頼して上田横川間の連絡を全うせんとするやの計畫にも聞及び居たりしに實際の工事非常に困難にして到底兩三年間に開通の見込立たざるより更に路を東海道に轉じ中仙道鐵道公債の資本を流用して早く之を岐阜大垣の線路に續けんとの考案より先日來政府は頻に東海道鐵道の工事を督責し横濱國府津間の往復も既に開け、箱根の裾を迂廻して駿遠に出でんとするの塲合に臨み富士阿倍大井天龍の諸川恰も工事の路に横はれば鐵橋を架して之を跨ぐの手段大切なりと雖も右は孰れも皆有名なる急流激河にして加ふるに河身の横幅甚だ廣く鐵橋兩岸の距離一川尚且つ里餘に及ぶの不便あり碓氷の峠、駿遠の川、山水の相違こそあれ其工事困難の一點に至りては中仙道東海道與に優劣ある可らず昨今の形状にては碓氷峠の山道に鐵道連絡の通ずるは速くも五六年後の事にして夫れ迄は直江津上田間の鐵道と東京横川間の鐵道と此一箇處あるが爲めに直接の交通を妨げらるると均しく東海道の鐵道も駿遠二州河流の爲めに今後數年間は其連絡を全うする能はざるならんと云へり此の如く今の官行鐵道工事も一は山に一は川に各其進路を遮られて事業の困難孰れとも輕重を附し難き其趣は恰も最初、山の一難を恐れて後ち今は飜て川と與に兩難を招きたるの姿にして人智若し豫め視るの〓あらしめば寧ろ其始より鋭意して先の一難を除くに從事し同時に兩難を併立せしめざるの手段大切ならざりしやと無責任の江湖には漫に評する者さへなきに非ず實際困難の模樣は兎も角も凡そ鐵道事業の進歩遲遲たるの一點に至りては官私の工事與に殊なる所なしと云ふも別に不都合なかる可し

然るに世に一種の論者あり頻に説を爲して曰く、今の日本の鐵道論者は唯漫に外國の鐵道事業を引用し英に於ては人口何人に鐵道何哩、米に於ては地積何方哩に線路若干なりと直接に其比例を移して我國工事の緩慢を喋喋すれども是れは彼我の情實を辨せざるの空論にして取るに足らず試に地圖を披て之を視るに我國の形状は丈長くして幅狹く山脈縱横に馳せて河川其間に奔流するの甚しき、山に川に全國到る處として鐵道工事の妨害を爲さざるなければ謂ゆる工事の緩慢も其責人に〓らずして全く造化の咎なりと云はざる可らず濫りに西洋の例を求めて日本の工事を云云するは素人流の考ならんと以上論者の所説一切其條理を存せずとして抹殺に附す可きに非ずと雖も工事の緩慢を全く造化天險の咎に歸して吾は乃ち知らずと云ふは甚だ謂はれなき次第にして例へば日本鐵道會社の路線に就て之を視るも東京以北仙臺迄の既成工事は何れの處に天險ありしや、仙臺より青森までも概ね又平坦の原野にして軌條の敷設には極めて便利なる可きに尚且つ其工事の遲遲たること既に前にも述べたる如くなりとすれば謂ゆる造化の咎なる者も何れの處に之を發見し得べきや當惑に堪へざる次第と云ふべし鐵道の勾配は平地なれば百分の一山坂にても四十分の一を踰えざるを度と爲す者にして我輩の聞く所を以てするに日本鐵道會社の線路工事は概ね悉く百分の一の勾配に〓〓〓〓〓一の勾配に至りては殆んど絶無の姿なれば隨て工事の容易にして進歩の速なる可きは當然なるに實際の成迹に至りては却て之に反對して大に緩慢なるは其原因全く造化天險の外に在ること明白にして日本は一概に山國なり西洋諸國平坦の地に敷設する鐵道の例を以て日本を括らんとするは素人流の考なりと云ふ論者自身の考こそ寧ろ實際不通の議論なれと我輩は逆まに其所説に抗せんと欲する者なり日本の地勢は面積に割合せて山脈の多きに過ぐるは明白の事實にして全國の鐵道工事に困難非常の塲所あるは豫て我輩の覺悟す可き所なれども去迚平地の鐵道其起工の容易なる地方までを併せて此中に混同して日本は山國なり云云の口實を庇蔭に設け以て其緩慢を恕するの手段と爲す者あるに於ては我輩は最も熱心して之に不服を唱へざる可らず然り而して碓氷峠の險、駿遠の川の如き大工事に至りても早晩事業を全成せしめざれば日本に鐵道の用を爲さざるは道理の明白なる者なれば我輩は之に對しても尚ほ希望なき能はず乞ふ次號に於て之を延べん     (未完)